原案帳#20(since 1973-) by会津里花
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2003年05月21日(水) 弱っちいのぉ>自分 (いつもの)北風と太陽 誰からの「被害者」?

★1・弱っちいのぉ(-_-;>自分
★2・北風と太陽(その1
★3・北風と太陽(その2
★4・わたしは誰からの「被害者」?



★1・弱っちいのぉ(-_-;>自分

原案帳#22http://6114.teacup.com/jackiematthews/bbs』にも書いたけど、
クスリのコントロールを誤って、精神的にちょいへばり気味になってしまった。
今日は気をつけよう……
あと、それ以外の体調管理も、ちょっとしっかりしよう。

いろんなところに「鬱がぶり返すスイッチ」が転がっていて、たーいへん。
でも、メゲてる場合じゃない。

てなこと言ってる今はもう[12:17 03/05/21]。あうう、なんてこったい。

忘れないように。キーワードは:
個人の性の尊厳
自然は多様性を愛でる。
この2点に基づいて、まずは
・行政書類などの「性別欄」原則廃止
・戸籍の性別訂正
を求めていく。

あと、こまごましたことをもろもろ考えていかなくてはならないけど……

それは、気分を変えてから。

性転換までしたくせに、気分転換はヘタクソ(笑)

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★2・北風と太陽(その1

某所への書き込みです。
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男性のステレオタイプが問題視されないのが「大きな問題」 投稿者:じゃっきー  投稿日: 5月21日(水)15時38分16秒

>でも、それは今までの風景との別れでもあるのだけれど。

そう、そう!
男性が与えられた(わたしからすればとても狭い選択肢しかない)ステレオタイプに鋳型のようにはめられて、ところがそれがほとんど問題視されない、あるいは声をあげようともしない、という状況こそ、今までの風景にしがみついている、ということなのではないでしょうか。

わたしがこの間、自分と隣接する問題で「う〜ん」とうなってきたこと:
・男性の性被害について考えるHPが(たぶん)一つしかない
・KS(クラインフェルター=「男性」の性分化異常)の自助グループが日本に一つしかない

いずれも、たとえばそれと対比して
・女性の性被害について考えるHPも自助グループも多数ある
・ターナー女性(これも「女性」の性分化異常)の自助グループが日本に多数ある
ということをあわせて考えると、むしろ男性のほうが「ステレオタイプから外れる」ということについて考えるチャンスがない、ということになります。

正直、この発見にはびっくりしました。
女性は20世紀後半から今世紀にかけて、もちろん置かれている状況の緊急性が高かったから、ということはあるけれど、自分のことをステレオタイプでない視点で考えることを始めてきたのです。
ところが、男性には相変わらず薄っぺらな価値観しか与えられていないのでは?
これは由々しき問題ではないか、と思うし、女性がいくら自らの側は変わってきても、男性が相変わらずでは、受ける被害もいつまでたってもなくならないと思うのです。

わたしは自分の問題として、自分のもつ「加害者性」にとても苦しんできました。
そのことの解決は、ある意味で自分自身も「被害者」なのだ、と認識することでしかないように、今のところ思えます。
(ええと、だからといって事実としての自分の「加害」を「なかったことにする」わけではありませんので、誤解されませんよう)
そうして、自分自身を自分だと認めることから、初めてわたしの心の平安も、予感でしかないけれど迎えることができるのだ、と思います。
(加害者性のみの認識→極端な自己否定→自分自身と向き合うことも否定→問題はそのまま)
(うまく言えないけれど、自分に加害者のレッテルをいくら貼っても、ちょうどDV加害者が「オレが悪かった。許してくれ」→ハネムーン期→ストレス蓄積→爆発=DV加害→加害者意識→「オレが悪かった……」という悪循環を繰り返すのと同じような感情の動きにしかなっていないことを自覚したのです。それはわたしの日記『原案帳#20』http://www.enpitu.ne.jp/usr5/51752/を読んでいただければ、たぶん今年になってからもまだその繰り返しをやっているところをはっきり読み取っていただくことができると思います。自分でもいつまでやってんだこのバカ、と呆れてしまいますが)

過去の加害をいくら「反省」しても、今の自分を受け入れてやることができなければ、どんな「反省」も上滑りなものになってしまいます。
わたしはそのことをしっかり自分のものとした上で、もしかしたらまだわたしとのことが心の傷になってしまって苦しんでいるかもしれない元パートナーと「和解」したいです。
謝るべきことは心から謝る。
けれど、今のわたしはわたしとしての尊厳をもって、その上であなたの存在を尊重し、尊敬します、と。

