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- 2001年11月24日(土) 「土曜日」ということ / むかついた理由
★1・「土曜日」ということ
★2・むかついた理由
★1・「土曜日」ということ
過去に関する原案帳に、
1992年11月21日(土) 愛してる。
という記事をUPした。
実は、書き込む前に書き込み欄を開いてみたら、曜日が「土曜日」になっていて、
とてもびっくりしてしまったのだった。
なんという偶然!
私のお誕生日も、同じ「土曜日」だ。
はっきり言って、「あーわかったわかった(つきあってらんねーよ)」という感じのことがらだけど、
今の私は、そんなささいなことでも、とてもほっとしてしまうんです。
★
あと、私はよく「世代論」みたいなのに拘るけれど、
父:1910年生まれ
(10歳差)
母:1920年生まれ
(40歳差)
私:1961年生まれ
(31歳差)
子:1992年生まれ
と、(実は少しずつずれているけれど)だいたい「〜十歳離れている」と見てしまうことのできる年齢差なのだ。
Uくんが生まれたとき、父は生きていれば82歳だったことになるし、
生きていた母は72歳だった。
母は、自分の血のつながった孫がそんな高齢でようやく授かったことを、とても喜んでいた。
(彼女は自らの戦争体験から自分が「生きている」だけでもとても感謝し、
さらに私や弟という自分の「子」が高齢出産ながら授かったことにもとても感謝していた。
感謝だけで全てが終わってしまってもいいほど、感謝していた。
それはほんのちょっと羨ましい気もする。
でも、実は母は「感謝」にすがりついていたのだ、ということを、
今は少し醒めた目で思い起こしている……)
★
そうそう、この日記の機能を使って、父と母の生まれた「曜日」を出してみた。
あんな昔のことなのに、わかるのかしら……??
あ。出た。
父は「日曜日」、母は「木曜日」の生まれだった。
元パの「誕生曜日」は、調べなくてもわかっている。
「日曜日」だ。
だって、私と8日しかお誕生日、違わないもん!
1週間は7日で、私が「土曜日」なんだから、彼女は「日曜日」よ。
★
私と元パは、とても似たところと、とても違っているところがあった。
でも、全体的には、かなり似ていると思う。
だからこそ惹きあって結婚までしたのだろう。
でも、「似て非なるもの」は、「水と油」よりも難しい面があるのかもしれない。
私が心の中で、自分でもほとんど気がつかないくらいに思っていたとおり、
最初から同性だったら、適度な距離がとれて良いお友達になれたかもしれないのに。
……ああ、そうだった。過去は「変えられないもの」の世界に属するんだっけ。
いつまで引きずるつもりだろう。
足にまとわりついて、すっかり前へ向かって歩けなくなっちゃったじゃないの。
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★2・むかついた理由
今、ソリティアやってたら、気が付いた。
そっか、やっぱり「アンチ萩尾望都スレッド」なんて見たから、
自分の気持ちにあんまり素直じゃない、っていうか、
まだはっきりと「萩尾批判」したり聞いたりするのに慣れてないから、
それで落ち込んだ気分になっちゃったんだ。
もうバレてるかもしれないけれど書き込みもしたし。
しかも、自分で自分の足にけつまづくようなことしてるし。
バカみたい。
なんにも食べてないなあ……
なんか、他の掲示板とかでも、ちょっとヘンなこと書いてとまっちゃってるみたいだし。
私のせいだけじゃないんだろうけど。
ああ、なんか私、今、やっぱ、おかしいよ。
文章も、おかしな倒置とかばっかりして、文法壊れたり捩れたりしてるし。
今日、土曜日だよね。
ああ、そうか、それは上にも書いたっけ。
さっき、ばりゅちゃん、私が何にもしてないのに突然「再起動」した。
とってもコワカタ。
2ch文法。
だいぶ慣れてきた。
でも、それ自体、まだまだ怖い。
化石になってるような気分。
お金がない。
なのに新設した「お知らせですよ〜」のコーナーにはあちこちに出かけることなんて書いてるし。
こういう私のちぐはぐさに、憤りを感じる人も多いだろう。
自分でも、また自分が許せないような気になってくる。
……でも、でもさ。
塞ぎこんでても仕方ないじゃない。
前にも書いたけど、……っていうか、前は書かなかったことまで書くけど、
私にとって「秋」は鬱に入りやすい怖ーい季節でもあるけれど、
同時に何か新しいことに取り組み始める季節でもあるの。
そうして、意図があってもなくても、私が秋に始めたことは、
いずれにせよ私自身の価値観にそったことばかりなのだ。
実は、私は「自分の思ったとおりに生きている」。
そういえば、テロ戦争以来の世界の情勢も、
私がテロ直後に「私の思いとはかけ離れてしまった」などと書いたけれど、
なんだかんだいってほぼ私の思ったとおりに収束しつつあるようだし。
ただ、アメリカが介入しないで現地の民族が互いに納得できるまで、
なんていったら、下手をするといつまでたっても終わらない「血で血を洗う争い」
になってしまうのだ、という現実も、はっきり見せられた。
イギリスのIRA闘争なんかがあれほど熾烈で陰惨だったのは、
強力に介入する第三国がなかったからかもしれないし。
今はだいぶ、様子が変わってきたけど。
でも、それでも当人たちが納得できるのであれば、
悲しいけれどまだましなのかもしれない。
少なくとも、(もちろん私もそうだけれど)イスラムのことなんか
これっぽっちもわかっていない(たとえば「ラマダン中も戦闘を継続する!」と叫ぶ大統領を戴くような)「強い国」が
強制的に民族の抱える矛盾を「なかったことにして」
「平和」を押し付けるよりは。
それでは、弱者が真っ先に滅ぼされていくじゃないか、というのは
言われれば返す言葉がない……
私は「偽り」であろうと「戦闘状態」よりも「平和」が好き……
戦争は、マッチョだったり空間把握に長けたりして戦闘能力がより勝る、
「オトコ」のためのものだから。
いくらオトコばっかり生き残っても、人類は生き残れはしないから。
あーあ、けっきょく自縄自縛。
二つのことをいっぺんに言って、それがまるで正反対なんだもん。
なんなのよっ。>自分
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