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| 2017年04月22日(土) ■ |
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| 「行動」「目的」より「意味」を意識する |
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春になると、柿田川に入り、外来種駆除の楽しみが増える。 今日は、天候にも恵まれ肌寒くなく、絶好の作業日和。(笑) 私たちベテラン組みの作業場所は、舟付場の近くで、 観光客から何度も声を掛けられた。 質問は決まって「何をしているんですか?」。 その答え方によって、自分たちの作業に対する想いが伝わることを 一緒に作業していたメンバーから教わった。 それが「『行動』『目的』『意味』レベル」という指標。 単に「外来種駆除をしています」と答えるのは、行動レベル。 ボランティアである、ないに関わらず、 自分の行動を、文字にして説明しているに過ぎない。 次に「絶滅危惧種のミシマバイカモを護るために、 こういった外来種駆除をしています」と答えるのは、目的レベル。 この作業は、こんなことのためにやってるんですよ、と 目的意識をもっていると、観光客にも説明しやすいし、 自分の行動が、とても有意義に感じられることは間違いない。 しかし、一番意識しておいて欲しいのは、意味レベル。 「何十年、何百年先まで柿田川の多様性が続くように、 大勢の方々と、外来種駆除作業をしています」など、 こういった作業・活動は、どんな目的があるのかではなく、 この取り組みが、どういった意味をもっているのか、を意識する。 それによって、もっと自分の行動に誇りがもてるようになるから。 この考え方って、家庭や仕事でも通用するものなんだよなぁ。
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| 2017年04月21日(金) ■ |
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| どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい |
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映画「葛城事件」(赤堀雅秋監督)から。 作品全体に、重い空気が流れ続け、 観賞後の気持ちも、(正直)どっと疲れたが、 「無差別殺人事件を起こした加害者青年とその家族」に、 スポットを当て続けたことで、第三者としてでなく、 三浦友和さん演じる、加害者の父としての苦悩が伝わってきた。 子供が大きな事件を起こしたら、親の育て方をはじめ、 どんな家庭に育ってきたのか、と追求する世間の目がある。 特にインターネットが普及し、国民総評論家時代とも言える現代、 加害者とその家族をギリギリまで追いつめる社会構造は、 とても危険なことだと感じているし、 マスコミも、加害者・被害者両方の立場で報道することなく、 加害者と加害者の家族を徹底的に吊るし上げているように見える。 冒頭、ブロック塀に殴り書きした誹謗中傷の文字を消しながら、 三浦友和さんが「バラが咲いた」を口ずさむシーンは、 この映画を思い出すには欠かせない気がする。 そして、こう言い放つ。 「騒ぎたいんだよ、何か理由をみつけて、騒ぎたいだけだ。 どいつもこいつも、正義面だからなお恐ろしい」と。 普段の生活で自分たちが他人に与えている悪影響は棚に上げて、 誹謗中傷できる事件を見つけ、ここぞとばかり大声を上げる。 (または、それをきっかけに目立とうとする) 死刑制度反対を訴え、加害者と獄中結婚した女性も、 正義面した、そのひとりなんだよなぁ、きっと。
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| 2017年04月20日(木) ■ |
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| 人生には三つの恵があるから「恵三」 |
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映画「夏美のホタル」(廣木隆一監督)から。 吉行和子さんと光石研さん演ずる、 ヤスばあちゃんと地蔵じいさん(恵三)という「老親子」と、 小林薫さん演ずる、雲月という「仏師」と交流しながら、 主人公の「夏美」がいろいろなことに気付いていく。 今回の気になる一言は「恵三」という名前の意味。 「人生には三つの恵がある。 「一つ目は、この世に生まれてくる喜び。 二つ目は、親に愛される喜び。 そして、三つ目は、親になって子どもを愛する喜び」 地蔵じいさんは、子どもが小さい時に離婚したためか、 三つ目の「恵み」を実感できずにいたが、死の直前に、 その子どもと再会することが出来て、病床でこう呟く。 「三つの恵をもらうことが出来た」 これでもう何も後悔することはない・・と言いたげに。 父親がバイクレーサーをやめた理由が自分だと責めていた 有村架純さん演ずる「夏美」に、こう語りかけた。 「お父さん、夏美ちゃんのこと、愛してたんだよ。 何よりも幸せだったんだよ」と。 親に愛された喜びを、次は自分の子どもに注ぐ喜び、 若い頃は「三つの恵」を、意識していたなかったけれど、 今こうして歳を重ねてきたことで、わかることでもある。 三つ目は「子どもに愛される喜び」ではなく、 「子どもを愛する喜び」ってところが「恵」なんだと思う。 これからも、出来る限り「三つの恵」を意識したいな。
P.S. 既に他界した父親の名が、偶然にも「恵三」。 名前のいわれは訊いたことがなかったけれど、 もし「三つの恵」だとしたら、とてもありがたいことだね。
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| 2017年04月19日(水) ■ |
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| 元気なまちはどこもやっていますが、私はauなので・・ |
