ライフ・ストーリー
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雑文を書くときにもことばの神様が降りてきてくださるとしたら、わたしのばあい、その時間は深夜の零時をまわったころだろう。零時から2時、もしくは4時くらいまでが最も集中して文章が書ける時間になる。
だから昼間に書く文章はなんとなく自分の内にも響きにくいし、遠くまでとどく力が弱いような気がする。「遠く」まで、というのもあくまで自分の感覚によるものだけれど。
書く仕事をしていたころは、昼だろうが夜だろうが締切はおかまいなしにやってくるものだった。とにかく時間内に所定の文字数を書き上げなければならないため、神様が降りてくるのをのんびりと待つわけにはいかない。そんなときは火事場のなんとかみたいに別の力が作用するらしく、わたしは一度も締切に遅れたことはなかった(これは自慢にはならない。締切に多少遅れても、時間をかけてより良いものを書き上げる人が事実たくさんいるのだから)。
さて、昼間(というより自分)の力不足を感じながらも、こうして文章を書いているのは、文章を書くということがほかの知的活動に発展しやすいからだろう。先日絵本のことを書いてからその内容をほとんど忘れているのに気がついて、さっそく絵本をさがすために本屋をめぐってきた。これはわたしにとっては知的な活動のひとつ。
残念ながら近所の本屋ではここに挙げた絵本を1冊も手に入れることはできなかった。親切な書店員さんの計らいで2冊を取り寄せてもらえることになり、1週間もすれば手元に置けるはず。おどろいたのは、なぜ今までこんなに簡単な行動をとらなかったのか、ということ。本屋へは頻繁に足を運んでいたのに、絵本のことはすっぽり抜け落ちていた。
「こころの深いところで自分には縁がないと感じているものは、その人の目には入らない」ということを聞いたことがあるけれど、それは当たらずとも遠くはない。どこかで「縁がない(絵本にかかわる仕事ができないという意味ではなく、私的な面で縁がうすい)」と感じていたのだろう。実生活では縁がなくても、知的(もしくは美的)生活のためには、素晴らしい絵本たちとの縁をつないでおきたい。
日記に書いたことで絵本との「縁」を復活することができた。 素直に、うれしい。
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一篇の詩をどうぞ
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「生立」
わたしは 手に桃のやうなものを持つてゐた 遊びに行く丘は墓地で いつも夕陽に赤く染まつてゐた わたしは その丘から遠く人生を眺め その桃の実のやうなものを落すまいとして 小さな手を しつかりと握りしめてゐた わたしは いつのまにやら大人になつた それでも夕陽に染まつた長崎の丘丘を眺めると はつとして その桃の実のやうなものを想ひ出す
/森清秋
☆森清秋は大正2(1913)年長崎県生まれ。 幼い頃に父と死別し、19歳のときに母を亡くします。 詩は18歳から書きはじめました。 清秋も戦時中に病を得、長い闘病生活がつづきます。 「詩も詠めぬ。詩も書けぬ」と綴った日記(昭和19年) が遺っています。昭和22(1947)年9月、病状の 悪化により34歳で逝去。 熊本正との合同詩集『鳥のゐる碩』、遺稿詩集として 『糸瓜集』が刊行されています。
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