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しもさんの「気になる一言」
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2019年03月09日(土)
入園無料の植物園あります

空気が乾燥して、草木も水枯れか・・そんな季節を過ぎ、
毎日のように、湿った空気が包み、植物が生き返るのがわかる。
そんな想いで、木々たちと一緒に深呼吸すると、
自分まで、体全体の水分を入れ替えてしまったかのように、
気持ちが落ち着いてくるから不思議だ。
毎日、森林浴を浴びながら、植物園内を歩いている気分で、
何と贅沢な通勤をしているのか、と自分でもニコニコしてしまう。
そんな時、ふと思いついた「柿田川公園」のキャッチコピーが、
「入園無料の植物園あります」
もちろん、こんな風景は、山里に行けばどこでも味わえるし、
都会でも、入場料を払えば、都内のど真ん中でも存在する。
しかし、柿田川公園は、国道一号の真横に位置し、
すぐそばに、大型ショッピングセンターが立地する場所にある。
だからこそ、この自然環境の素晴らしさは類をみない。
いろいろな緑に囲まれた遊歩道の写真に添えてみようかな、
「入園無料の植物園あります」



2019年03月08日(金)
とことん悲しむんだ、共に生きたいなら

映画「ウインド・リバー」(テイラー・シェリダン監督)から。
まずはタイトルが気になったが、物語前半、道路脇の看板に登場した。
「ウインド・リバー 先住民保留地」(INDIAN RESERVATION)
そのアメリカ辺境の地「先住民保留地」で起こる事件は、
酷いとしか表現できない差別問題であるが、
娘を、開拓してきた奴らに犯され殺された、先住民の父親は、
どこに怒りをぶつけていいのか、途方に暮れていた。
そんな時、親友の主人公が声を掛けた。
「時が癒すと言うが、実際は違う。
気休めに過ぎないが・・痛みには慣れる」と前置きをして、
主人公自身が同じようなことを体験し、
悩み苦しんだときにカウンセラーに言われた言葉らしい。
「いい知らせと悪い知らせがある」
「悪い知らせは、君が決して元には戻れないこと。
娘の死を埋められるものなどどこにもない。
いい知らせは、事実を受け入れ、苦しめば、娘と心の中で会えること。
娘がくれた愛も喜びも憶えていられる。
痛みから逃げちゃダメなんだ、逃げると失う。
娘の思い出すべてを、1つ残らずな。
初めての一歩から最後の笑顔まで消えちまう。
苦しめ、マーティン。とことん悲しむんだ、共に生きたいなら」
とても心に残ったアドバイスだったし、胸が張り裂けそうになった。



2019年03月07日(木)
定年退職前に顔見にきました

最近、私の周りで面白いことが起きている。
なぜか、近隣市町の職員の方たちが、突然、
私の現在の職場、地域交流センターに訪れてくれる。
それも、ほとんどが「定年退職前に顔見にきました」とか
「公務員、最後の勇姿を見にきました」なんて、
ふざけたことを言う輩があとを絶たないから、嬉しい。
いつからか、近隣市町の行政職員とも仲が良くなり、
またひと味もふた味も違う、情報交換が続いていたことを、
今更ながらに、嬉しく思う。
そしてまた「清水町の職員でなくなったら、
○○市(○○町)のまちづくりに力貸してくださいよ」と言われ、
そうか、そういうこともできるのか・・とメモをした。(笑)
そう言えば、以前から近隣市町のまちづくりには興味があったし、
近隣市町の職員にも大変お世話になったから、
微力ながらも、情報発信くらいのお手伝いはしちゃおうかな、
そんなことを思っている。
いくら個々の自治体が頑張ろうとも、
この静岡県東部地域全体で発展しなければ、意味がないのだから。
「行政職員だから出来ること、行政職員だから出来ないこと」を見極め、
「出来ないこと」だけでなく「やりにくいこと」も含めて、
少しでも行政経験のある民間人としてお手伝いできれば・・と思う。
わざわざ、私の顔を見に来てくれた彼らにも、恩返ししなくちゃなぁ。



2019年03月06日(水)
楽しむのではなくて、面白がることよ

書籍「一切なりゆき」(樹木希林著・文春新書刊・215頁)から。
久しぶりに、半身浴をしながら、一気に読み終えた一冊。
第1章「生きること」にこんなフレーズが紹介されていた。
「楽しむのではなくて、面白がることよ。
楽しむというのは、客観的でしょう。中に入って面白がるの。
面白がらなきゃ、やっていけないもの、この世の中。」
(「全身ガン 俳優・樹木希林の死生観」(2017年5月))
この表現を読むまで、私の判断基準としている「ものごとのランク」は、
「詳しい」より「好き」、「好き」より「楽しい」。
「だから、どんなに詳しい人でも、楽しんでいる人には勝てない」
そんなことを「論語」を紹介しながら書いてきた。
しかし、もっと上のレベルがあった。それが「面白がる」。
「面白がる」は、一緒になって行動することで生まれる感覚だから、
バカバカしいことでも「面白がる」、真面目なことでも「面白がる」、
「どうやったら、面白くなるか」を真剣に考えるから「面白い」。
「詳しいより好き。好きより楽しい。そして、楽しいより面白い」
この発想は、さすがに孔子の書いた「論語」にも出てこないな。
やっぱり「樹木希林さん」は、孔子より凄いのかもなぁ。