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久しぶりに、飲み会で仕入れたネタで、笑い転げた。 飲みながらも、まちづくりの話をしていて飛びだした台詞。 誰かに伝えないとずっと耳に残り続けるので、ご紹介。(汗) マンネリ化したイベントの改善アイデアを話し合っていた時、 全国の先進事例や、近隣市町の取り組みを紹介しながら、 まずは成功している事例を真似してみよう、と言うことになり、 知ってる限りのアイデアを紹介したが、 どれも「帯に短し襷に長し」の評価で、これだ、と踏み切れない。 そんな時、こんな台詞が耳についた。 「うまくいくかわからないけど・・」と前置きをしたあと、 「行政主導のイベントを止めてみる」。 参加者の安全安心を優先した、行政主導のイベントはつまらない。 担当者も人事異動などで数年で替わるため、 どうしても前年踏襲型になりやすい。だから、参加者も集らない。 やはりイベントは、毎年違った企画を繰り出してくる若い人たちが、 企画しないと盛り上がらないよ。 そんな会話を横で聞いていたら、ある先輩がボソッと呟いた。 「元気なまちはどこもやっていますが、私はauなので・・」 auの私はこのフレーズは使えるなぁ、と早速メモをした。 もちろん「docomo」以外のメーカーならどこでも可能だ。 「docomoやってますが、私はau(softbank)なので・・」 また、できない言い訳をひとつ増やしてしまったなぁ。(笑)
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| 2017年04月18日(火) ■ |
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| 歯なしのバアさんがジャムを吸う音だ |
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映画「SPY スパイ」(ポール・フェイグ監督)から。 スパイの作品というと「007」を始めとした、 クールな雰囲気を醸し出している男性が主人公なのに、 今回はまったくの逆だったから、楽しめた。 CIAとはいえ、本来の仕事は、デスクに座りPCを眺め、 彼らのサポート役の分析官の女性が、事件に巻き込まれながら、 男性スパイ顔負けのアクションを繰り広げる。 でも、その展開は女性では敬遠されそうな「下ネタ」が満載で、 すべてを「コメディ」として、難事件を解決してしまう。 そのギャップが、何ともいえなく面白い。 颯爽の動き回る男性のスパイを観て「身軽でズルいわ」と呟き、 熱烈にキスしている男女の横で「うるさいよ」と叫び、 「何が?」と訊かれれば「ブチュブチュうるさい。キモいよ。 歯なしのバアさんがジャムを吸う音だ」と言い返す。 宿泊することになった汚いホテルは「3つ星ウンコのホテルね」、 さらに「自分のエッチ映像を見た時みたい」など、 下品な言葉も飛び出すのに、なぜか観賞後はスッキリ。 今まで観てきた「スパイ映画」とはちょっと違った感覚が、 私を喜ばせてくれた。疲れたときは、こんな作品がお勧め。
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| 2017年04月17日(月) ■ |
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| ネットこそ、礼儀が大事 |
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Facebookも慣れてくると、ストレスが溜まってくる。 特に、コメントを書き込む人たちの「礼儀のなさ」である。 自分のタイムライン記事に「いいね」を押してくれる人以外に、 コメントを書いてくれるのは確かに嬉しいだろうけれど、 それは「記事」の内容に沿ったコメントであって欲しい。 メールやメッセージでやり取りできるような会話のコメントは、 「読まされている」人にとっては、何も面白くないだろうし、 コメントをしてくれた本人に宛てたメッセージのつもりでも、 多くの人に読まれていることを意識しないと、 その内容によっては、人柄さえ疑われることになる。 何十年もネットの世界を通じて、日記を書いていると、 その無防備さに驚かされることもしばしば。 私たち世代では懐かしい「交換日記」のシステムで、 相手の数が複数になり、その親密度も合わせて、全世界の人々に、 公開されているようなものだから。 だからこそ、親しき仲にも礼儀あり、のコメントが大事だと思う。 「声」なら一度発しても、時間が経つにつれ薄れていくけれど、 「文字」は削除しない限り残り続け、逆に時間が経つにつれ、 増幅していく気さえする。 そういう意味で「ネットこそ、礼儀が大事」を残そうと思う。 (実は、このフレーズ、飲み仲間に教えていただいたもの)
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| 2017年04月16日(日) ■ |
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| 知ってる者には、責任がある |
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映画「僕のうしろに道はできる 奇跡が奇跡でなくなる日に向かって」 (岩崎靖子監督)から。 「ドキュメンタリー映画」の宿命で、評価が分かれるに違いない。 主人公・宮田俊也さんの入院生活を通して、彼の頑張っている姿に感動し、 なんでも諦めずに、続けることを学んだ人は、それを実践すればいい。 もう1人の主人公、養護学校教諭の山元加津子さんの熱心な介護と、 どんな状況の人でも、意識がある限り、想いは伝わるという信念を持ち、 そのことを知りながら、伝えなかった私が悪かった、と全国を講演している、 彼女の強い想いに、揺れ動かされて、行動するのもいい。 いや、彼のあんな姿を見るのは辛い・・と、予告編を見ながら、 本作は見ないという選択した人も、それはそれであり、だと思う。 私は好奇心旺盛だから観たけれど、観ない人を責める気にもならない。 こういった「ドキュメンタリー映画」は、作品を観ることにより、 何かを感じ、翌日からの行動が変わる人がいる。 それが、このジャンルの映画の醍醐味ではないだろうか。 ただ、これは絶対、伝えなくちゃいけない、広めなければいけない、と気負い、 強要するものでもないからこそ、難しいとも言える。 私にできることは「知ってる者には、責任がある」という、かっこちゃんと、 それを支えようとしている「自主上映会」を開催してくれた人たちを応援すること、 言い換えれば「支えようとしている人を支える人」になりたい。 「籠に乗る人、担ぐ人、そのまた草鞋(わらじ)を作る人」という言葉があるが、 まさしくその「草履を作る人」になりたいと思う。 もしかしたら、その草鞋を作る人を支える誰かでもいいかなぁ。
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