飛行時間
Nyari



 新しい命

古い友人に、子供がうまれる。

彼女は、私のはじめての旅の相棒だ。
9年前、私達は数枚のシャツと、タオルと、少しの洗面用具と筆記用具だけをそれぞれの鞄につめて、1ヶ月間、スペインを旅した。

旅慣れない私達の格好は、今にしてみれば、とても奇妙なものだった。

赤とピンクの色違いのつなぎズボンの胸当ての裏に、それぞれに秘密のポケットを縫い付けて貴重品をしまいこみ、首にバンダナをつけて、頭にチロル帽子をかぶり、町や、村、紺碧の空の下を、毎日懸命にただ歩き、旅をした。

ピカソ美術館へいって、自分達の凡人さかげんに絶望し、スペイン語ペラペラで、誇り高い同い歳の日本人に出会って意気消沈し、ヤギに大切なスケッチブックの1ページをかじられては憤慨し、海の向こうはアフリカ大陸だという海岸で、世界がとけていくような夕日を眺めて言葉を失い、知らない土地でたくさんの新しい時を過ごした。

同じような格好をして、同じ日々を過ごしても、私達はいつだって個と個だった。

旅の中で、彼女の目を通して、彼女の中に取り込まれたもの。それを、私は全く知らない。彼女もまた、私の事を知らないだろう。

あの旅は、私の大切な思い出の一つだ。

日本へ帰国する前の晩、私達は宿泊していた小さな宿の奥さんのために、徹夜で絵付きのカードを合作した。宿の家族全員のポートレイトを絵の具と色鉛筆で描いた。カードの仕上がりに、私達はとても満足し、宿の奥さんもとても喜んでくれた。

あれから数年後、彼女は私より先に大学を卒業し、イラストレーターになって一人立ちした。彼女の描く絵は、とてもシンプルで、暖かい。そして絵本も出版した。

旅の後、私達は数えるほどにしか、あまり話をしていない。けれど、ある時、彼女から「スケッチブックに線をひくようになったのは、あの旅の最後の晩に、あのカードを描いたことがきっかけだったかもしれない。」と、短い手紙をもらった。

一つの体験が、ある人にとって小さな種のひと粒になり、その人の人生を開いていく。その貴重な瞬間に、共に居合わせる事が出来た事を、私はとても幸せに思う。
その友人に、新しい命がうまれようとしている。

この世界の全ての命は、奇跡の連続の末に、今ここにある。
数億分の1の確立をへて胎内に着床することも、それが無事に人の体の中で成長することも、やがて、はじめての空気を吸い込むことも、全てが、ほんの数万分の1秒歯車が狂ってしまうだけで、泡となって消えてしまう。


その数限り無いあやうさを全てクリアして、ここに、今、私達は生きている。

友人のお腹の中で、誕生の瞬間をじっと待っているその小さな命は、遥か海を超えて、私に大切な生命の約束を教えてくれた。


頑張れ、あと、少しだ! きっと会おう!











絵本の紹介:「よこしまくん」「よこしまくんとピンクちゃん」大森裕子作/偕成社
http://www.iri-seba.com/index.html



2004年02月20日(金)



