アルの日記
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2002年06月04日(火) 語録

「出口を見つけるときには、今の自分が知っていることすべてから抜け出て行くことが必要なんだ。つまり、自分が何かになっていけるのと同じように、なにものでもない存在にもなっていけるということなんだ。そこに一つの決意が生まれる。よし、とにかくとことんやってみようという決意が。」

「ほんの少しでも一般の社会全域と関わり合うようなことを行うと、それに対して否定的なことや攻撃的なことが、跳ね返ってくるんだね、必ず。ほんのちょっと頭を持ち上げると、それをめがけていろんな嫌なことが飛んでくる。そういった嫌なことにはいっさい耳をかさないようにしなくてはいけない。自分自身のヴィジョンに忠実に動くことだ。人は簡単にいろんなことを言うんだ。それを真に受けて、絶対的な真実であるかのように信じこみ、自分自身を相手に争いをはじめ、自分のヴィジョンを通して見えているせっかくの本当の真実をねじ曲げていくようなことがあってはいけない。あなたのやっていることは間違っているのだよと言ってよこす人が必ずいるけれど、そんな言葉を真に受けてはいけない。コミュニケーションにつきまとう毒みたいなものだから、この毒にはいつも気をつけていなければならない。
このサンフランシスコでもう長い間に渡って行われてきているニュー・カルチャーは、すべてスーパー・ポジティブなものだと僕は思っている。だからどんどん続けていって、本当にハイになり、心をこめて動いていけば良いんだ。ぼくはそんな風に感じている。
なにか良くないことが行われているのに気付いたら、自分にできるかぎり、その場でなにか手を打てるようでなくてはいけない。できるだけリアルに、できるだけ単純に、対処するように努めるべきだ。できるだけ公正に。べつに難しいことでもなんでもないと思う。自分はどれだけのことをすべきなのかを自分に聞けばいい。結局はそういうことなんだ。自分はいったいどれだけのことをすべきなのかに関して、自分自身がどう判断するかだ。」
「かなりのことをやらなくてはいけないのだね。」
「うん、しかし、度はずれにすることはない。僕に関していえば、僕はずいぶんやっているけれど、こんなにやってはいけないのだと思うことがたびたびある。自分は仕事をするために仕事をしているのだなと思うことがよくある。だけど、ひとつとても面白いのは、良くないところから出てくる、よくないエネルギーを頼りに何かをやっていても、結局、何にもならないのだ。なるほど、自分のやり方は間違っているのだなと自覚できるのは、そういう時だ。やっていることがうまく達成されていかない時の感じとか、何かぴったりこない時の感じなどで、自分は今、間違っているのだなとわかる。間違っていないかぎり、うまく行き続ける。
誰にでもまんべんなく通じることを僕は言おうとしているのではないし、誰もが何かを達成できるように持っていこうとしているわけでもない。一人の人間にそんなことができるわけないんだから。僕が何か言ったからといって、誰もがみんなその通りにしなくてはいけないということはない。」

と、言うようなことが書かれているジェリー・ガルシアの対談集(これはほんの一部でもっと色々なことに関して深く語っているのだが・・・)を、今日は、凄まじいタブラのリズムの洪水+シタール等の楽器が絡むインド音楽を聞きながら読んでいました、笑。
しかしガルシアはやっぱりぶっ飛んでしまっておりますな・・・笑。
でもすごくポジティブで鋭い発言も多い。
よくあんなぶっ飛んでてそんな発言ができるなぁ〜・・・。
う〜ん、しかし、出てくる音もポジティブなわけだぁ〜と思いました。





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