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しもさんの「気になる一言」
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2017年11月25日(土)
日帰りのお土産ではないね、この量は

メモを整理していたら、面白いフレーズを見つけた。
秋の行楽シーズン、それも「味覚の旅のバス旅行」となれば、
トイレ休憩で停車するサービスエリアごとに買い物をし、
「お土産」と称する食べ物が増え続けるパターンにはまる。
その量は、両手では持ちきれないほど。
それを見て、ある人が驚いたように言った。
「日帰りのお土産ではないね、この量は」
葡萄や林檎のフルーツを始め、道の駅では、地場野菜の数々。
農家の人が、わざわざ野菜を買わなくてもいいのに、と思うが、
私の分析では、農家の人ほど野菜に手が伸びている。(笑)
実は、その心理がわからない。
普段、自分たちが育てている農作物とは違うものが目に入ると、
ついつい、買いたくなってしまうのだろうか。
それとも、自分たちが作っていない珍しい野菜は、
どんな味がするのか、気になるのかもしれない。
バス旅行を終え、トランクから溢れるばかりのお土産を出していた
バスガイドさんが、一言付け加えた。
「自分より大きなお土産が気に入っても、お持ち帰らないように」
他人のお土産も気になるってのが、可笑しかった。
秋の行楽シーズンのバス旅行、要注意だな、
旅行代金以上のお土産は、当たり前の世界だから。



2017年11月24日(金)
生活の基礎代謝を減らす

2017年度・沼津・伊豆地域 福祉とくらしのセミナー
講師「森永卓郎」氏(獨協大学教授・経済アナリスト)
演題「どうなる 私たちの暮らし」から。
導入部は、もちろん「ライザップ」ネタ。(笑)
「食べものの量は関係なし、食べ物の種類を制限する」と、
ライザップ・ダイエットの本質を披露した後、
その徹底ぶりに「余計な物を食べたくなくなる」から、
ダイエットに成功するんだ、と笑いを取った。
さて、本題の「私たちの暮らし」については、
経済アナリストらしい、分析を交じえながら、
一つの提案を、聴講している私たちにしてくれた。
それが「生活の基礎代謝を減らす」。
冒頭のダイエットネタが、ここに繋がっていたようだ。
「入ってくるお金が少なかったら、出ていくお金を減らす」
それが、私たちに求められる生活なのかもしれない。
「せこい・ケチ・渋チンは褒め言葉と思いましょう」と元気付け、
「生活費を低く押さえれば怖いものなし」と断言した。
支出を徹底的に少なくすれば、収入が激減しても大丈夫。
身体がそれに慣れてしまえば、苦にならない。
そういう意味なんだろう、思う。
年金暮らしまでに、暮らし方を変えていかないとなぁ。



2017年11月23日(木)
信念を曲げたら僕は生きていけない。

映画「ハクソー・リッジ」(メル・ギブソン監督)から。
今までにも数多くの戦争映画を鑑賞してきたが、
本当に、戦争を体験してきた人たちの話と、
映画の戦争シーンのギャップを埋められなかった。
だからこそ、今回の沖縄戦のリアルさは、経験者の話と近く、
本当にこんな恐怖だったんだろうなぁ、と胸が締めつけられた。
さて作品中、「壁」(リッジ)という言葉が何箇所かで使われている。
冒頭、主人公が幼少時代、壁に駆け登って親に叱られるシーン。
「危ないぞ、崖(リッジ)から離れろ」
私の知識で、壁は「wall」、崖は「ciff」だと思っていたので、
字幕を見て慌ててメモをした。(笑)
次に「壁」が出てくるのは、志願兵でありながら、銃を持たず
軍法会議にかけられることになった時、
彼女が「何をされたの?」と心配げに訊ねたあとのシーン、
主人公の彼は「何でもない、壁と戦って負けただけ」と答えている。
そしてもちろん、戦地・沖縄の断崖絶壁「ハクソー・リッジ」。
主人公にとって「壁」は、乗り越えるもの、と思っていたかも知れない。
「壁」があるから、諦めるのではなく、途方も無い「壁」があっても、
信念を曲げず登り続ければ、いつかは超えられる、そう感じていた。
だからこそ、彼は「信念を曲げたら僕は生きていけない」と口にする。
もちろん戦争の映画であるが、監督が私たちに伝えたかったのは、
「主よ、もう1人助けさせて。もう1人・・」と神にお願いしながら
「お願いです、もう1人助けさせて」とうわ言のように呟かせた
彼の「信念」が、光輝いていたと言える。
最後に上官が言う。「お前は奇跡を成し遂げた。その奇跡が必要なんだ。
お前なしでは戦えない」、なるほど、そういうことか。(汗)



2017年11月22日(水)
なんでそんなこと訊くんですか? 