 Nogat通りの風

数日前から、雲の合間に、水分をたくさん含んだ青が覗いている。


空が高くなってきた。
こんな日は、どこへでもいい、どこかへ向かって、どこまでも歩きたい。

頬を過ぎる風や、咽を通る空気が冷たくてもかまわない。
通りから通りへと歩いていこう。



どこまでも連なる、ひしめいた住居。

赤いカーテン、

縞模様のカーテン、

破れ掛けのボロボロカーテン。

角張ったバルコニーに

渦巻いたバルコニー。

手入れの行き届いた花達と、

忘れ去られた植木鉢。

たくさんの窓辺と、

その向こうに繰り広げられる幾つもの生活。



街が息をしている。




ふと、ずっと昔、まだ制服をきて三つ折りの白い靴下を履いていた頃に出会った古い詩を思い出した。

背伸びをするようにして、何度も声にだして読んでいた詩だ。

少し厳しいけれど、風がキーンとするこんな日には丁度良い。


背筋をのばして、しっかりと呟いてみる。




通りの向こうの方を、すすけた赤れんが色の列車がガタガタと通りすぎていく。

いつのまにか、日が長くなってきた。













      「自分の感受性くらい」


     
     ぱさぱさに乾いてゆく心を
     ひとのせいにはするな
     みずから水やりを怠っておいて
 

     気難しくなってきたのを
     友人のせいにはするな
     しなやかさを失ったのはどちらなのか


     苛立つのを
     近親のせいにするな
     なにもかも下手だったのはわたくし


     初心消えかかるのを
     暮らしのせいにはするな
     そもそもが ひよわな志にすぎなかった


     駄目なことの一切を
     時代のせいにはするな
     わずかに光る尊厳の放棄


     自分の感受性ぐらい
     自分で守れ
     ばかものよ




 

*茨木のりこ詩集
「自分の感受性くらい」より/花神社



2004年02月25日(水)



 葉のない街路樹

朝目がさめて、カーテンを開けたら、窓の外は真っ白で雪が降っていた。春が、密かに近付いていると思っていた身には、不意打ちのパンチだった。

ああ、またか…

がっかりしながら家で過ごしていると、午後になって突然光がさし雪はどこかに行ってしまった。

出かけよう!

床にふせていて弱々しくなった体に、新しいエネルギーを注ぎこむために暖かく着込んで街に出る。すれ違う誰よりも歩みが遅くても、外の風に吹かれて歩いていくのはとても楽しく幸せだ。

白い息を感じながら、ゆっくり歩いていると鉄骨の廃棄所で教授に出会った。

ツルツル頭に眼鏡をかけて、いつも黒いスーツをきている教授は、体格がいい。外見は、少し怖い感じだ。でも、今日は首に真っ赤なマフラーをして、真剣な面持ちで鉄屑と格闘している。


「ハロー、お元気ですか?」


鉄屑の山から教授が顔をだし、こちらを覗く。


「あれ、君、まだこの街にいたんだね?ハロー」


握手を交わし、短い立ち話をする。教授とは、昨年の秋に彼の授業を訪れて知り合った。言葉のつたない私をバカにするでもなく、特別扱いするでもなく、子供の絵書き歌を教えてくれたりする。


「ところで教授、何をしてるんですか?」


「ん?いろいろね、面白い形を集めてるわけだよ。ほら、こういうのをもっと作ろうと思ってさ。」


ほら、という教授の横には、ガラクタの塔みたいなモビール風のオブジェが立っている。そういえば、この廃棄所の向こうは鋳金工房だった。

よくみれば、それ以外にもいくつものできそこないのロボットみたいのがたっていた。

やがて、次々と教授の知り合いがあらわれて、ドイツ風にいちいち抱き合って挨拶し、教授はすっかり忙しくなってしまった。私は軽い会釈をしてその場を後にし、また通りを歩く。


教授の部屋をはじめて訪れた日の事を思い出した。
緊張で全身の水分が抜け出てしまうのではないかという思いで私がいると、教授はヨーグルトを二つ、持って来た。私はてっきり、それを一つもらえるのかと思っていた。

ところが、彼は円筒型の二つのパックの蓋を両手でめくり、両手の平にアルミの剥がした蓋をもって、右、左と順に、ベロリと蓋のうらについているヨーグルトをなめ落とした。

それから、大きなスプーンで二つのヨーグルトを一人でたいらげ、「それで、用事はなにかな?」と口のまわりを白くして、聞いて来た。私は緊張を通り抜け、唖然として目が点になっていた。


急にその時の事を思い出し、歩きながら笑いが次々こぼれてくる。

もう一度ふりむくと、遠くのほうで赤にかこまれたツルツルの頭が、お日さまのごとくに光っていた。




今朝の雪が、つかの間の夢だったみたいに、空が青い。

春はまだこないみたいだけれど、ガラリとした通りを歩くのも、そう悪くない。


葉を失った小さな芽さえまだついていない骨のような街路樹達が、なんだか先ほどのガラクタロボの親戚達に見えてきた。



ふうむ。



まあ、のんびり待つとしましょうか…






2004年02月27日(金)



