こしおれ文々(吉田ぶんしょう)
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| 2005年10月12日(水) |
太田君に捧げる吉田祝辞その�� |
料理番組では、 出される料理は美味しいことが当然であって、 グルメリポーターは、 うまいかまずいかではなく、 どんな風に美味しいのか、 その辺にある店とは どんな違いがあるかを表現することが求められます。
映画評論家は その映画のどんな点が素晴らしいのか、 どんな意味がこめられているのか、 素人が気付かない点、 それが細かければ細かいほど 評論家自身の評価につながっていきます。
テレビや雑誌など、情報発信の媒体は、 他との差別化を図ることで 消費者にどれだけ消費されるかを競ってきました。 消費者がそれだけ飽きやすく、
常に新しい刺激を求めているという背景があるからでしょう。
どっかの偉そうなコメンテーターみたいな文章ですが、 別にそれが悪いわけではありません。
どちらかというともっと競って面白くしてくれと言いたい。
ただし、その評論家根性は いつのまにか日常生活にも蔓延し始め、 ・いかにも最もらしいことを言うこと ・他人が気づかない点にふれること
それが美徳のように扱われている気がします。
俺って賢いぞアピールですな。 ネットの世界にはウジャウジャいます。
かくいう私もこうして【ぶんしょう】を書いているとき、 物語のときは特に、 こう書けば読者が面白いと思うだろうとか、 こういう表現が吉田っぽいかなとか、 逆にこう書けば読者が混乱するからわざと使ってやれなどなど、 自然にやってしまうものです。
そんな技術を多く持ち合わせている人が 【筆が立つ】人々であり、 書くことで収入を得ることが出来る人々なのでしょう。
技術の鍛錬は必要であっても、 あくまでそれは 読者を楽しませるという目的があって必要になる訳で、 技術を持つことが目的になってはいけません。
俺って賢い☆ってことをアピールされても はた迷惑なだけです。
私は素人です。
面白くないからといって プロデューサーに怒られることはありません。
目の前の料理が どんな風に美味しいかを表現する必要はないのです。 まずくて喰えない代物が出てくることだってあり得るでしょう。
映画を見たとき、 さっぱり意味がわからない結末でも、 正しい意味を解き明かす義務だって あなたにはないのです。
だってあなたも素人ですもの。
【これは小さい一歩でも人類にとって大きな一歩である】なんて 月に着く前から考えつくような 偉そうな言葉なんて 誰も期待してはいないのです。
つづく。
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