samahani
indexpastwill


2002年03月11日(月) みんな前へ倣え!

誰しも記憶にあると思うのですが、幼稚園や小学校低学年のころ先生に言われましたよね「まえへならえ!」って。短い列の時は「小さくまえへならえ」でした。

鈴木宗男の証人喚問のことが、多くの日記で取り上げられているのを見て、「前へ倣え」を思い出しました。ちょっと、風が吹けば桶屋がもうかる式の話なんですが・・・。

わたしは国会中継も見ていないので活字でしか知らない訳なんですが、以前も、webのテキスト上では知っているけれど、自分で見たわけではない(と言ってもテレビでなんですが)という似たようなことがありました。工藤静香が妊娠していることが発覚した時の木村拓哉の記者会見です。

Webのテキストでは、みな一様に、木村拓哉カッコ悪い、がっかり、静香に嵌められたというような悪い印象の感想しか伝わってこなかったので、わたしも漠然とそういう印象を持っていました。けれど、ちょうどその時期に日本に帰っていた人が、「木村拓哉はカッコよかった」と言ったのを聞き、ショックを受けました。一部の人の意見を鵜呑みにする恐ろしさを思うと同時に、否定の声をあげる方が大きく取り上げられ、主張しやすいのだと改めて思ったのです。

きょうは9月11日のテロからちょうど半年だと朝のラジオで言っていました。そのテロの後、9月下旬に予定されていた、日本人学校(土曜日の日本語補習校)の運動会が中止になりました。非常時に多くの人が集まるとテロの標的になりやすいとかなんとか、保護者の一部から中止要請があったそうです。でも、集まると言っても、せいぜい700人〜800人です。テロ後も野球の試合など変わらずに行われていたけれど4万人もの人が球場に集っているのです。

わたしは、そういう理由で運動会が中止になったことに納得のいかないものを感じました。
中止にしてほしいと言う声が日本語学校事務局にいくつ届いたのか知りません。500人の生徒(約350の家庭数)のうち10件も反対意見があれば、それは大きな数字なのだろうと思います。けれど、当然、予定通り運動会があるだろうと思っていた人の声は届くことなく無視されてしまったのです。

日本人学校の校長先生は、何かあったときに責任をとる必要があるのでしょうか。1%にも満たない有事の可能性の責任をとるために、中止にしておけば事なきを得るというやり方で、学校は、教室での勉強より貴重な経験をする機会を奪ってしまってもいいのでしょうか。

子どもたちが通っている現地校では、遠足でも、性教育などの特別授業でも、親の判断で、そのつど参加・不参加を決めることができます。(学校の名簿に名前を載せるかどうかも選択できます)現地校には運動会というものはありませんが、もしあるとしたら、それも参加させたくない親は行かないという選択をすることができるのです。

前へ倣えで、みんなおんなじ。責任は、学校(校長)がとるというやり方はどう考えても変です。ひとりひとり異なった考え方をしていることを認めるやり方、運動会が危険だと思う人は欠席することを、おかしいと言わない雰囲気が、日本人学校にはありません。日本人学校は、アメリカにあって頑ななまでに悪しき日本の風習をもって運営されている場所なのです。





↑エンピツ投票ボタン


さとこ |mail

My追加