 樹のおはなし


去年の夏、とても悲しいメールを親しい友人から受け取った。


「たくさんの友人や大切な人との別れがつらい。わかっていることなんだけれど、自分をどうすることもできないんだ。」


私達はどんな時も、たとえそれが下らない愚痴であったときでも、最後には、「まあ、なんとかなるよ」と互いに笑いあってきた。

けれど、その時のメールだけは、今までの彼の様子とは違うものだった。

私にはかけられる言葉がなかった。

彼はもう充分によくわかっていたのだ。

それが、さけられない数々の別れだったこと。その先へ向かって歩き出さなければならないこと。

それが、自分の選んだ道だったということ…。


だから私は、何も彼に言ってあげることができなかった。

それは、そこに、そうあるべき悲しみだった。

人生には数え切れない喜びがあるけれど、同じだけの裏側の出来事がどうしても起きてしまう。

そんな時、友として私に出来ることは、ただそのとめどない心の揺れをを見守ることだけだった。


それからしばらくして、あるとき、私の中に彼におくる言葉がふっと姿をあらわした。

それは手紙というわけでもなかったけれど、私は彼にその言葉を返信した。
彼は、ゆるやかに喜んでくれた。



あれから、何ヶ月もの時がたち、私もまた長い冬を経験した。

長い、長い冬だ…。



私は今日、この冬を手放すことにきめた。

季節はまだ春を迎えていないけれど、もう冬は終わりだ。



新しい季節を迎えるまでの、姿のない空白の時。

友へ贈った言葉を、自分の胸にも贈り、

立ち止まっても、振り返っても、

最後には、


前へ、前へ…。













    樹のおはなし




樹はその一生の中で、いったい何回葉っぱたちとお別れをして、また新しい葉を迎えるのでしょう?

すずなりの花や、緑たちにかこまれているとき、樹はとってもうれしくて幸せであるに違いありません。

けれど、その幸せを手放す時が、何度でも訪れます。

きっと、何度その瞬間を迎えても、何度でもさみしい気持ちになるのでしょうね。

そして、花も緑もなく、ただ自分のからだだけで冬を迎えるとき、樹は、ほんとうに悲しくて悲しくてたまりません。

ひょっとしたら、外側からは、今にも死んでしまいそうなほどに悲しげに見えているかもしれません。

でも…

ほんとうは、その内側で、誰にもきづかれないようにひっそりと、新しい花々や、緑達を迎えるための準備が行われています。

樹は、そのことを知らないので、ただただ寒さに震えて、何度も何度も泣いてしまいます。

もうこれ以上悲しみようもないくらい、寂しい気持ちになったあと、ううん、ひょっとしたら、自分が寂しい気持ちでいることさえも忘れてしまうくらいに大きな孤独の中にいるころ、思いがけない程にさりげなく、また、新しい花と緑達がそっと訪れます。

そうやって、いくつもの季節を迎えながら、樹の一生はゆっくりと過ぎていきます。







2004年03月06日(土)



 北へ向かう鳥達


白い薄ぼんやりとした空に、鳥の一群を見かけたのは3週間前のことだ。








空に伸びる一筋の黒い点線。



それが南からの渡り鳥達だということに、友人が先に気が付いた。



「ガンツェの群れよ。南から北へ移動しているわ、春が近いのね。」



ガンツェというのが何の鳥なのか、私は知らなかった。そして、南から北へという言葉に小さなひっかりを感じながら、彼女に訪ねた。



「彼等は一体どこから来て、どこへ向かっていくの?」



「たぶんね、スペイン、イタリアあたりから飛んで来ているんじゃないかしら。ロシアへ向かっているんだと思うわよ。」




その日私は、友人のもとで庭仕事を手伝っていた。

一日中、荒れて固くなった土達を、手で崩しながら柔らかくする。それは、ごつごつとした乾いた固まりの山から、寝心地のいい羽布団を作るような作業だった。

時々、庭全体をみわたすと、全ての植物達が、もうすぐ訪れる暖かな日溜まりを、じっと静かに待っているのが感じられた。土の中では、小さなチューリップの赤ちゃん達が眠っていた。





