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―― 連ねた意味も、持てない小鳥。
氷室火 生来
回帰

2008年06月24日(火)
どうしたってシンプルには、いられないけれど。


自力で頑張らず猫背を直したいなと最低な試みから手始めとして、矯正下着を以前買ったんですが、厳密には用途が違うようにも思えますが入口としていいんじゃないかと。
それを人伝に聞いた叔母さんがやっとそういうのに興味を持ったのねと言っていたと同じ人伝に聞いた時、吐き気を催す自分は極端なんだろうか。
彼女の言いたいそういうのとは所謂オシャレに目覚めたのねとかそんな意味合いで、勘違いも甚だしいとかそーじゃなくて、勝手に納得して勝手に決め付けて勝手に感慨しているその人を、それが発端と言う訳では無く最近苦手にしている。多分、そんなところが。
オシャレを決して馬鹿にしてはいないんですよ。かわいいとダサいは感じるし、どっちを着たいと言われたらそりゃ前者だし、オシャレなダサいもありますが話ややこしくなるから省いて、世間一般と照らし合わせたらそんなもんに金払うの冗談じゃないとか言い出す子ですから、彼女の言い分も判る。判るんですが。
何に興味を持ち何に向かって歩き何に心を砕くか、そんな事まで気にして欲しい人でもなくて、気にする対象がいないからお鉢が自分に回ってきただけの、彼女にとってもその程度だから、孫を無責任に可愛がる祖父母のような、着せ替え人形だから、甘んじて演じてみたけれど、無益だと思い知ったから、やめようと思うのなら、嫌悪を懐いてしまうのも必然なのか?
そのくせ代用をいやがるなんて、面白い神経なんだその人は。とか言っている自分こそというのは明白なのでそれこそ今更ですが。
後同類に、近くに暮らしているのに会わないのは変だという理由で会おうと言ってくる人がいるんですが、例えであれ単なる言葉であれそういう言いぶりの内はどうしても気乗りしないっていうのも、やっぱりただの我儘ですかね。個人的にはそう思う。でもそこで譲るなら、いてもいなくても同じって事だろう、自分なんて。


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