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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年07月10日(木)
そして貴き滅びの歌を。


相変わらず無責任に暴言を吐いているので該当が好きな人は読み進めない方がお薦めやも知れません。大手を振ってバッシング出来るという意味ではまだまだメディアに健在であって欲しいものです。お前何様w

大泉たんが出るという事でどうしても気になって某捕虜ドラマを見ていたんですが、気が付いてみたらスーパー派遣のいないハケンの品格状態でしたが、冒頭からして萎える造りだったので普通にシバトラに切り替えました。日曜辺りに再放送するだろうと賭けてシバトラを諦めたんですよ。はなから録画の選択肢はありません多分それ見ないから(爽)。
で、こうしたドキュメンタリーものに対して自分が懐くあくまでも偏見なんですが、どうして大体現在からの回想シーンから突入しその現在からのナレーションが入るのか。
別にパターンが全て悪い訳ではなくて、その王道から入って面白いものも沢山ありましょうが、多くはオリジナリティのなさとして凡百だと言われそうな、まぁ万人受けってそういう事かな。
その後も三十分くらい見ていたんですが、キャラ萌え違った俳優さん見たさ以外にこれといったポイントも無く。尤も序盤で見る気がだれたのでその後にいちゃもんしか付けられないという駄眼鏡視点も含めています。
こうした問題提起系の多くは、ドラマに限らずテレビに限らず他のどんな番組や作品よりも、テーマだろうが俳優だろうがキャラだろうが何を目当てにしても先ず見て貰う事が先決であり、その後核心部分まで見て始めて意味を成すのではないだろうか。
その割に、史実を元にして作ったとか実話を元にして作ったという大義名分で実につまらない造りばかり。演出過多もそりゃいかんかも知れませんが、やっぱり見られてナンボですよ。
安易に視聴率稼ぎに走れと言うのでは無く、見て、楽しい、面白い、引き込まれる、そうした要素がなければぱっぱっとチャンネル変えられるのが関の山です。頁送られるのが関の山です。
見て欲しい何かがあるんでしょう? 知って欲しいと訴えるのでしょう? ならばそれに耐え得るものにするだけの演出は必要な筈だ、と思うんですが。
例えば前期に流行ったラスト・フレンズは、とかいってあんまり見ていなかったので的外れを言っているやも知れませんが、重苦しいものをテーマにしておきながら、はっきり言って昼ドラでありながら、キャストやら歌やら、そして毎週見て貰う為の引きなりなんなりが機能したからこそ、一つのドラマとしてジャンルに叶ったからこそ、人気を博したのではなかろうか。
具体的にどう、という事を言えはしませんが、あくまでも独断と偏見ですから、ただぼこられている姿見たってSかMしか喜びませんし、性の不安定だってやろうとすれば何処までもつまらなく出来、そして面白くも出来る。不安とか、切実とか、痛みとか、伝えたい事を広める為には、ただただ馬鹿正直に語ればいいもんじゃない。パフォーマンスが上手い方に自然人は惹かれるし、顔か声かブームか受けている人の歌はなんでも結構当たったりするし、全てが全てそうじゃないけれど、結構な部分はそうじゃなかろうか。
見られるもの、見て貰うもの、拝見させて頂くもの、どんな呼び方だって、見る、その事に耐え得る作品でなければ、なんの価値もない。
例えシバトラの台詞が如何に臭かろうとも、どんでん返しも判り易かろうとも、その王道さは、少なくとも面白いと思えた。徹平たんのかわいさだとか、原作漫画ファンだとか、大体その場合は他メディアアンチに走りますが入り易いという理由もあり、そして、少なくとも前述の老人回想物語より、面白いと思ったから、シバトラを見ていた最後の三十分は、ドキュメンタリを見ていた初めの三十分より楽しかったし、時間が合えば又来週見ようと思ったのは、単純に一話を見たからという惰性もあるけれど、少なくともあのままの造りの捕虜ドラマだったら、絶対そんな風には思わない。
何かを伝えるなら、伝えるだけの言葉や見せ場が無いと、それがどんなに重要な事だって、耳を傾けようなんて思えないし、その時点で躓くなら、逆にどれだけの意味を持っていようとそんな事で届かなくなってしまうなら、全く以てくだらない。
だからと言って媚に走れとはえぇ全く思いませんがね。何故なら大抵そういうのは大外れにイタイもんです。隠し味程度の媚か媚全開を上手く調理したものでなくっちゃ。
イタイといえばモンスターペアレントも全く見る気がしません。ラストフレンズは劇中の悲劇を笑って見れるタイプですが、モンスターペアレントの方は多分間違い無く気持ち悪くて腹立たしくて、感情移入だのドラマ性以前に受け付けないと思うので。だって何が楽しくて、わざわざ時間割いてじっとして見るドラマで気分害さにゃならんのですか。
ゆとり教育の弊害とか的外れにぎゃーぎゃー騒ぎ立てているキティの話なんて、それこそよっぽどの面白さを兼ね備えてくれてなくっちゃ金積まれても見る気にならない。最終回後の評価が断然いいとかくらいの保険が無くちゃハイリスク過ぎる。
第一そうした教育の成果が現れるのはそれを受けた人々が社会人として何十年が過ごさないと真には出て来ないだろうし、早急に取り止めるくらい見通しの悪いものを薦めていたと言うのも頭が悪いし、今の子が理解不能だと呼ばれる世代の前も前も前もずっとそう呼ばれ続けていたのだろうし、何しろ古い神話時代からそんなもんだそうだから、その意味不明の世代を産み育てた世代がこれまた輪を掛けて意味不明なのはその親世代を育てた世代が愚の骨頂だからであり、そんでまたと延々スパイラルなのはいつの時代も明白のくせに、どうしていつ何時もくだらない訴求にばかり気を注ぐのか。嗚呼いけない教育理論じゃなかった。
愚直で面白味が無い、どう考えても腹が立ちそう、そんなものは見る気がしないお年頃です。まとめ。


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