けれども、頭上をゆく鳥たちの群れは、暖かさの充分にある南の土地を離れて白い空の広がるこの街の上空を通り抜け、まだ冬の残る北へと向かっている。


日溜まりを離れる事は、不安ではなかったのですか?


どうして、もう、飛び立つ事にきめたのですか?


まだ水分を多量に含んだ空を飛んでいくことは、息が冷たくて苦しくはないですか?


もう少し待てば、もっと暖かくなるのに、それから移動するのでは駄目なの?





彼等は時に1本の線になったり、再び黒い粒の散らばりに戻ったり、形を変化させながら風をよんで飛んでいた。

北の地は、きっと今も尚冷えきっている事だろう。
どれくらいの時間をかけて、かの地へ辿り着くのだろう。
彼等は今、私の頭上で、向かっていこうとする先への途上にいた。




姿が見えなくなるまで空を見上げていると、やがて、肩のあたりにツーンと冷えた痛みを感じ、私はまた残りの作業に戻った。

大部分の土がやわらかくなり、数週間もしたら眠っている芽達が可愛らしい姿をあらわすだろう。
ふわふわになった土に喜んでいるのか、蟻達が忙しく地中と地上を行き来しはじめていた。




あれから、いくつもの夜が過ぎ、季節は確実に、目に見えて移り変わりはじめた。

白い真綿の様だった空に、日に何度も青が挿すようになり、風の色がほのかに黄を含んで頬のあたりを触れていく時、植物の呼吸が感じられるようになってきた。

小鳥たちのおしゃべりがにぎやかになり、街を行き交う人々の足取りも軽くなった。地上では、もう数々の花達が色とりどりの姿で微笑んでいる。




渡り鳥達はどうしているのだろう?

もう北の地へ辿りついただろうか?

それとも、今も、どこかの国の上空を飛び続けているのだろうか…?




あの日、ただ暖かい温もりが訪れるのをジッと待っているだけだった私の頭上を、北へむかって冷たい空をグングン飛んでいく鳥たちの姿は、どこまでも眩しかった。

たとえ、厚い雲に覆われて光が挿していなくても、それはとてもとても眩しく私の胸に響いた。




この街にも今、ようやくたくさんの春が訪れている。
風が優しくなり、日が長くなった。時計をさす時刻も、冬時間から夏時間へと変わった。青空の向こうに、もう気の早い夏が隠れている。
白い季節は遠い記憶へとしまわれていくようだ。






…あの日、遥か頭上を過ぎていった黒い鳥たちの大群。




その姿を、私はずっと、ずっと覚えていよう。












2004年04月02日(金)



 新しい習慣

さて、今日はちょっと、おなかのすくお話。



子供の頃、大好きで何度も何度も読みかえしたマンガの本。


しばたひろこ著「ムーンドロップ町のかしこいうさぎさん」


既に絶版になってしまった本だけれど、10歳だった当時、何よりも好きな憧れの世界だった。


主人公は眼鏡をかけたうさぎで、彼女(彼?)の生活は、朝早くおきて、その日1日の食事になるシュークリームを焼く事からはじまる。

独り暮らしの、小さくて古いけれど暖かみの感じられる可愛らしいキッチンで、小麦粉とめん棒を片手に忙しくたちまわり、オーブンをあたため格闘するうさぎさん。

その日、きちんと膨らんだ色つやのいいシューが焼ければさい先が良く、焦げてしまったり膨らまなければ、どこか調子が悪い。とても大切な朝の仕事。

こんがりふっくらしたシューの付け合わせは、自家製のマーマレードや、バニラクリームで、とにかく美味しそうだ。


朝から大仕事をするそんな偉いうさぎさんは、のんびり規則正しく暮らしていて、食事の準備が終わると図書館へ行き、日長本を読んで、いろいろと学ぶ。時に、家の修理のためにペンキまみれになったり、友人のためにプレゼントを用意したり、音楽を聞いたり、昼寝をしたりもするけれど、基本的にゆったりと働き者だ。


