原初

羅列 回帰



―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年12月18日(木)
あのひふたりがみていたものは。


某漫画を見ていての思索。
いわない、という事が、よい選択だと思っていたのだけれど。若しかしたらいわれる事を望んで、或いは待って、いたのだろうか、と。
でもその辺如何にも自惚れとか自重しるって感じで釈然としないんですが、お前のそんなもやもやとした気持ちなんかどうでもいいんだよ。なんでも曖昧にしたがる否定をいちいち受け入れていたらばとても真実という名の自己満足か勘違いの究明なんて出来やしないのだからして。

いっても、仕方のない事だと思ったんだよ。
どうのしようもない、変えようの無い現実というものがそこに歴然と横たわっていて。
足掻いても、叫んでも、壊す事は出来ず、忘れる事か、順応しか用意された答えはない。新しいものを幾つ見つけても、自他共に必要以上に傷ついた後で好転はしないものばかりだった。
諦めでも、受け入れでも、いいけれど。最早囲い込まれた状況の中で、呟く事の意義がわからなかった。
だから、云っても、意味なんて無いって。

それに比べてデメリットの多かった事多かった事。
先ず、無駄にシリアスになる。個人的にはそういったもの大歓迎だが、誰も彼もがそうである訳ではない、という事くらいは昔から理解しているので、それに面倒だとか手を出すんじゃなかったと後悔させてしまっても、後戻りの道を作ってあげられない。引き摺り込んでおいてそりゃないだろう、と。
それから、そうでなくとも内容がとんちき過ぎる。それについてはまた後日述べようかと思っているんですが、どうやら妄想ととられがちで、まぁ妄想人間なので別に妄想が悪い事だとは思いませんが(病気として診断される妄想はあれですが既に人様の迷惑なので却下ですが)、穿き違えられるなら、何も知られないままがいいとか。
何が、何かが、変わるのだろう、変わるのだろうか。だけど変わるものについて、理解度が高まるというよりは、奇異の目で見られるか憐憫の情を寄せられるんじゃないかと、それまでの経験から予測してしまう辺りあれなんですが、無駄な荷物を背負わせる恰好になるのは、大変気に食わないな、と。本人には本人の生活があるのに、あなたしかいないのと言わんばかりがっつりこっちの事を打ち明けられたら、多分とても真面目に取り合ってくれるのだろうから、それはもうそこそこ真剣に考えてくれてしまうのだろうから、だけどその果てに、大した答えなんて無いもんだ。
別に自分が考えられる範囲がこの世の限界だなんて思っていないですし、況して全てなんてとんでもない。誰かから全く新しい視点、刺激を与えられる事を人は皆常に求めているものです。望むと望まざると、或いは意識的に無意識的に。

それでも、自分にとっての新しい可能性より、誰かの自由な時間を奪う事は憚られた。
頭の中の整理をするより、その時に生まれた余分をちょっと持っておいて、という方が難しかった。
自らの心の安寧よりも、誰かがただの、友達であってくれる事を願った。
でもそれが結局ただの自己満足で終わっている辺り、信頼に値しない、ととられるのかな、と思うと、それはそれで大変マイナスなイメージだ。

しかし最早後日談と化しているものを明かしてみても微妙だな、とは先日思った事。
それからその誰かにとっても、いつ頃に話されるのかというのは多少関わると思うのだ。人は日一日過ごす度に劣化していく。磨耗していく。疲弊していく。
その一部を、なんとかレコードのよう掘り込んで理解力に還元しているに過ぎない。なんてちっぽけなんだ。故にその幅が広い内に、つまり早ければ早い程、印象に残る事は神話かトラウマにしかならない。
フィクションだと疑わないのなら、相手を鬱にする自信がおれにはある!(やめれ)
まぁその発想が既に中二というか、大丈夫みんなトラウマしか持たずに生きているんだ。何故か? 危機的状況として生命保存の法則から脳が記憶し易いんだ。という受け売り。
だけど本当は全然そんな事も無くって、面倒臭い惰性か、仕方がないから飼ってあげているか、気持ち悪いけどかまわないと殺されるという恐怖か、そのどれかなら、僕はその歪んだ度胸を喜んで愛情と呼べるのに。そんな風にしか、生きられないんだな。

結局何を云いたいのかそろそろわからなくなってきた、という恒例のあれなんですが、好みの桜を見つける事が無くてよかった。手頃なロープも見当たらなかったから、首を括ろうなんて思わずに済んだ。


原初 羅列