diary.
diaryINDEXpastwill
嫌いな食べ物「キュウリ」


2003年04月01日(火) PBC

 ネット上で知り合い、今は普通のお友達になった方が遠いところから遊びにやって参りました。楽しかったよ。ていうかもんじゃ美味しかったね。(笑)

 PBCというものを知っている人も多いかと思います。所謂なりきりチャットというやつですが、私が過去やっていたのはなりきりチャットというよりは寧ろドラマ構築チャットというようなもので。(命名:私)そして私はその中の一つの世界の一員だったのです。
 もんじゃを一緒に食べた彼女と、夜中に細々と会話をしたのですが、如何やらPBCというものは(特に私がやっていたような世界は)基本的に「セパレート(離別)」を完全に行わないとならないお遊びのようである。セパレートとはつまりキャラクターを操るその人とその人の扱うキャラクターとの間のセパレート。キャラクターに自分を同化させてはいけないし、自分の精神をキャラクターに委ねてはいけない、ということ。
 私はPBCをやっていた時代から、其れを念頭において意識して行っていたのでお遊びイコールお遊びでしたが、そうでは無くなってしまった人も多々居るようですね。勿論私の周りにも一人居りましたがね。
 世界観が世界観の場合(暗喩、比喩が多すぎるけれどもGO MEN!)、詰まる所、精神と精神の対立、対話、対決を中枢としたネットゲームにもなり得るわけで、そこでセパレートを行っていないと結局ネットゲームではなく自分の精神への攻撃となるわけです。
 セパレートしましょう、と言っても出来なかった人も居ましたし、私に散々セパレートしてないよね、と嘲った馬鹿も結局は自分がしていなくて崩壊していましたし、そういう人は再構築というものを考えなくてはいけない。再構築、或いは上塗り。上塗りは脆くて大抵は下からにじみ出てしまうものですが。

 私は前向きという言葉は好きじゃありませんが、精神においては前向きでも良いのではないかと思う。それはネガティブポジティブの意味合いではなく、自分がどうなりたいかという欲望に基づいて行動するという意味合いで。
 崩壊に無意味と言う言葉は似合いません。寧ろ崩壊は意味があるもので、逆に崩壊を望んで崩壊しているかのようにまで見せる人も居るほどです。

 一瞬の同一化によって完全同一化を燃やす可能性が一番危険だということを認識しないとPBCは出来ないものだ、と感想を持ちました。一瞬の爆発は末永く続く筈の煙草の火を巻き込んでそちらへ火元を移してしまう可能性があり、爆発跡は全く以前と変わらない風景に戻ることもあるものだ、と。深夜の対話より。


 駄目だと知った途端に遠慮なく自分のキャラクターを消してしまうようなPLで良かった…と思うのでした。



 以上。


さくま