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しもさんの「気になる一言」
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2017年04月08日(土)
「アキヒト」というの。意味は「輝ける王子」よ。

映画「ポール・ヴァーホーヴェン トリック」
(ポール・ヴァーホーヴェン監督)から。
映画の冒頭4分だけを公開してその後の脚本を一般公募し、
送られてきた1000以上もの脚本から監督自ら選出したものを
繋ぎあわせて製作という、新しい試みは評価できる。
ただ、その過程を追うドキュメンタリーを併せた2部構成は、
やや説明が長すぎるし、だから、中途半端な作品でも許して、
というメッセージが伝わってきて、残念だった気がする。
そんな制作過程は、作品鑑賞後に観たい人だけが観ればいい、
どんな形であれ、本作だけで評価を受けて欲しいと感じたのは、
私だけではないだろう。
やはり、内容は薄く、サスペンスを多く観ている人には、
最後の「父親を知りたい?」という台詞も予想できてしまうから、
物足りなさのまま、終えてしまった。
この作品を思い出すには、日本にいたはずの元愛人ナジャが、
おなかの子の父親を紹介するシーンかな。
「『アキヒト』というの。意味は『輝ける王子』よ」
名前の紹介の仕方が外国らしいなぁ、という感想。
まぁ、お土産(誕生プレゼント)の「盆栽」に対して、
枝を指で摘まみ持ち上げるシーンも違和感があった。
う〜ん、評価は分かれるだろうなぁ。

P.S.
「アキヒト」が、天皇陛下の名前(明仁)と気付くまで、
ちょっと時間がかかってしまいました、面目ないです(汗)。



2017年04月07日(金)
人が柿田川を護ることの価値を強く意識する

講師「樫村昇」氏(柿田川みどりのトラスト業務執行理事)
演題「柿田川湧水の生き物たち」から。
「柿田川生態系学習会」と題した説明は、わかり易かった。
「柿田川の生態系が、いかに特異かつ希少であり価値が高いか」
一番、柿田川に入っている人だけあって、写真、動画の鮮明さも、
私たちがスマホで撮影している作品の比ではなかったし、
柿田川の価値の高さは、彼の説明で「確信」に変わった。
また「柿田川は湧いた瞬間から命を与えている」と言い
「命を繋いでいける環境を作っていかなければ・・」持論を語った。
「この柿田川の特異な生態系をいかに護るか」に主眼を置き、
「人が柿田川を護ることの価値を強く意識する」ことの大切さを、
聴講していた私たちに訴えていた。
外来種駆除作業で、定期的に川の中に入り、その魅力に触れ、
さらに、毎日のように写真を撮り続けている私にとって、
柿田川のことを知れば知るほど、この川を護りたくなる、
そして、その価値を世界に向けて伝えたくなる、のは理解できる。
1人でも多く、柿田川の魅力に惹かれることを願っているし、
子どもたちの研究対象となればいいな、と感じた学習会であった。



2017年04月06日(木)
意味なんて、てめぇで見つけんだよ。

映画「バケモノの子」(細田守監督)から。
「神にすらなれる我らバケモノと、なれぬ人間とでは、
生きる世界が違うでな」の設定で物語が設定され、
渋谷の街とバケモノたちが住む「渋天街」という2つの世界が
交錯するストーリーを楽しみながら、
書籍「十二国記」シリーズ(小野不由美著)を思い浮かべた。
注目は、人間の少年がバケモノ(熊徹)の弟子になり、
複数の賢者に「畏れ多くもお尋ねいたします」と前置きをし、
「強さとは何ぞや?」と尋ね歩くシーン。
(賢者1)は「幻は、時として、真実よりもまことなり」
(賢者2)は「そんなもの求めて何になる?」
(賢者3)は「それをわしに問うのは筋いじゃ」
(賢者4)は「わしは、達観などせん」
どれも、納得のいく答えは見つからなかったと思うが、
少年は「強いって、いろんな意味があるんだな」と悟った。
「どの賢者の話も面白かった」と言いながら、
「意味なんて、てめぇで見つけんだよ」と言うアドバイスで、
「意味を自分でみつける」ことの重要性を理解したはずだ。
この気付きが、彼を成長させたことは間違いない。
いろいろな人に助言を求めるのは悪いことではない。
しかし、最後は自分で意味を見つけ、自分で判断し、
自分の信念に従って行動することこそが、大事だと知る。
生きている意味も、自分で見つけなくちゃなぁ。