観光地に行くと、多くのシルバー世代の人たちが、
観光ガイド役をしながら、バスから降りてくるツアーの方々を
楽しそうに案内している姿が目に入る。
どうして、若い人たちがいないのだろう?と不思議だったのだが、
その理由が少しだけどわかった。
(若い人のガイド役は、今でも話題になるほど少ないから・・)
今では、観光地のあらゆる情報は、スマホで調べればわかる。
地形や歴史、仕組みなど、興味があるならガイドに案内されなくても
もっと詳しくわかるから・・が本音であるようだ。
だから「歴史とか訊かれても困らないように勉強しようよ」と言えば
「なんでそんなこと訊くんですか?。スマホで調べればいいのに」と
いうことになりかねない。
ここに観光案内のヒントが隠されている気がしてならない。
ネットに載っているようなことの説明は、少なくて構わない。
逆に、ネットには掲載されていない「今だけ、ここだけ、あなただけ」の
観光情報を、タイムリーにガイドできることが求められている。
それが話題になることで、あの人のガイドを聴きたい、となるのだろう。
これからは、ネットに掲載されていない情報で勝負だなぁ。



2017年11月21日(火)
日本独特の「片廊下」「昇降口」「下駄箱」(上履き)

平成29年度日大国際関係学部主催(下期市民公開講座)
統一テーマは「日本の社会・教育を考える」
講師「冨士原雅弘」氏(日大国際関係学部准教授)
演題「日本の学校空間の成り立ち」から。
まず、武士階層が学ぶ「藩校」。庶民層が学ぶ「寺子屋」
そう理解していたら「寺子屋」は、京・大坂中心。
江戸などでは「手習塾」と呼んでいたことは、へぇ〜だった。(汗)
さらに「片廊下」「昇降口」「下駄箱」(上履き)などを挙げ、
私が今まで何も疑問も持たず利用しいた、日本独特の学校空間について、
丁寧に説明を加えてくれた。
海外では「廊下」を挟んで教室が両側に配置されているが、
高温多湿な日本では、風通しのよくない中廊下は不適当で、
「片廊下」が好ましいとされたようだ。
寒暖の激しい地域では、廊下の方向も工夫されていることを知った。
一番驚いたのは「昇降口」で「上履き」に履き替えるという習慣。
これまた、教育の一環でそういうものだと思い込んでいたら、
これこそ和式建築から当然に生まれた生活習慣の採用(二足制)だった。
大学などは一足制だがら、教える側の生活習慣に合わせた、という説明に、
妙に納得してしまった。
「下駄」など履いていかないのに、なぜ「下駄箱」と言うのだろうか、
以前、そんな疑問は持ったことがあったが、なんとなく理解できた。
下履きが下駄の場合、騒音、土足による泥・ほこりの侵入、衛生保持できない
などの理由が、あとから付されたとも教えていただいた。
意外な日本の学校の建物空間、まだまだあるんだろうなぁ。



2017年11月20日(月)
子どもが読むのが子どもの本ではない

書籍「読書からはじまる」(長田弘著・NHK出版刊・201頁)から。
次に紹介するのは「こどもの本のちから」という項目。
まず最初に「本は、年齢で読むのではない」と言い切り、
「本を読むというのが、新しいものの見方、感じ方、考え方の
発見を誘われることでないなら、読書はただの情報にすぎなくなり、
それぞれの胸のなかに消されないものとしてのこる何かを
もたらすものとしての、読書の必要は失われます」と。
さらに「子どもが読むのが子どもの本ではない」
「年齢によって、本を考えることをやめたい」とまで。
「年齢によって、限定されない読書の楽しさ」を提案している。
「子どもの本というのは、子どものための本なのではありません。
大人になってゆくために必要な本のことだというのが、
わたしの考えです」というフレーズにぶつかり、感激した。
子どもの本になくなてはならない「物語の三原則」は、
「古くて歳をとったもの」「小さいもの、幼いもの」
「大切なもの」を示してあげることだと理解した。
どの図書館でも「子供と大人」でフロアを分けたりするから、
私たちが子供用の楽しそうな図鑑を見つけられないんだよなぁ。



2017年11月19日(日)
「インデペンデンス・デイ」を観直したくなる映画

映画「インデペンデンス・デイ2014」(W・D・ホーガン監督)から。
鑑賞後、あまりにチープな作りに言葉がなかった。
タイトルだけで選んだ自分が情けなかったが、
逆に、こんな作品に出会えるのは、珍しいかもしれない。
製作国・カナダの原題は「INDEPENDENCE DAYSASTER」
「INDEPENDENCE」は「独立・自立・自活」
「DAYSASTER」は「毎日・幾日も」
あっ、もしかしたら、私たちが勝手に、
「Independence Day」(独立記念日・米国は7月4日)と
勘違いしたのかもしれない。(意味が違う?)
原題をみれば、大作「インデペンデンス・デイ」とは別物、と
ハッキリわかったのになぁ。(笑)
「こいつは、すげえゃ」や「地球外生命の探査が仕事よ」
映像や場面設定で表現するはずが、台詞で説明するから、
安っぽい仕上がりになってしまう。
また、偶然が多すぎて、観ていて「興奮」するというより
「笑い」が込み上げてしまうほど・・・。
もう一度、映画「インデペンデンス・デイ」を
観直したくなる映画、というのが、この作品の感想かな。