Kuragegawa Riv.
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某小学校教師@11年目の日記。


2005年02月12日(土) 小学校における英語教育について

学級閉鎖は何とか免れました。二年目にして学級閉鎖まで体験するのはちょっと…と思っていたのでありがたいです。


時に、少し前に(こうやっていつもタイミングを逃す)小学校における英語教育の是非が話題になりました。世論としては賛成が多く、教員としては反対が多いという正反対の結果が出ました。で、何でこうなるかなあという事を私なりに考えた結果、まとまったので少し書いてみようと思います。



まず第一に、これはよく海外に行くという人から聞いて納得した話なのですが、日本語と英語は表現方法が正反対だということです。例えば「あめ」という言葉は「雨」にも「飴」にも、ひらがなのままだと取れます。私たち日本人はその区別を音の高低でつけているのです。「雨」ならば「あ」と「め」の音の高さは同一、「飴」ならば「あ」に対して「め」が高くなるというように。

一方、英語は意味の区別にアクセント(強弱)を用います。皆さんも覚えがありませんか?センター試験で最初の方に出てくる、アルファベットの上の小さなダッシュマーク。英語も同じ綴りで意味が違う事がありますが、その際の区別は単語の中のどの一部分を強く言うか、で異ならせます。
しかし、両言語共に高さや強弱がないわけではありません。いえ、あるから混乱してくるのでしょう。それでは日本語は強弱を、英語は高低をどこで使用するかというと、それは感情表現で、なのです。



例えば怒る時。私たち日本人は、普通は声を大きくだします。その時、怒る対象との距離はあまり考えません。体育館の端同士でも、教室の近くにいてもです。「雨なのに傘ささないなんて駄目でしょう」が「飴なのに笠…」と混同しないのは、単語の高低を守った上で「怒っている」という意味で大きい声(強にあたりますね)を出しているからです。



一方、英語は高低に一定のルールがあります。疑問文は基本的に語尾をあげる、というように。英語に明るくないので他に上手い例を見つけられませんが、高低の補強として腕をあげたり下げたり、をよくします。



このように、全く性質の異なる言語だということを理解して勉強を進める能力は小学校中学年までは少なくともきついと思います。というのが私なりの小学校での英語教育に異を唱える理由の一つです。




…と書いたところで携帯での更新字数が見えてきました。続きはまた今度。

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