2017年04月05日(水)
まち(空き店舗)を使ってくれる人を探してくる

「2020年オリンピック・パラリンピック文化プログラム 
静岡県推進委員会・トークシリーズ vol.02」
「 住民に親しまれる文化拠点ってなあに?」
(空き家と、文化プログラム)から。
バネラーは、「深澤孝史」氏(美術作家)
「市来広一郎」氏(NPO法人 atamista 代表理事)
「行貝チエ」氏(写真家(スチールラボラトリー))
それぞれの立場の人が、自分の活動を中心に報告し、
その中から、何か一つでもまちづくりのヒントを見つけて、
自分の街で実践していく、このパターンは嫌いではない。
今回、印象に残ったのは、「市来広一郎」氏の発言。
「まち(空き店舗)を使ってくれる人を探してくる」
「その箱を求める人、文化を作ることが大事」と前置きし、
「そういう人たちがどこにいるのかを探す」
「面白いプレイヤーを見つける」と付け加えた。
自分の住む地域のまちづくりは「住民が主体」と考えがちだが、
この「まち」という箱を使って、何か面白いことを仕掛ける人を
全国から探してくるという視点は、とても参考になった。
「そのアイデア、うちの街で、試してみてくれ」とばかり、
新しい試みに対し、成果を求め過ぎずに支援する、
税金だから、という理由で、住民に限った「まちづくり支援」は
もう古いのかもしれないなぁ。



2017年04月04日(火)
道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな

映画「オーバー・フェンス」(山下敦弘監督)から。
主人公の田村聡(女性)を演ずる、蒼井優さんの求愛ダンスは、
ダチョウ、ハクチョウ、そしてハクトウワシになりきっていて、
もう一人の主人公、オダギリジョーさんが惹かれるのも頷ける。
鳥を真似して踊る姿は、とても素直で美しいのに、
1人の孤独な女性に戻ると、愛情表現が上手く出来ない。
そんな不器用な生き方しかできない人たちが綴るリアルな生活は、
こんなにも切ない物語になるのか・・と、メモをした。
周りの人間と、うまくコミュニケーションがとれない人たちは、
舞台となった「函館職業技術訓練校」の中でも、同じである。
観終わってからメモを振り返ると、冒頭に大工の教師が
(いろいろな理由があり通っている)老若の生徒たちに向かって、
「道具の手入れをさぼると、あとで自分が大変になるからな」と
ノミの刃の手入れを欠かしてはならないことを伝えるが、
実は、手入れを怠ってはいけないのは、大工道具だけでなく、
将来に渡って良好な人間関係を築くのに必要とされる、
「コミュニケーション能力という道具」や「愛情表現」なども
含めてのことかもな・・と、勝手に解釈してみた。
生きるために必要な「道具」の手入れをさぼると、
あとで自分が大変なことになるんだよなぁ、やっぱり。



2017年04月03日(月)
「今年はこのメンバーで戦うぞ」「オー」

新しい年度がスタートした初日、
私の我侭だけど「新しいメンバーの歓迎会」ではなく
「新チームの出発式」と位置づけた懇親会の宴を開いた。
出発式ってなに?と言われそうだが、
スポーツで試合が始まる前、メンバー全員が円陣を組み、
キャプテンの号令で、威勢をつけるあのシーンを
仕事でもできないかな?と思っていたから、
年度始めの初日にこだわって「出発式」という場を設けている。
それは「今年はこのメンバーで戦うぞ」「オー」だったり
「今年は健康に注意して頑張るぞ」「オー」だったりする。
もしかしたら「気を抜くなよ」「オー」かもしれない。
とにかく「いくぞ」「オー」が、したいのである。(笑)
同じ庁舎内で、机が数メートル動いただけでも催される
「歓送迎会」「送別会」「歓迎会」を体験してきて、
その意味をもう一度考えてみたくなった、が本音であるし、
できるだけ早く体制を整えて、スタートを切りたいと願った。
1年間を俯瞰した時、4月にどれだけ軌道に乗れるかが、
年度末になって結果を残せるかどうかの鍵となることを
私は体験として、知っている。
だからこそ、スタートダッシュで勢いをつけたい。



2017年04月02日(日)
子どもたちに、とんなイメージを植え付けるか

先日、一緒に飲んだ仲間とまちづくりの話になった。
「今の沼津は・・」と、多くの大人が声高に批判するけれど、
そんなイメージを、何も知らない子どもたちが聴き続けたら、
彼らは、自分の住むまちに誇りが持てるわけがない。
だからこそ、心の片隅に必ず置いておきたい考えが、
「子どもたちに、とんなイメージを植え付けるか」だと。
彼らは、大きな声で言葉を発しないけれど、
自分の身近な大人の話を聴いている。
そんな彼らに「あなたが今、住んでいるこのまちは、
こんなに素晴らしいんだ」と伝えることが大人の役目だと思う。
その成果は、何十年後しかわからないかもしれないけれど、
少なくとも、子どもたちの潜在能力に訴え続けるのは、
プラスイメージであるべき、と私も思う。
諺に「武士は食わねど高楊枝」という言葉があるが、
「やせ我慢する」というマイナスの意味ではなく、
「武士とはこうあるべきだ」というイメージを壊さないための
プラスの意味で使われたのかもしれない。
それも「武士の子どもに対する、親の教育」として。
わがまちも、子どもたちにプラスのイメージを植え付けたいな。