思えば。
私は「Rちゃんの苦しみ」に忠実になろうとするあまり、「Rちゃんのお母様の苦しみ」に忠実ではなかったと思う。
夫婦関係。親子関係。それらの影響が無いなんてことはないし、責任転換をしなければやりきれないほどツラいこともあった。不登校児を抱えるというのは本人や保護者は勿論のこと、教師の負担も(世間が考えている以上に)大きいと思う。毎朝のお迎えや日記なんていうのは目に見えているからいいけど、日記をしたり運動会や遠足でも(恐らくは来ないであろうのに)その子にとって心地いい、かつクラスの子どもたちにとっても負担が過分にならない配慮が要る。残った給食の扱いなんていう些細なことでも、毎日続くと双方負担がかかる。夏休み前、(本当はイケナイことなんだけど)給食でRちゃん分のゼリーを渡した時、Rちゃんはめちゃくちゃ喜んだ・・・らしい。(そういうことを全てお母様が代弁してくれたのも、思えばすごく重苦しいことであった。反応が直接Rちゃんの声を通してであったなら、まだ活力に変えることもできたのかもしれないが)
とにかく。
私は、Rちゃんの声を聞くことに必死だった。お母様が「Rが凄く喜んで・・・。」なんて言うと、正直に言えば腹がたったこともあった。喜んでるなら、嬉しいなら、たった一言でいい、お母様抜きで私に伝えて欲しいと。直情径行、単純明快な私は、今考えるなら・・・Rちゃんのお母様を、無視することに繋がっていたんじゃないかと思う。Rちゃんにとって、良くも悪くも半身とも言える存在なのに。
「先生」でなく「一人の人として」最後に書くのなら、学校には来ても来なくてもいい。そんなことより大切なことは、この世に溢れすぎているから。
見捨てると考えられてもかまわないけれど、結局は10歳だって、10歳でも。「これからどう自分は生きていくか」ということを考えて欲しいのです。
そして先生が短い人生の中で、大切な人とこの世では二度と会えない経験を通して、言えることは・・・大切な人に、大切なことを、伝えられる人になってほしいということです。相手も自分もこの世に居るあいだに、決して後悔しないように。私たちが生きているということは、やはり奇跡なのですから
・・・本当はこの後に、Rちゃんのお母様に何より伝えたい言葉。
「だから、やっぱり旦那様と、Rちゃんのことに対して話合いをするべきだと思うのです。」
生きているうちに。今がドロ沼の状態でも。後悔しないように。