samahani
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2004年01月16日(金) ないものねだり

昨年末、ひとりで実家に帰った私に、「どうして帰って来たの?」と母が言った。「コタツでみかん食べながら紅白歌合戦を観るため」と応えたら、母は呆れ顔で、「そんなこと恥ずかしいから人には言いなさんな」と言った。毎年、当たり前のようにそうやってきた人には、アメリカのお正月がどんなに寂しくあっけなくて、私がどんなに日本のお正月を恋こがれていたかなんて理解できないのだろう。

最近の私は、ちょっと異常なくらいに日本のものが恋しい。畳に座りたいがために、夫を誘ってお茶会に行き、お点前をニ服もいただき、足が痺れても笑顔で我慢し、茶道は高校のクラブ活動以来で、作法もすっかり忘れて焦ってしまっても、すまして取り繕い、ああよかった、やっぱり日本のものはいいねぇとしみじみする姿は、自分で言うのもなんだが、けなげでさえある。

今回の帰国でも、いつもならスーツケースいっぱいに日本食を持ち帰るところを、行燈や、抹茶茶碗や、茶せん・茶杓、暖簾、手ぬぐい等の日本的なものでいっぱいにし、挙句の果てには、おせち料理が入ってきたプラスチック製の重箱まで欲しがり、持って帰って飾っておきたいと言い出した私に、母は哀れみさえ感じていたかもしれない。

そんな私だから、今回の帰国で友達の家に行った時には、内心ちょっとばかり驚いた。私と同じ時にワシントンに来て4年後に日本に帰ったその友達が、東京の郊外に新築した家は、アメリカンハウスだった。アメリカからの輸入資材を使った注文住宅のその家は、私が今住んでいる家とまったく同じ。窓が半分しか開かないし、畳の部屋はないし、前庭が芝生で塀も垣根も無い。

そう言えば、「できるなら、アメリカに、もっとずっと居たいんだけど」って言ってたなあ、そんなにもアメリカが好きだったんだって、そこまでこだわって建てた家をみて、つくづく思ったのだった。

周りから浮いているように見えなくもない、その家。それは、アメリカで異常なまでに日本を恋しがる私と同じで、お互い、ないものねだりをしているって事なのだろうなと、帰る道すがら、私は我が身を振り返った。



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