千己の(非?)日常

2003年02月23日(日) 素敵な誕生日プレゼント

『棚から哲学』という本を誕生日プレゼントに貰った。
本当は全部読んでから感想を書くつもりだったのだが、早くこの面白さを伝えたくて日記にしたためたしだいである。

先ず、帯。
いきなりでかい文字で「疑わしい!」と書かれた日には、もう引くか乗るかのどちらかしかないだろう。
因みに私は後者の人間だったようだ。
一体何が疑わしいのか。
そう思ってよく帯を見ると

『本書を読むと全てが疑わしくなる。常識も人間も哲学も天気予報も疑わしくなる。特に著者のいうことが疑わしくなる

と、大変素敵な保証がなされている。
裏表紙の帯には禁止事項が書かれてあるが、特に目を引いたのは最後の部分。

『本書の一部または全部を返品、譲渡、回覧、精読してはならない』

つまり。

『この本を店に返すな、他人に勧めるな、中身を咀嚼するな

ということである。
因みに、既に私は精読しようとしているため、このまま行けば禁止事項に反することになる。
しかも、後で沢吉に勧めようとしているのだから、もうダメダメである。
このまま口で広めたいと脳裏では囁いているのだが、これ以上禁止事項を破っても、私にはなんの利益も生まないので一応やめておく。
いや、不利益も生まないけど。
不利益があるとしたら、禁止事項を破った罰としてこれを取り上げられ、果ては、勧めた人達のこれに関する記憶が消される可能性があることくらいだろうか。
そんなことが出来ればねぇ……良いんだけど。
考えてみればここに書いた時点で『他人に勧める』という項目を破りまくっているのだから、禁止事項に関しては何を言っても仕方がない。
それに、書くなと言われても無理。
なぜなら、話の内容が気を引く物ばかりなのだから。


中身はもう毒舌三昧。
しかし、それもまた小気味良いと思えるのだから、私の精神も相当意地悪いのかもしれない。
エッセイと言うだけあって、全部が全部著者の体験や考察した話ばかり。
その内容を読んで、暫し考えた。

「これは………本当にあった話なのか?」

と。
全部が嘘だとは言わない。いや、言えない
『今日の一言集』なる物をコンテンツの一つとして展示している以上「それはどう考えたって有り得ないでしょう」と言い切れないのだ。
確かに、帯に書いてあるとおり、『特に著者の言うことが疑わしくなる』一冊である。
何より、この本を読んで大笑いし『こういうことある!』と共感した後、『はたして自分は真っ当な人生を歩んでいるかどうか』疑わしくなる一冊である。

『あんたの笑いのツボは、大きさとしては他人と同じだけど、ベクトルの向きが違うのよね

と言われるのも納得出来る。
多分、基本軸が実数軸と虚数軸から成り立っているに違いない。


今回読んだ分の中で『人として一部共感を覚えたけれど、反発も覚えた』のが一つある。
『物理学の根本的誤り』である。
物をしょっちゅう無くし、探しても見つかることのない著者が
「物は時々なんの原因もなく消滅する」
ということを書いている。
その上で編み出した新物理法則がこちら。
「消滅しないのは不要な物と邪魔な物だけである。これらは原因が山ほどあっても消滅しない。だが貴重な物は時々消滅する。もっとも貴重な物(美貌、すぐれた人格、才能)はしばしば最初から消滅している」
ここで「あ〜、まあ確かに」と納得する部分もあるが、物理屋としては「なんの原因もなく消滅する」という言葉には納得致しかねる。
何らかの作用が働いた上で物事は変化している。
大体、二次災害(この場合は捜し物をしているうちに別の物がなくなったこと)が発生するのも物を色々移動して部屋を漁っていたがために起こったことであって、何もしなければ二次災害は起こらないのだ。(いや、火事や地震で避難したり消火活動をしないがために二次災害が誘発することはあるけれど)
『いきなり消滅したと感じる』とだけで実際は『いきなり』ではないのだ。
多分著者もその辺のことを分かってこんな文を書いたのだと思う。
それに、抽象的な話で申し訳ないが何が不要で何が邪魔かは人それぞれの価値観による。
だからたまには、『他人にとって不要な物なのに、自分にとって必要だから消えた』等ということもあると考えられる。
もしこの新物理法則に私が付け加えるとしたら
「ただし、不要かそうでないかは何を基準に取るかで変わってくる」という文だろう。


何だか書いている私自身分からなくなってきた
『物事全部が疑わしくなる』という文句は間違ってなかったかも知れない。
そして、『精読するな』という意味も何となく分かってきた。
けれど、普段あまり熱心に物を考えない私であるから、こういう事くらいは熱心に考えてみたいとも思った。


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龍田千己