| 2002年05月28日(火) |
方言は苦手なのでつっこまないで下さい |
『生ぬるい』 朗らかにこの言葉を言う人はいない。たいてい怒っている。 いったい、何がぬるいのだろう? 怒るほどぬるいと困るものは何だろう?
単純に考えるとぬるいものは液体だ。 ぬるい「茶」や「風呂」は悪い意味でよく聞くが、「ごはん」や「コンクリートブロック」のように固体では聞かない。空間もそうだ。「2LDK家賃9万円」「家族全員が入った後の風呂場」これらを「ぬるい」と聞いたことがない。聞いたとしても「ぬくもり」という単語で良い意味でとらえることがほとんどだ。手厳しく怒っている相手はそんなものを対象にはしない。
液体だ。 ぬるいものは液体でなくてはいけない。 そして、考える。 「生」の液体とは何だろうか?
まずは水だ。 生水は飲むと当たる。それを考えると生ではいけない。生ぬるいと怒るのも当然だ。
次にビールだ。 店で出てきたビールがぬるかったら客は怒る。少しおいておくとビンの周りが結露して白く曇るくらいに冷やしておかなくては。これは冷やしてこそ価値がある。
ジュースだって生だ。 天然果汁の生ジュースはおいしい。 しかし、これは氷を入れてしまったら薄まってしまう。かといってそのまま冷やしたら、できたてのおいしさは損なわれる。本当の生を望んだらそれほど冷えたものではない。これはぬるくても許容範囲ではないか? ジュースではなかった。
生たまごはどうだ。 あれだってかき混ぜれば液体になる。 ぬるいたまごを手にしてみると、何となく不安にならないか? 「もしかしたら半分ひよこだったりして…」 すごく気にかかる。割ったらひよこが出てくるのだ。やけに気にかかってしまう。でも、怒る気にはならず、「やられた」と笑ってしまいそうだ。 たまごではいけない。
風呂ではどうだ。 江戸っ子は煮えたぎりそうな湯を好む。真っ赤になりながら「けっ、まだまだぬるいくらいだ。もっと湯、足してくんねぃ」などと強がりをいってのぼせてこそ、江戸っ子だ。 ぬるければぬるいほど、よけいにあつくなる。 「バカヤロウ、なんだ、このぬるい湯は」 「あら、いやだ。おまえさん知らないの?ちまたじゃあ、半身浴て言って体に良いのよ」 「バカヤロウ、江戸っ子がこんなぬるい湯にはいれっか」 「あら、じゃあ今度からあなたがいれてくれるかしら、お・ふ・ろ」 最近のお風呂では勝てない。 そもそも生風呂なんてものはないからだめか。
レンジで暖めたものならどうだ。 外側の一部が沸騰するほど熱いのに、中が冷蔵庫から取り出したばかりのように冷たい。 明と暗のコントラストがか織りなす『生ぬるい』というハーモニー。 問答無用なくらいだめである。
口に出して言ってみる。 「なまぬるい」 全身から力が抜けていくような気がしないか? なんとなく語尾を延ばして 「なまぬりー」 と発音してみたくなる。別に「なまぬりゃー」でも「なまぬるかってん」でも大丈夫だ。
調べるほどに意味を考えてしまう言葉だ。 どうしてこんなにひきつける言葉なのだろう。 もしかして、使っている人たちに何にか優越感を与える不思議な言葉だ。 ぜひ使っている人に、何がぬるいのか聞いてみたい。
「何が生でぬるいのですか?」 「はっ?何よけいなこと考えているんだ」
怒気混じりに言葉をたたきつけられた。 わかりもしない言葉を使おうとは、本当に私は『生ぬるい』。
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