あとひとつ。
「性の尊厳」ということを重要視したいです。
ただ、その尊厳は、あくまで「個々人の持つ固有の性」を尊厳することだと思います。
決して「男はかくあるべき」「女はこうするものだ」というような、ごく簡単な標識「男/女」だけで決め付けることはできないと思うのです。
現実の「男」はどんな人?「女」は? それを捨象して鋳型にはめても、収まりきらない人が苦しむだけです。
「個々人の持つ固有の性」、縮めていえば「個性」ですよね。

最後に。
映画『ロバート・イーズ』にも出てきた言葉で、ハワイ大学のミルトン・ダイアモンド博士という人が言ったらしいのですが、

自然は多様性を愛でる。

この言葉が大好きになりました。
これはすぐれて科学的な言葉であり、同時に多くの「個性」にとって救いの言葉ともなるのです。

なんかぶちまけてしまいましたが。

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★3・北風と太陽(その2

杏野坂http://www.harikatsu.com/sose/bbsboard.htm」への書き込み。
前に叩かれた経験から、正直とても怖い。
けれど、書き込まずにはいられなかった。
ああ、なんてトラブルメイクなわたし。

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[8727] 北風と太陽 投稿者:berber 投稿日:2003/05/21(Wed) 18:50

こんにちは。

うまく言えないけれど、現実的に考えて
・現在の法律案を法律として成立させる
・その上で「頭の固い人たち」に対しても認識を変えうるような啓蒙活動をあわせるかたちで「子持ち」「婚姻」についてもハードルを下げていく
 (でも時間はかかるでしょうね)
・たとえば、今度の法律案に対して「修正案」を提示しておく
 (原案でも可決の可能性が低いのに更に「修正案」ではなおさら成立の可能性は低いけど、「全く知らない人たち」に対しては有効なアピールだと思います)
という方法がいいのではないでしょうか……

自分自身の気持ちは気持ちだけれど、「頭の固い人たち」の存在もまた現実なんですよね。
わたし自身、今では当事者として「頭の固い人たち」の存在が実はちゃんと理解できなくなっているけれど、ほんの数年前までは自分で自分の存在を否定するかのように、当事者の存在など知りもせずにいましたし、「性転換なんて妄想、非現実的(だから自分の心の奥底にある気持ちも妄想で非現実的!)」としか思っていませんでした。

確かに「今ある条件つきの法案を一度通してしまったらそれでおしまい」という危惧はもっともだと思いますけれど、古いものを新しいものに変えるには、多くの時間と多くの手間(何段階もの段階とか何人もの人たちの説得とか)がどうしても必要だと思います。

(たとえば「DV防止法」は「画期的」なもののように言われているけれど、現状の法律では決してDVを「防止」することはできません。
なぜなら、「加害者が加害者にならないための方策」は何一つうたっていないのですから。
この法律をただ単に「加害者を処罰する(こともできないわけではない)」程度の状態から、本当に「DVを防止する歯止め」としての法律に変えていくには、まだまだ多くの人々の啓蒙と変革の努力が不可欠なのです。
それでも、あたかも「無」が「有」に変わったのと同じくらい、「DV防止法」の制定には大きな意味があるのです。
少なくとも「民事不介入」として「家の中のことに刑事は入れない」つまり家族関係にありさえすればどんな理不尽な暴力が行われていても加害者は野放し・被害者は泣き寝入りだった、そういう状況は許されない、ということがはっきりしたのですから)

また、当事者や理解ある支援者がそのように声をあげていくことで、現状の性に対する固定的な価値観をゆるやかにかつ広く変えていく大きなきっかけにもなるのではないでしょうか。

わたし自身も法律案の骨子を最初に見た時にはとても感情的に反応してしまいましたし、他の方たちの危惧する意見を拝見していても、もっともだと思います。
でも、そんなことにはおかまいなしの「ぜんぜん知らない人」「関係ない(と思っている)人」が、まだまだたくさんいることを、わたしたちは忘れてはいけないのではないでしょうか。
そういう人たちにとっては、現実の当事者とその家族の姿ではなく、図式化された教科書の絵とそれにある程度合致する自分自身の家族という現実だけが根拠であり、その範囲で「子持ちはダメ(家族の図式が壊れるから)」という単純な判断をしてしまうことは、当事者の本当の姿を見るまでは「もっともなこと、しごく当然」なのではないでしょうか。

わたしは、今度の法律案に対して、「決してこれだけでは終わらせない」という強い決意をもって、支持したいと思います。

ただ……、現状ではわたしは自分の子に対しても、別れた元配偶者の人に対しても、守ってあげられるような何もできないので、今度の法律案がそのまま成立してしまうことに対してものすごい不安があるのは確かなのですが。
(だからここにこんな偉そうな意見を書くこと自体「身のほど知らず」と言われても仕方ないことです。けれど、ほぼ2昼夜考えたけれど、わたしと同じような意見は出てきていないようなので、あえて書き込ませていただくことにしました)

