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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年12月21日(日)
不都合な真実。


昔は理解のない事が不都合だった。
しかし今は奇妙なまでの歩み寄りを見せるのが不愉快に感じる。
それだけ浸透したとも言えるし、中途半端にファッションのよう言っているだけの気もする。
誰しもに有り得る事だという認識になったのは結構な事だけれど、誰だってなるから特別視しない、というのも少し違うのではないかと。
度々聞くのは、風邪なんかで、という文句。しかし実際に風邪の状態は、諸症状が多過ぎる故確かに程度にも幅はあれど喉が痛けりゃつらいし鼻が痛くたって苦しいし熱があれば動くのも大変だ、というのを忘れてしまう。
人生に一度の大病でもなければ、珍しい奇病でもないからか知らないけれど、誰しもが程度の差はあれその苦痛を知りながら、故に軽んじると言うのは、それは違うんじゃないかと。
多少異なるも、多分それと同じ事を、別の件で感じています。
確かに誰しもに種はあるよ。そうなる可能性を秘め、そうならない程度なら恒久的に持つもの。
確かにみんなが知り始めたよ。正しいか否かではなく、その名前と、ある程度の症状を。
確かに周囲に一人や二人そういう人が増えたって、聞く機会が多くなったのは、その人が知り始めただけなのか自覚を促がされる機会が多くて自己申告が多いだけなのか。
特別視はごめんだけど、その程度と呼ばれるなら、それは結局正しい流布にはならなかったという何よりの証拠。そのなり方だけ教えて、対処法も療法も教えない、中途半端に放り出すカルト宗教みたいな事ばかりこの国はしているから。
本当に深く患っているのか、医者にいけば取り敢えず病名をつけなければいけないからと与えられた名前をさも特権のように振り撒いているのか、わからなくなるくらいなら、白い目剥かれた方がずっとよかった。


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