P.S. (出典「論語」)
これを知るはこれを好む者に如かず。
これを好む者はこれを楽しむ者に如かず。
(知っているというのは好むのには及ばない。
好むというのは楽しむのには及ばない)



2019年03月05日(火)
もう、カワセミはどこにも普通にいるよね

いつもの柿田川公園散策の途中に耳にしたフレーズ。
大学生らしき人たちの集まりが、写真を撮りながら、
こんな会話をしていた。
「運が良ければ、カワセミが見られます、だって」
「カワセミって、そんなに珍しい?」
「もう、カワセミはどこにも普通にいるよね」
以前、清流のシンボルだった「カワセミ」は、
「翡翠」とも書き、宝石の「ヒスイ」のように持ち上げられた。
しかし、日本全国で自然環境が改善されてくると、
カワセミは、そんなに珍しい鳥ではなくなってきたようだ。
(「ヤマセミ」はまだ珍しいが・・)
だから「運がよければ、カワセミが見られます」では、
もう観光客は来ないよ、そういう意味でもある。
しかし「何時にどこへ行けば、必ずカワセミが見られます」
そんな情報ならば、まだまだ貴重かもしれない。
カワセミは、みんなに見られるために訪れるのではなく、
食事のため(餌を取るため)にやってくるのだから・・。
「カワセミ」の扱い方、1つのヒントをいただいた気がするな。



2019年03月04日(月)
子供みたいだけど、雨の日は「長靴」

この数日、柔らかな春雨がしとしとと降り続いている。
朝起きると、なんとなくウキウキするのは、私だけだろうか。
横殴りの雨でもなく、手が凍えるような雨でもなく、
ひと雨ごとに暖かなるのを感じられる雨だからかもしれない。
いや、本当のところは、長靴を履いて出かけられからだ。
小さい頃から、雨が降ると「長靴」を履いて、
ぬかるんだ場所や、歩くのに躊躇するような水たまりを
バシャバシャと音を立てて歩くのが好きだった。
しかし、大人になってからは、通勤で長靴を履くことはなく、
雨の日でも皮靴で通勤するのが常だった。
それが、何のきっかけだったか思い出せないが、
今のような季節の頃、しとしと雨の中を長靴で通勤したら、
柿田川公園の中も、水たまりを気にせず歩けたのが嬉しくて、
それ以後、雨の日は「長靴」と決めている。
60歳になると、恥ずかしさがなくなるのか、
子供のように、わざわざ「水たまり」を探して歩く。
周りから「子供みたいですね」「雨の日を喜ぶなんて」と言われても、
この楽しさは、やめられない。
「日日是好日」・・雨の日は雨を楽しむってことなんだけどな。



2019年03月03日(日)
違った役割を経験する

四月から走り抜けてきた生涯学習課の最後のイベント、とも言える
「生涯学習フェスティバル2019」が昨日、開催された。
確かに大きなイベントであるが、事前に職員にある提案をしてみた。
イベントにはつきものの「トラブル、ハプニング、アクシデント」
私の経験から判断しても、どれが起きても、なんとかなるだろうと思い、
いつもの決まりきった、職員の役割を変えてみないか、と。
それは、全体統括、来賓者等の接待役をしてきた「課長」の役割も含め、
ガラガラポンしないか、というもの。
狙いは「違った役割を経験することで、いつもと違う景色を見て欲しい」
ただ失敗を恐れ、そうは言っても・・と躊躇されることも想定して、
「最後の思い出に・・」と、自ら「駐車場係をやりたい」と立候補した。
結果、私たち管理職2人は、誘導灯を片手に、来場する町民を出迎えたが、
「これはこれは、課長自ら、駐車場係ですか、申し訳ない」と、
多くの方に声を掛けられ、かえって恐縮されてしまい可笑しかった。
久しぶりに、駐車場内を飛び回り、満車に際しての来場者の不満を聴き、
臨時駐車場の案内をしながらも、楽しく「駐車場係」が出来たことは、
本当の意味で「最後の思い出に」なった、と思う。
そして、スタッフの成長を願う意味での提案だったにも関わらず、
私自身が忘れかけていた「いつもと違う景色」を見せてもらえた気がする。
あと1ヶ月、いろいろな経験をして公務員生活にピリオドを打ちたいな。