本日、また哀しい事件が一つ発生しました。長崎といえば金欠ゆえに教員採用試験を受けられなかった土地でもあるのでショックもひとしお。なんて個人的感慨はいいとして、小学校6年生の女の子が、いくら感受性豊かな年頃とは言え、呼び出してカッターで首を切ろうと思う心境や如何に?と殺した児童殺された児童、どちらにも同情してしまうのです。詳しいことはまったくわかりませんが、殺した児童はかなり(こういう言い方はなんですが)確信犯、ではないかと思うのです。
・禁止されている(と思う)カッターをわざわざ学校に持っていって
・先生にもっとも隙が出来るお昼の時間帯を狙い
・わざわざ先生に見つかってもある程度不自然ではない、校内の空き教室を選んでる。
殺すつもりは最初からあったのかなかったのか。もしかしたら殺されそうになったので返したのかどうか。彼女らと遠い我々には伺い知れぬ事情がきっと在ったのでしょう。
・・・最近図書館に通うクセが復活したので、好みの作者を中心に再び読書熱が復活しております。その中で印象に残った「沙高樓綺譚」(浅田次郎著)の中に、『人を殺すってのは難しい。お互いに生きている人間同士だから。殺せば殺すほど難しくなる』というようなことが書いてありました。殺意の有無は問わず、何故人は人を殺すかという語りの中に。
この事件で立ち返るべきは、私たちは何を子どもに伝えていくかについて。
今日から改めて、考えることになりそうです。