この本を眺めながら、いつも、「いつかこんな大人になりたい」と思っていた。




そうして20年近い月日が流れ、大人と呼ばれる様になった私は、願っていた生活にそう遠くない、古いけれど使い勝手の良い自分専用のキッチンのある暮らしをしている。自分で火をつけなければならないけれどオーブンもある。


そんな私の毎日は、シュークリームでなくパンケーキに支えられてなりたっている。


パンケーキは優秀な生活の相棒で、パンみたいに買って来ても食べ切れないうちに残りがカビてくることがない。食べたい時に必要な分量だけ作る事が簡単にでき、そしていつでも焼き立てを楽しめる。

冷蔵庫の中に卵と牛乳とバターさえ常備していればそれでいい。



憧れて尊敬していたうさぎさんに比べると、少しルーズな私は、朝、目が覚めると寝巻きのまま歯ブラシを加え、パンケーキ作りの準備をする。ボールの中に材料を入れて混ぜ、フライパンに生地を流し込み、焼ける間に歯磨きを終了してお茶をいれる。


どんなに眠くても頭の片隅がかすかに働いて、できあがったらジャムをかけるべきか、シロップにするべきか、それとも蜂蜜か、はたまたチーズとハムにするべきか、思いのほか真剣に考える。甘く煮た小豆でどら焼きにしてもいいかもしれないとも悩む。


そうそう、大切なプロセスを忘れている。パンケーキは生地を作る段階でも寝ぼけた頭を働かせる必要があり、今朝はどんな栄養をとろうか?という問題もある。


マグネシウムを取りたい日は、つぶしたバナナを、カロチンを取りたい日は、すりおろしたニンジンを、鉄分が必要な日は、ほうれん草を入れる。心の平穏を必要とする日はバニラエッセンスを、ホームシックでたまらない日は、かつお節と刻んだネギとすり胡麻をいれる。きな粉を入れてみる日もある。



こんな風に書き出すと、朝からよくそんな余裕があるものだと思うかもしれないけれど、これらはすべて10分くらいの間に終わってしまう事で、朝のささやかな1コマに過ぎない。けれど、とても大切だ。

週末の時間のある日は、オレンジや林檎を買っておいて、パンケーキを焼く横で、小鍋を使って一回分のソースも煮る。オレンジ色のニンジンパンケーキに、オレンジソースをかけたものは、最も元気のでる朝食の一つだ。



けれど、この習慣にほぼ満足をしながら、一つだけ果たせていない思いがあった。


限り無くうさぎさんに近い生活なんだけれど足りないものがある。


毎朝、フライパンの蓋をあける愉しみはあるものの、オーブンを覗き込むという、あの魅惑的な行為が、欠けている。


少し汚れたガラスと睨めっこしながら、眉間にしわを寄せたり、頬をピンク色に染めたりしているうさぎさんはとても充実していそうだったけれど、私の朝にはそれがない。その事が、ずっと気になっていた。



そして、ついに、その願いを果たす出会いがあった。



きっかけは1ヶ月前、バイオリニストでスープの達人の友達の家に遊びに行った時の事だ。彼女がソバ粉を使ってスコーンを焼いてくれた。

とても簡単そうだったし、何よりオーブンを使うし、生地の状態が良ければ焼き上がる時に狼の口が開くような膨らみ方をするという博打的な愉しみもあった。



「これだ!」と感じた。



スコーン作りの本を彼女に借り、今日、ようやく挑戦してみた。

ソバ粉は手に入らないので、全粒粉を使った。(本には普通の小麦粉を使うとあるが、友人も私も白い粉が好きではない)はじめてなので手際が悪く、しかも作っている最中に電話がなり、あわてて受話器を小麦粉の中に落とすと言う失態もあった。本に載っている、「成功例は、狼の口を開くような膨らみ」というのも経験出来なかった。


