日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2001年11月14日(水) 氾濫する記憶

最近どうも、ふとした拍子に何かを思い出すことが多い。
何故かしら。
特に、去年の冬の記憶が頻繁に出てくる。
冬の匂いで思い出すこともあれば、何故か今日の帰り道、
目の前を歩いていたお水っぽいオネェサンの茶色い髪を見て、思い出したりもした。
昨年末から、今年のお正月にかけての、別にどうということもない記憶たち。
頭の中の記憶の引き出しが、ちょっと乱れてきてるのかしら?
それとも、文化祭が終わって急に仕事が減ったから、
使用量の減った頭が、空白を埋める為に記憶を引きずり出しているのかしら?
まぁ何ともケナゲなあたしのシナプスたちです。

わたしのために争ってくれるものがあれば
もはや、わたしは黙って死んでもよい。
          ――ヨブ記 13章19節

今日は学校のキリスト教強調週間の特別プログラム日で、授業が無かった。
講師でいらしたH先生の講演を拝聴し、グループ別自主活動をして、
クリスマス礼拝で歌うハレルヤの練習をして、最後に感想文を書いた。
グループ別自主活動で、あたしは点字聖句作りを選んだ。
視覚障害の方々のおられる教会に送るのだそうです。
そこであたしが選んだのが、↑の聖句。旧約聖書のヨブ記から取った。
点字の基礎を習って、地道な手作業。
とっても楽しかったです。

何故この聖句を選んだのかは、よく分からない。
友達がいないという訳でもないし、寧ろ良い友達に恵まれている。
あたしは世人に胸を張って言えますよ、
あたしの友人達は、きっとあたしの為に争ってくれると。
同じように、あたしも友人達の為に争うだろうと。
……ああ、だから選んだのかも知れませんね。
色々な多くの人々と出会って、話して、心を動かして、
心の自然淘汰の結果、繋がることが出来たのが、今の友人達なのだ。
人は一人では生きられないというのは、本当だと思うのよ。
幾ら冷めたあたしとは言え。
一人で生きていく人生は、心の輝きが足りなくて、薄っぺらい価値観に埋もれてしまうでしょう。

新約聖書で好きなのは、ミステリアスでオカルトチックな『ヨハネの黙示録』。
旧約聖書はどれも殆ど好きだけれど、何故か『コヘレトの言葉』に強く惹かれる。

コヘレトは言う。
なんという空しさ
なんという空しさ、すべては空しい。
          ――コヘレトの言葉 1章2節

こんな言葉で書を始めたコヘレトは、

若者よ、お前の若さを喜ぶがよい。
青年時代を楽しく過ごせ。
          ――コヘレトの言葉 11章9節

と言う一方で、

心から悩みを去り、肉体から苦しみを除け。
若さも青春も空しい。
          ――コヘレトの言葉 11章10節

と、否定をする。
コヘレトの言葉は辛らつで、やけに重たく響く。

太陽の下、労苦してきたことのすべてに、わたしの心は絶望していった。
          ――コヘレトの言葉 2章20節

彼の人生に、一体何があったのだろうか。
カミュの小説と似たような哀しさが、私の心を捕らえて放さない。
けれどこうして彼の言葉を深く捉えようとする私の行為すら、
彼はただ「空しい」と言って否定するのだろう。

ただし見よ、見いだしたことがある。
神は人間をまっすぐに造られたが、
人間は複雑な考え方をしたがる、ということ。
          ――コヘレトの言葉 7章29節


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東風 [MAIL]

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