一心不乱に欽ちゃん走りをする人たち。 その姿、乱れることなく。
うにょ〜、あまつばめです。 ・・・うにょ〜って何でしょうか?(笑)
ファイブミニのCMです。 ルームランナーの上をそろって走る人たち。それを見てあざけ笑う女優。 女優の方が間抜けに見える私です。 こういうのは、『数の暴力』ってだからでしょうか。
間違っていることを、何の恥じらいもなく、かつ、集団でやっていると、不思議とそれが正しいことのような気になってきます。 数は、ただ多いだけで一つの力となっていて、たいてい暴走します。 たとえば、赤信号であっても、200人ぐらいでねり歩いてしまえば、何かのイベントと思って素通ししてしまうでしょう。 でも、それは、素に帰ったときに重くのしかかります。
CMに出ていた人が、一人寂しい部屋で自分の姿を見てしまったら、どのくらい恥ずかしいのでしょうか? 「いや、あれは仕事だから」と言い切ろうとする片隅で、どこか喜んでいる自分も感じてしまう。 「(実は望んで走っていたのではないか?)」 ちょっとした疑惑が生まれる。 CMが流れるたびに、その疑惑はふくらんでいく。 風船に空気を送り続けるようにふくらんでいく。 ふくらむ。 ふくらみきって、最後にはじける。
「僕は欽ちゃん走りの人だ」
まあ、たぶん、そんなことはないでしょうが、あの走り方が人間力学的に最も早い走り方だったりしたらどうなるのでしょうか?
オリンピックの100M走でクラウティングスタイルから、号砲と共に走り出す風たち。 深い一呼吸の間に終わる勝負。 駆け抜けた後に出たタイムは、8秒台。 アナウンサーは興奮気味に中継する。
「出ました!夢の、夢の、欽ちゃん走りで8秒台〜〜!!」
・・・夢は夢でも、悪夢です。 そんな悪夢を夢想しながら走ってみることにしました。 バス停から家までの道路。100Mくらいでほんの少し上り坂。 人がいないことを確認し、おもむろに走り出す。
欽ちゃん走りで。
玄関先まで駆け、床に汗が流れ落ちる。 やってしまった。 高揚と背徳を混ぜ合わせた不思議な感覚だった。 知り合いに見られたらきっとこういわれるだろう。 「疲れているな」 間抜けな汗が噴き出る、湿気の多い夜だった。
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