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| 2017年10月21日(土) ■ |
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| よし、やった、やったぞ!!・・・まぁ、当然だな |
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映画「M:i:III」(J・J・エイブラムス監督)から。 往年の人気TVドラマ『スパイ大作戦』をトム・クルーズ主演で 映画化したサスペンスアクションシリーズの第3弾。 お決まりの、手に汗握るアクションと、切れ者のチームメンバー、 大ドンデン返しの結末に、ハラハラドキドキは変わらない。 しかし今回は、冷静なはずのチームメンバーが、 一瞬興奮するシーンがあった。 トムクルーズ扮するイーサン・ハントが、 高層ビルの屋上から、距離の離れたビルの屋上へ飛び移る、 危険きわまりのないシーンなのだが、彼が成功した瞬間、叫ぶ。 「よし、やった、やったぞ!!」・・・そしてしばらくして、言い直す。 「まぁ、当然だな」。(冷静さを取り戻したように・・) このギャップが私には面白かった。 成功を信じてはいるものの、それほど難しい挑戦だったことが この台詞で、ひしひしと伝わってきたから。(脚本の妙だなぁ) 「世の中はテクノロジーで滅びる」 「わかっていると思うが、バチカンはバチカンだぞ」 こんな台詞も、私のメモに残された。 「IMF」って「極秘任務実行部隊」の略だったんだなぁ。(笑)
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| 2017年10月20日(金) ■ |
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| 宮西作品の絵本翻訳は本当に難しいなぁ |
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絵本作家の宮西達也さんが、今回、アメリカに出かけ、 何箇所かで、自作の絵本を読み聞かせするというので、 気の置けない仲間が集まって、英訳に挑戦したが・・ 予想以上に難しかった。(汗) 彼の作品の多くは「パクパク」「カチカチ」を始め、 「ダダダ・・」とか「ドドド・・」とか「キラキラ」など、 英語にすると、その感覚が違ってしまう言葉が溢れ、 そのたびに、全員で「スマホ」「電子辞書」を片手に、 ああでもない、こうでもない、と頭を悩ませることととなった。 そう、絵本は擬声語、擬態語のオンパレードであり、 その繰り返しで、子供たちは楽しくページをめくる。 擬声語は「ニャンニャン、カーカー」「トントン・ざわざわ」など、 事物の音や人・動物の声などを表す語。 擬態語は「ピカピカ、キラキラ」など、 物事の状態や様子などを感覚的に音声化して表現する語。 わかっていても、その国の言葉に直すと、イメージが変わってしまう。 その場にいた仲間が口を揃えて発した言葉は 「宮西作品の絵本翻訳は本当に難しいなぁ」だった。 特に「うんこ」とか「は〜い」なんて作品を、アメリカの子供たちが、 どんな反応するか、帰国後の報告を楽しみにしたい。
P.S. 宮西さん、「おっぱい」だけは読み聞かせしないほうがいいですよ。 犯罪になったらまずいですから・・は、私たちからのアドバイス。(笑)
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| 2017年10月19日(木) ■ |
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| 三成はかみそりであっても、鉈や斧ではないのだ |
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書籍「関ヶ原(中)」(司馬遼太郎著・新潮文庫刊・538頁)から。 「(大阪にいる東軍の大名たちの)人質をおさえるおさえぬかで、 この戦いの勝負が決まる」と、石田三成は考えた。 しかし、人質であった細川忠興の妻、細川ガラシャが自害した報を耳にして、 その作戦が「愚であることをみずからさとった」として、 「気がつけば、すぐ転換することだ」と、人質作戦を中止した。 その時の判断を、作者は表現している。(信長・秀吉なら) 「とった以上は、その間、細川夫人のような事態がぽつぽつしても、 おどろかなかったにちがいない。 無視し、黙殺し、あくまでもその政策を推しとおし、すくなくとも、 『驚いて中止する』というようなことはなかったであろう。 智謀は、あるいは治部少輔様のほうがすぐれているのかもしれないが、 そこがちがうのだ。やはり器量のちがい、というほかないかもしれない。 刃物でいえば、三成はかみそりであっても、鉈や斧ではないのだ。 鉈や斧ならば、巨木を伐り倒して、どのような大建築を作事することができるが、 かみそりはいくら切れても、所詮はひげをそるだけの用しかできない」 厳しい言い方だが、非常にわかりやすい。 大将には「泰然自若」としていて欲しいのは、いつの世も同じである。
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| 2017年10月18日(水) ■ |
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| なんとも紛らわしい「24」の看板なんだ |