最後になりましたが、結婚歴のある方、子持ちの方、多くの方が今度のことがきっかけで書き込みをされたのを読んで、わたしはとても励まされましたし、また自分が他の方たちと比べてやっぱりまだまだ「甘い」ということをとても恥ずかしく感じます。


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……やっぱり怖くて削除してしまった。
ほんの少し叩かれたくらいで、もうこんなに臆病になってしまう。
叩く人にとっては面白くてたまらないだろう。
でも、そういう「コントロール・支配欲求の充足」は、そうしたがる人自身が精神的にかなりやばいのだけど。

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[8729] 大変申し訳ありませんでした 投稿者:berber 投稿日:2003/05/21(Wed) 19:07

[8727]のわたしの意見はやっぱりあまりにも僭越と思って削除してしまいました。
書き込むことも削除したことも、こちらを訪れる皆さんに大変ご迷惑をおかけしたことと思います。
大変申し訳ありませんでした。

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余計なことばかりで消耗せずに、もっと実りあることをするべきだ。>自分

(ていうか、やらなくてはならないことをやってなくて、気が狂いそう……
お医者さんの指示とは違うけど、やっぱり少し安定剤を入れたほうがよさそうだ。
副作用=PRL分泌過多もあるけど(;_;))

バカみたい。[8729]も削除してしまった。

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★4・わたしは誰からの「被害者」?

ところで、上の記事(北風と太陽その1)の中でわたしは「自らを『被害者』と認識すべき」と書いている。
たぶん、わたしを苦しめて喜ぶ人は
「バーカ。おまえは加害者でしかないんだよ。責任転嫁するな。みっともない」
と、わたし自身もついそう思ってしまうようなことを言ってわたしが苦しむのを見たがるだろう。

正直なところ、わたしは自分が誰かからの「被害者」である、というようなことをあまり正々堂々と書きたくない。
これは、というよりこれ「も」、もしかしたら「男っぽい感情」なのかもしれない。
「人のせいにするな。甘えるな」という言葉が、多くの人から浴びせられそうで怖い。

それに、わたしにとってはこのことを明らかにするのは、いわば「死者を鞭打つ行為」になってしまうので、そんなひどいことしたくない、ということもあるだろう。

でも。
あえて明らかにしよう。
それをはっきりさせ、しっかり見据えるようにしないと、今生きている人たちに大きな迷惑をかけてしまうことになるから。

わたしにとっての「加害者」は、亡父だ。
父自身はもう亡くなっているので、今更「謝れ」だのなんだのできるわけではない。
けれど、父がわたしにしたことの中に、わたしが自分のことをどうしても認めることができなくなるようなことが、かなり多く、あるいは大きく含まれていたのは事実だと思う。

……以前書いたことがあるけれど、今は詳しく書く気がしない。
他のことでも自分を追い込んでいるので(だからこんなことを書いているんだけど)、これ以上書くことで自分の心に必要以上に波風を立てたくはないのだ。

今では、わたしはもう父を「憎い」とか思わない。
でも、そのせいでつい曖昧にしてしまうけれど、父がわたしにしたことの中で明らかに過ちであった部分ははっきりとそのように認めなくてはいけない。
過ちは過ち。
それを何かそうでないもののように扱ってしまったら、わたしは父と同じようなことをして、わたしの傷を他の誰かに対して「連鎖」させてしまうだろう。

過ちは排除して、でも父の人格は人格として認めて。
……うう、いきなり自分が考えた「公式」にあてはめようとしても、難しいや。

でも、それができたら。
それが、できたら。

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……と書いて、見返したら。
なんだかこれ、『残酷な神が支配する』みたいだな。
グレッグは死んでからもジェルミを支配した。
物語の結末に至っても、その支配は決して消え去りはしていない。
ジェルミは、その支配といわば「やわらかに付き合う」ことを覚えただけだと思う。

……ふぅー……
やっぱり、思い出すのはつらい。
つらいっていうことは、やっぱりわたしにも同じような「被害」があったからだろうな。

お父さん。
「ぼく」は、もうあなたのことを「許さない」という気にはなれません。
けれども、あなたが「ぼく」にしてしまった「過ち」は、はっきりと「過ち」として認識しようと思います。
「ぼく」の最愛の人のために。

お父さん。
「ぼく」は、その人を守るためになら、あなたの「敵」になることも、いとわない。

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