ふつうっぽい日記
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2018年04月03日(火) そして、また、かなり久々の更新

桜の季節も間もなく、終わる。
桜が満開の頃、一つのけじめをつけた。
それは、パートを辞めたことだ。
去年の11月頃から心の中で、決めてはいた。
しかし、部長に拝まれて(?)任期を更新してきたのだ。
しかし、(しかしが続くが)もう限界だった。
いや、限界というのは少々変な表現だな。
限界の一歩手前で、精神的に安定して身を引くことができたと思う。
それは、前回の仕事についてもそうだった。
前回は、燃えつき寸前と言えたが。
余力を残して、身を引いた的な。

朝、5時に目覚ましをセットして、7時前には自宅を出るという日は、とても気を張るものだった。
いわゆる「早出」。
そして、まぁ、平たく言えば、「ああいう人は組織に必要ではある」とも言えるが、まぁ、虫の好かない上司的な存在。これもまた、気を張る存在であった。
最終日に近くなってきた頃には、吐き気さえ感じた。
パワハラまではいかないが、「どうしてそう言うかな」的な言葉に動悸さえ感じそうになっていたっけ。

「あなた、辞めてどうするの」というのが、最後の言葉であった。
それも、ちょっとバカにしているような。
でも、気のせいかもしれなかった。
私の。

でもねぇ。
「嫌な人が一人もいない世界は楽しくない」と何かの本に書いてあった。
分かっちゃいるけど、変えられる環境は変えていいのだと考えるようになって、楽にはなれたと思う。
「逃げていると追いかけてくる」という言葉も思い出される。
「ああいう人」「そういう人」というのは、どこの環境にいてもある一定、出没するものなのだろう。
やはり、必要なのは鈍感力か。

とにもかくにも、今はあの環境には今はないのだ。
夢ではまだ仕事をしていて、追い立てられるような感覚で目覚めることがある。
しばらく続くかもしれない。


ーーーー

今年の年賀状に、「支援の仕事に戻りたいです!」と何人かの人に向けて書いていた。
「再チャレンジ」という訳だ。
3月の中旬に募集要項が発信されて、本当に気楽に問い合わせをした。
2校に絞って問い合わせた。
1校目は、すでに人材が決まっていた。
とても正直な教頭さんで、
「KAZUさんのように支援員やりたいですお申し出る人はなかなかいないんですよ。
こちらからどうにか頼み込んでやっと人材を確保する、ような」と。
応募はできなかったが清々しさがあった。
そして、2校目。
これも結局、こちらから辞退することになった。
近所に住まいがある人から優先的に採用するとのこと。
私はその市内には在住していないのだ。
3年ほど前までは住んでいたが。
3月末で辞めたパート先に比べると、断然近いのだ。
でも、そういうところは、分かっちゃもらえない。
5時にアラームを設定する必要もないし、乗り換えだってない。
半分の時間で通勤できるのだ。
「送ってくださった申込書、いかがいたしましょう」と言われ、処分を申し出た。
ちなみにそこは、1名の枠に私含めて5名の応募があったらしい。
4名の人も、何だかの形で選考が必要になるだろう。
しかしである。
昨日の夜。
着信が残っていた。
その学校であった。
申込書は処分されているはずである。
今さら、どうしたというのか?
まぁ、間違いだったのかもしれない。
今日は、雑事をこなしながら、電話も気をつけておこうと思う。
昨日は、留守電を設定していなかったんだよなぁ。
たしかに、こちらから問い合わせて見るということも出来るだろう。
しかし、私はあえて待つのだ。
といっても、長くは待たない。
明日になれば忘れたいと思っている。
想像はした。
私以外の4名の中で行われる選考に私も含めようという方針になったとか。
住まいが遠いというただそれだけで、面接もせずに済ませたことが気がかりになったとか。
はたまた、4名の選考がうまくいかず(親しい4人組か何かで)結局4人とも辞退してしまったとか。
他の学校の教頭に頼まれて、斡旋しようかしらと考えられたとか。
辞退を決めた時、私は他の学校を当たってみます、と言ったのだ。
しかし、結局アクションを起こしてはいないのだ。
しばらくは、休もうとか、少額だろうけど失業給付を受けてもいいかなとかね。

まぁ、支援の仕事を再チャレンジすることは目標ではあったけれど、無理はしない。

今はリフレッシュ期間としようじゃないか。


KAZU |MAIL