嫌いな食べ物「キュウリ」
| 2003年04月14日(月) |
道徳・ジェンダー・バイオリズム |
今日から大学が始まった。
とても辛い。とても眠い。進路を考える、とかいうわけの判らない授業が最低だった。何ていうの?まるで小学校の道徳の時間のようだ。しかもお話を聞くだけのやつ。皆で考えましょうとかじゃ無いの。あーあ。
さて、今年度はとんでもなく大変な年になりそうです。月曜日から木曜日まで九時から6時半まで授業、7時から九時までバイト。金曜日は朝八時から夕方四時までと、七時から九時までバイト。本業が何だか判らなくなりそうです。しかもプロジェクト入ってるのに大丈夫なのか私。
プロジェクトは、上手く希望の担当教授になったらジェンダーをテーマにしたパフォーマンスをやるか実験映画を作ります。
昔、私に多大な影響を与えた子が、中学生の時に突然下駄箱に入れてよこしたという手紙の中に、「私の(その子の)一日のバイオリズム」と称された変な図がある。
その図は何処にも伸びていなく、勿論左から右へ、といったグラフらしいグラフでも無い。真中から始まるそのグラフの線は左上に向かって、そのまま右往左往、ぐるぐるぐちゃぐちゃしている。
当時の私はそれの半分をしか理解しなかった。
今は多分理解できるだろう、この年になって漸く彼女の当時の心理が。
見たくない、怖い、馬鹿だ、愚かだ、汚い、そういうものに感情が完全に変化してしまっても、眼はまるで捕えられたように其方を向き逸らす。肺の中央に湧き上がるのは憎しみと衝動だけだということは判っていても、眼だけは何故か其処を見る。そして如何してか場所すらその一瞬のうちに判ってしまう。
そうしてもっと情けないことに、丁度その瞬間その時に、其れは私を見ているということ。
見るから見られるのか、見られるから見るのか。居場所が判るのは多分どちらもだ。
おまえ!おまえ!と私は叫ぶ。無表情無呼吸無感情。おまえ、おまえ。何時までもそう見てくれるな。
早く死ねば良いと私が口に出すのを知らないだろうに。
早く消えれば良いと私が口に出すのを知らないだろうに。
何故そうも見ているのか。
死ぬことを、消えることを、確認したいから私は見るのか。
死んだら、消えたら、眼は自由になる筈だ。
さくま