体育の研究授業がありまして、指導者として他の学校の校長先生のお話を聞く機会に恵まれました。やっぱり大物は違うな〜、と感じる事が大きい話になりました。「子どもが何故わかってもいないのに返事をするかって、返事をしないと先生に怒られるからです」「だいたい先生は時間を守らない。三分書く時間をあげる、などと言っておいて、一分半くらいたったところで『まだ出来ないの!?早く書きなさい!」とか言うんですよ」と、思い当たるところを次々と。うぅ、精進します。
ところで、ここ数日(でもないか)取り上げられている漢字読み書き能力。奇しくも先日「アンタが何やりたいんだかさっぱり伝わってこないのよ!」と罵倒…じゃなかった忠告された私の、誰にも言ってないけど本年度のテーマ。でもやってみて思うんですけど、難しいですねっ(大泣)
私が思うに、子どもたちって本来絶対漢字が好きなのだと思うのですよ。漢字をメインに扱った授業は、ゲーム感覚という事もあってか盛り上がって押さえるのに苦労しますし、作文でも辞書を使って漢字を調べて書く習慣をつけさせると、大抵の子どもは習っていない漢字、たまに習っていない漢字ばっかり(笑)狙って書いてくるようになります。
で、それは何でかと言うと、漢字を知る喜びっていうのは即新しく使える知識が増える、知的好奇心を一番簡単な形で満たせるからではないかと思うのです。子どもたちは「三日月」は読めないかもしれないですが、「薔薇」は読める子多いんじゃないかと密かに思っています。
当初書きたい事とどんどんズレてきたのでいったん終わりにしますが、要するに三日月が読めない原因の一つは、明らかに空を見上げない現代の生活習慣があるのではないでしょうか。そういう背景や時代を無視して一律に学力つけるべし、学力とは即ち知識の量なりという強い流れには違和感を覚えます。反発ではなく違和感を。だって私、教師の仕事はどう考えたって学力をつける事は外せないと思ってます。なのに違和感を覚えてしまうのは、きっとあまりにも状況を無視しすぎてる事にあると思うのです。
試行錯誤しつつ、これからどう変わればいいのかを考えていきたいと思います。