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時々「情報交換会」と称する「単なる飲み会」が、 日付が変わりそうな時間まで盛り上がると、 酔った勢いに任せて「本当に歩いて帰るの?」の声を背に受け、 帰宅途中の「コンビニ」や「ドラックストア」でコーヒーを買い、 酔い覚ましをしながら歩くのが習慣となっている。 (時には、我慢できないトイレをお借りすることも・・(笑)) 先日も「24」の看板を遠くから見つけ、楽しみに近づいたら、 なんと、閉まっていた。 「24時間営業じゃないの?」と、ほろ酔い気分で看板を眺めたら 「24時まで」だった。(汗) なんとも紛らわしい「24」の看板なんだ、と1人で呟き、 自販機の「缶コーヒー」を飲みながら、メモをした。 こんなことまでメモする自分が可笑しかったが、 以前は「中畑清選手」「高橋由伸選手」の背番号だった「24」が やっと「時間」として認識するようになっただけでも進歩だな。 街を歩くと「看板」ばかり目についてしまう私。 だから、メモがどんどん増えてしまう、いいのかなぁ。
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| 2017年10月17日(火) ■ |
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| 108?、消費税込み |
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映画「彼らが本気で編むときは、」(荻上直子監督)から。 う〜ん、なんだか違うなぁ・・という感想で鑑賞を終えた。 ではどこが違和感なのか、と訊ねられても、うまく表現できない。 ただ、市民権を得てきた性的マイノリティの「トランスジェンダー」が、 一昔前に逆戻りしてしまった感覚なのかもしれない。 性的マイノリティの人たちを「変態扱い」する時代はすぎたし、 「マツコ・デラックス」さんらの活躍をみれば、違和感は感じない。 今時の小学生が、黒板に「オカマ」という単語を大きく書きだし、 彼・彼女らをいじめの対象にするのだろうか?、それさえわからない。 そんな中で、久しぶりに笑えたメモをご紹介。 トランスジェンダーのリンコは、男性の性とオサラバする儀式として、 毛糸で、男性のシンポルの形をコツコツと編み続け、 「これを108個作ったら燃やすの」と、ある少女に呟く。 それを聞いた彼女が「108?、消費税込み」と返す。 「人間の煩悩の数」「除夜の鐘も108}」「数珠の珠の数も108」 こんな説明よりも「消費税込み」の方が、私にはウケた。 このネタ、またどっかで使わせもらおうっと。
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| 2017年10月16日(月) ■ |
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| 庶人には勘がある。 |
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書籍「関ヶ原(中)」(司馬遼太郎著・新潮文庫刊・538頁)から。 当時の「江戸」の様子について、語られる場面がある。 「庶人の数が、増える一方だそうだ。 諸国からこの新興都市をめざして馳せあつまってくる庶人の数は、 あるいは増加率は、京大坂をはるかに凌ぐであろう」 「庶人には勘がある。江戸へくれば職がある。 物が売れるという目さきの利益だけでなく、 江戸がやがては天下の中心になることを、 かれらは皮膚で感じとっているのではあるまいか」という部分。 これは、今の時代にも言えるのではないだろうか。 天下を取るまではいかないが、移住、定住を決める理由として、 将来、その地域の中心になるかどうか、は大きな判断材料だろう。 中心になると、物だけでなく、多くのものが集まってくることを、 庶人(庶民)は、五感で感じているということだ。 それは「人材」であったり「情報」であったりする。 それがまた躍動する契機となり、ますます活性化が進む。 だからこそ、地方には人を集める仕組みが求められるのだろう。 現実のものとして、今でも首都・東京に人が集中しているのは、 その「庶人(庶民)の勘」が働いているに違いない。 「庶人(庶民)の勘」って、結構当たるんだよなぁ。
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| 2017年10月15日(日) ■ |
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| 「映画」になれば、「原作」など木っ端微塵 |
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映画「関ヶ原」(原田眞人監督)から。 書籍「関ヶ原」(上・中・下)(司馬遼太郎著・新潮文庫)を 読み切る前に、待ちきれず鑑賞してしまったが、 全くの別もの、という感想を持った。 逆に、原作者の司馬遼太郎さんが生きていたら、 決してOKを出さなかったんじゃないか、と思うほどだった。 あの長編を149分にするところから無理があるのだから、 映画「64 ロクヨン」のように「前編・後編」に分けるとか、 小説のように「3部」に分けるとか、して欲しかった。 それでも「世の中、正義では動かぬ」 「将の上の将になるには、正直すぎる」 「戦さになれば、正義など木っ端微塵」 「動かぬ大軍を動かすことが大将の務め」などをテーマに 「気になる一言」を書こうと思ったが、それさえも気が引けた。 台詞も早口で、なおかつ方言交じりで、うまく聞き取れない始末。 申し訳ないけれど「戦さになれば、正義など木っ端微塵」をもじって 「『映画』になれば、『原作』など木っ端微塵」を残したい。 これだけ期待を外されたのは、珍しいなぁ。(期待しすぎ?)
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