samahani
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2002年11月04日(月) 家族のかたち 1

アメリカに来てから、いろいろな家族形態を見てきたので、とても変わった家族を見てもあまり驚かなくなった。

これまでで一番驚いたのは、おかあさんがふたりに息子がひとりという家族だ。息子1が幼稚園に行っていた頃、クラスで「おうちの人全員の絵を描きましょう」というプロジェクトをした。息子が「パトリックのうちはおかあさん2人とパトリックなんだよ」と言うので、「まさかぁ 女の人みたいな名前の男の人でしょ?」と言ったほど、当時の私には奇異にうつった。たぶん、レズビアンのカップルが養子の子どもを育てていたのだろう。

アメリカでは養子縁組がとても多い。そしてそれが、一般的なことでもあり、(ときに)善意で行なわれることでもあるからなのか、養子であることを子どもにも周りにも隠さない。

息子1が幼稚園で仲良しだったふたごの女の子の家に初めて遊びに行った時、おかあさんが、わたしに紅茶を淹れてくれながら、「この子たちはadoptionなのよ」と子ども達のまえで言った時には、カルチャーショックを受けた。親しく話をするのも初めてで、英語もおぼつかない私にどうしてそんなことまで教えてくれるのだろう、しかも子どもも傍にいるのにと思った。

父親と母親はユダヤ人で、ふたごの女の子はペルーから来た子だったから、言われてみれば、なるほどとすぐに分かることだったけれど、当時、いろいろな家族の形があることをよく認識できていなかった私には、見えてはいても、考えてみたこともないことだった。

養子縁組は、子どもが出来ないからという理由だけで行なわれる訳ではない。クリスマスに、あるクリスチャンの家庭に呼ばれて行った。そこには4人の女の子が居て、ふたりは白人、ひとりはアジア系、ひとりは黒人の子だった。どういう関係なのか分からなかったので訊ねると、自分たちの子どもはふたりで、あとのふたりは養子だよと言われた。(金銭的なことも含めなかなかできることではないと感心した)

そういう経験をいくつか重ねて、周りを見てみると、明らかに両親と違う髪の色や目の色をした子どものいる家族がある。同じ人種の子どもを養子にしているケースも含めたら、この国での血の繋がりのない親子の例はもっと多いのではないかと思う。

アメリカ人は、日本人ほど「血の繋がり」を重要視せず、その人を決定するのは、血筋より育った環境だと考えるからなのだそうだ。


(まだまだいろいろある家族のかたち、2に続く)


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