日記病者

For God so loved the world that He gave His only begotten Son,
that whoever believes in Him should not perish but have everlasting life.
John 3:16




2001年11月13日(火) 返らないものほど人は愛しむもの。

友人から非常に懐かしい漫画を借りて読んでいる。
『美少女戦士セーラームーン』だって。懐かしい。
私が小学生まっしぐらだった時の漫画です。
今読んでいるのは、まだ4巻。
つい先日から読み始めたものだから、そんなにたくさんは読み進んでいない。
でも話の展開は相当早くて、3巻の最後で、第1期のボスキャラと対峙してるの。
懐かしい、こんなベタな話が大好きだったんだわ…と思いながら読んでいるけれど、
これでなかなか。馬鹿に出来ないわ、私の涙腺の弱さ。
何度か泣いてしまいました。セーラームーンとタキシード仮面が死んじゃう場面だとか。
だって、松田聖子さんのプロモーションビデオで泣いたこともあるのだから。
あれは何の曲だったかしら。
確かご自身で作詞された曲で、愛娘を歌った歌だったと思いますが、
ちょうど起き掛けにそのプロモーションビデオを拝見して、
そのストーリー展開と歌詞で泣いてしまいました。
歌で泣いた話といえば、まだまだ腐るほどあって、
例えば紅白で、さだまさし氏が、これまた曲名は忘れたのだけれど、
上京した息子にお父さんが
「元気でいるか」「仕送りは足りてるか」
「母さんにたまには電話でもしてやれ」
などなどを語りかける歌で、感涙した。
ありきたりなところで言えば、浜崎あゆみさんの『A SONG FOR XX』でも泣いた私。
でも別に、泣くのは恥ずかしくない。
涙を武器に使う女は嫌いだけれど、何かに感動して泣けるのは良いと思う。
それに泣くのって、結構カロリーも消費する。
泣けるだけの体力があるなら、言う事無いと思うのです。

懐かしい漫画を読みながら、そういえばあたしの小学校時代は何だったかしらと考える。
小学校時代と言っても、それは六年間もあって、
一言で表すには余りに漠然としすぎている。
本当に、何だったんだろうなぁ……。
けれど、何か特定のものではなしに、あの有り余るような若さは懐かしく感じる。
今だって若いことは若いけれど、溢れ出せるほどには幼くない。
若さと精神的幼稚さは、比例すると思うの。
『知識が増せば痛みが増す』とか何とか言った聖句があった気がするが、
それは本当で、大人になってくると、大抵の人は『無茶』が出来なくなる。
無茶をしないまま過ごすから、人は最低限のエネルギーしか生産しないようになってきて、
それがつまり、老化になるのではないかと思う。
まぁこれは飽くまで抽象的な話で、何の根拠も無い説なんだけれど。

古典の時間、担当の先生がふと、昔の思い出話をなさった。
定年の近い先生で、気の良い女性。話は、彼女の子供の頃の或る記憶だった。
その話は特に何ということも無くて、ありふれた昔話と言えばそれまでだったが、
話される先生の表情が、何とも言えず私の心を捕らえた。
人が昔話をする時の顔は、とても好き。
返らないものを愛おしむ表情は、誰もがし得る表情で、
普遍的に人々の共感を呼ぶ。
『昔』という時は、もう二度と返らないからこそ
私たちのなかで輝くのだろうけれど、
『遥か過ぎ去った過去』として思えば、大して必要性の無い俗物だ。
けれど、だからと言って過去をあっさり受け止められる程、
私たちは合理的になれない。
そういう部分が、人間らしさなのだろう。
確かに、いらないものほど綺麗だったりする。
ダイヤモンドなんて、たかが炭素の共有結合の結晶なのに。
極端な話、洋服だって無用の長物だわ。
太古の昔は、アダムとイブだって何も、木の葉さえ着けていなかった。
理性やら知性は、自然界には不要だものね。
けれどその不要な理性や知性が人間のアイデンティティなのだから滑稽だ。
いらないものを切り捨てられない人間性は、
そういう奇妙な矛盾から来てるのかも知れない。

ちょっと真面目な考え事をしてみたら、疲れました。
漫画の続きを読んで今日も眠ります。


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東風 [MAIL]

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