けれど、なかなかどうして、焼き上がったものはそれなりに美味しかった。


ぱっくり2つに割って、サワークリームとジャムを塗って食べる。しっとりしていながら、サックリとしている。悪くない。スーパーで、ジャムのコーナーを吟味する喜びもついてくる。全くもって、悪くない。



パンケーキは、私を支える大切なものだけれど、これからはスコーンも仲間に加えようと心に誓う。




子供の頃の夢に、また一歩近づいた。















*美味しいスコーンの作り方が載っている本:林望著「イギリスはおいしい」文春文庫


*パンケーキの作り方(4枚分):とても大雑把ですが、ボールに、カップ1弱程度の小麦粉と牛乳、小さじ1強のベーキングパウダー、卵、砂糖小さじ1、塩ひとつまみ、溶かしバター大さじ1を混ぜいれ、フライパンで焼きます。小麦粉の量によって、クレープ風に薄くなったり、もったり厚くなったりします。火加減は中火で、生地の表面にたくさんの穴があいてきたらひっ繰り替えして弱火、蓋をして蒸し焼きにします。

生地のオプション:ヨーグルト、バナナ、ニンジン、ほうれん草、スリ胡麻、きな粉等。お好み焼き風にする時は、ジャガイモ、かつお節、刻みネギ
(固形のものは、あらかじめ牛乳とともにブレンダーにかけておきます)

トッピングのバリエーション:蜂蜜、メープルシロップ、黒蜜、各種ジャム、煮た果物、ハムとチーズ、あんこ等(お好み焼き風のときはソースとマヨネーズ)








2004年04月06日(火)



 深緑の季節に

4月は、心の中で固く凍り付いたものたちが溶けて流れ出す月。

その流れていく音に耳をすませているうちに、日々が流れ、風が5月を運んできた。

この街の春は、柔らかい桜色が何もかもを優しく包み込んでくれる様な日本の春とは趣が違う。

深い緑を背景にした鮮やかな赤、黄色、紫が、この街の春の色だ。街のそこかしこで、元気の良いいたずらっ子が笑いながら隠れんぼしているみたいだ。
賑やかな小鳥達のさえずりが、どこにいても聞こえてくる。


その暖かさの向こう側で、新しい楽しい出来事と悲しく寂しい出来事が通りすぎていく。


新しい楽しい事。


ヨガと、キューバのダンスを習いはじめた。
静と動の全く違う二つの要素で、眠っていた体を気持よく呼び起こす。

ヨガとダンスは、対照的だけれど、大切なところは同じみたいだ。


「ganz locker」(すっかり体の力を抜いて)



体の力を抜く事がとても大切で、力を抜くからこそ、よりたくさん自由に体が動いてくれる。

何かをしたい、果たしたいと思う時、つい力を入れることにばかり気がいってしまうけれど、力を抜いた柔らかな状態があってはじめて、ほんの小さな揺れが、体の隅々まで振動となって伝わっていく。

固くなってコチコチの私の体は、いろいろなところで通行止めが起きている。力を抜くと簡単にいっても、力を入れるよりずっとずっと難しい。

心を沈めてヨガのポーズをとり、呼吸と体にかかる重力をじっくりと感じ取る。けれど、体のあちこちが痛い…

あいたたた…


キューバのダンスは、サルサとメレンゲ。4拍子と2拍子の違いはあるものの、どちらも楽しい踊りだ。ペアを組むのは照れくさいけれど理屈抜きに音楽と触れ合うのは、むしろヨガよりも心が無になっていく。

キューバは、民族の悲しい歴史がある国。けれど、様々な思いを歌とリズムとダンスで消化する不思議なエネルギーに満ちている。

夢中になって体と向き合った後は、心がすっきりとする。やるべきことも、これまでよりもずっと、たくさんはかどっていく。




悲しく寂しかった事。



大切な友達が、お父さんを失った。


別れはどんな時でも悲しく辛い。命が消えてなくなるという事はそれだけでも痛ましい。けれどそれは、突然だっただけでなく、とても難しく残酷な死だった様だ。

その友達は、私が深い孤独の中にいた時に、立ち直るきっかけをくれた人だ。

こんな時、周囲の人間は祈ることしかできない。何も出来ない事がもどかしい。私には、友達にかけられる言葉もない。それが母国語同士だったとしても、こんな時に何を言えばいいか言葉はみつからないけれど、それでも話を聞くことくらいはできるだろう。けれど、聞いた話を理解する事も、今の私には難しい。



拝むような気持で友達の為にパンやお菓子を焼きながら、ふと自分の家族の事を思った。


5年前まで16年間、いつも私の側にいてくれた犬のケンの事を思い出した。

ケンは犬なので、あたりまえだけれど私と話すことが出来なかった。でも悲しいとき、嬉しい時、そっと見つめてくれていた。


ひょっとしたらケンは、いつも、とてももどかしかったんじゃないのかな。


家族の中で、自分以外の皆が言葉を使って会話をし、通じ合っていた事を、きっと理解していただろう。そして、その共通のコミュニケーションの手段を、自分だけが使えない事を分かっていたんじゃないだろうか。

私が悲しく寂しい思いでいた時、何かただならぬ事が起きていることだけを感じ、けれどそれ以上何も出来ない事をはがゆく感じていたのかもしれない。そして、深い眼差しで傍らにいてくれた。私が心の葛藤をコントロールできず、苛立ちをぶつけてしまった時でさえ、いつも少し離れた近くにいてくれた。


それから、母の事を思い出した。
数年前、ヘルペスになって母が急に入院した。死に至る病気ではなかったけれど、激痛を伴う苦しい病気だった。突然の事で慌てていた私は、慣れないことにとまどいながらも、母の日用品をバッグに詰めてかけつけた。その時、鞄の中から寝巻きを取り出した母は、寝巻きを眺めながら、溜息まじりに私にいった。


「あのね、こんな時だからこそ、アイロンのかかった綺麗な寝巻きが着たいものなのよ。あなたには、そういった細やかな心配りがわからないのね。」


その時の私は、せっかく届けてあげたものに文句をつけられる覚えはないと心の中で反発をした。二言、三言の憎まれ口をたたいたかもしれない。そっちこそ感謝してくれてもいいんじゃないかというような気持でいたのだと思う。

数年の歳月を経て母の言葉が思い出され、オーブンに入れかけた天板を再びテーブルの上に戻した。そして、ただスプーンですくうだけだったドロップクッキーを一つ一つ、手で丁寧に丸め一つの角も無いように気をつけた。何の意味もないことかもしれないけれど、こんな時、丸みを帯びたものが何かのきっかけで友達の心に温もりをもたらすかもしれないと感じた。そして、その一つ一つに、お箸の先で笑っている顔を彫った。焼いてしまえば見えなくなるようなものだけれど、そうする事でお菓子に命がこめられるような気持だったのかもしれない。


それから、飾りとして自分の部屋にかけている千羽鶴をみて、ずっと昔に訪れた広島の事を思い出した。あの街には数えきれない程の千羽鶴が飾られている。それを作ったところで何が変わるというものでもないのかもしれないけれど、作るしかなかった人々の気持が今になってようやく感じられた。
これまで、何を見て来たのだろう。何も見てこなかったのかも知れない。そんな事を感じた。



友達のお父さんは、この街からずっと遠くの地で命を失った。
けれども、彼は今そこへ行く事ができない。


友達の上にも、亡くなった友達のお父さんの上にも、同じ一つの空が広がっている。

同じように、白い雲が浮かび、時に雨が降り、稲妻が光り、そして太陽がふりそそぐ。



いつか、きっと、この空に、大きな七色の虹がかかりますように…。










2004年05月09日(日)
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