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しもさんの「気になる一言」
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2016年11月12日(土)
「近隣のイベントを満喫できる町」っていいな

11月は毎週のように、とこかでイベントが開催されている。
特に、わが町と隣接している沼津市や三島市のイベントは楽しい。
わが町の「公道周回自転車レース」(クリテリウム大会)を明日に控え、
なぜか、ぽっかり空いてしまった土曜日は、忙しかった。(汗)
早朝、前日の雨から想定して、今日の富士山は真っ白だろうな、と
長靴に履き替え、いつもの「柿田川撮影」からスタート。
さらに午前中は、狩野川沿いに歩き、沼津市のイベント
「よさこい東海道」に顔を出し、鳴子に合わせて踊る人たちから、
エネルギーをたっぷりいただいた。
せっかくここまで来たから・・と、千本浜まで足を伸ばし、
静岡県東部では「ポケモンGO!」の聖地?となりつつある場所で、
珍しいポケモンをゲットしてご満悦。
その後、沼津駅から三島駅まで電車で移動し、三島駅前の楽寿園へ。
浜松城を数多くの菊で飾った「菊まつり」や、見頃となった紅葉、
またまた珍しい「ポケモン」をゲットして、帰路についた。
万歩計は、久しぶりの20,000歩超え。(笑)
昔から言われる「沼津と三島に挟まれた、ベッドタウン」、
には変わりがないが、パンケーキのように平らな町に住み、
沼津や三島のイベントに、自分の街のイベントのように行ける。
(私の場合、全て歩いていける距離のイベント)
これも、わが町の特性だなって思いながら、こうメモした。
「近隣のイベントを満喫できる町」っていいな。
あとは、その「近隣のイベント情報」をいかに町民に届けるかだね。



2016年11月11日(金)
私ももう、そろそろ、このへんで

親戚の伯母さんの「通夜・火葬・本葬」に足を運んだ。
他界する間際の様子が気になったが、家族から聞いた話では
「みなさん、お世話になりました」と前置きをして、
最後の言葉は「私はもう、そろそろこのへんで」だったらしい。
兄弟姉妹も配偶者も、とうの昔に死に別れたからか、
迎えにきていたのかな?という身内の台詞にも頷いてしまった。
94歳という年月を生き、大正生まれらしい気丈な生き方に、
尊敬もしていたし、最後の最後までお洒落だった女性である。
死の直前、仲良しだった猫が突然、行方をくらましたり、
彼女の異変を敏感に感じた動物たちの動きもあったようだ。
それにしても、やはりこの台詞に涙腺が緩んだ。
「私ももう、そろそろ、このへんで」
自分に与えられた「生」を、精一杯生き切ったという、
満足感が伝わってくる台詞である気がしてならない。
自分もこんな素敵な言葉が、死ぬ間際に自然と口から出るような
そんな生き方をしたいと思う。
「死に様」とか「辞世の句」って、やっばり大事だな。



2016年11月10日(木)
私は今でも、世界を変えたいと思っているのですよ

映画「杉原千畝 スギハラチウネ」(チェリン・グラック監督)から。
鑑賞後、走り書きで書いたメモを眺めてみると、
やはり「世界を変えたいと思う」がキーワードとなって浮かぶ。
「世界を知れば、日本をもっとよく国に、素晴らしい国に」という、
熱い想いで、障子越しに寝ている(はずの)友人に向かって、
「なぁ、お前は世界を変えたいと思ったことがあるか?
俺は常に思っている」と言い切るシーン。
また、初めて自分の名前を正しく読んでもらった女性と結婚し、
その彼女が訊ねる。「ねぇ、千畝(チウネ)さん、
あなたは今でも世界を変えたいと思っていますか?」の問いかけに、
間髪入れずに「常に思ってる」と答えるシーン。
そして昭和40年、当時スギハラに助けられた人の1人が、
その時のお礼を言いたくて28年間も探し続け、モスクワで再会。
「居場所を見つけたのですね」と喜ぶと「いいえ」と呟き、
「私は今でも、世界を変えたいと思っているのですよ」と語り、
静かにフェードアウトしていくシーン。
幾つになっても、どんな場面でも、日本のために
「世界を変えたい」と考え、その信念を曲げなかった彼だからこそ、
今でも、世界で語り継がれているに違いない。
彼の残した戦時中の業績よりも、その信念に拍手を送りたい。



2016年11月09日(水)
書きたいこと、いっぱいの日

いろいろなことが起きる日は、重なって困ってしまう。
メモ代わりに始めた、ツィッターの呟きも多くなった。
だから「書きたいこと、いっぱいの日」として残したい。
社会人野球初優勝の「ヤマハ」の創部は1958年。
私の生まれた年なので、58年の歴史と重なったこと。
親戚の伯母が94歳で亡くなり、最後の言葉が、
「私ももう、そろそろこのへんで」だったことを聞いて、
感激してしまったこと。
そして「アメリカ大統領選挙の結果」というよりも、
どうして、選挙が平日なんだろうか、という疑問と、
身近な選挙の投票率が低いのに、他国の大統領選挙に
こんなに注目し、大騒ぎする国民性が可笑しかったこと。
「気になる一言」のメルマガが「5500号」に達したこと。
さらに毎日、観察している「柿田川に遡上している鮎」が、
例年に比べて、極端に少なくて、心配していること。
ついでに、現在開催中の「ポケモンGO!」の記念イベントと、
それにつられ、ただただ歩き回って「レベル25」達成など、
「気になる一言」に書きたいことが溢れてた1日だった。
勿論、今読んでいる本や、DVDで鑑賞している映画の話、
会議や講演会での気になるフレーズなどもメモしてあるし、
しばらくは、話題に困らないなぁ。(笑)



2016年11月08日(火)
誰あろう、その母から生まれてきたのだ。

書籍「しずく」(西加奈子著・光文社刊・210頁)から。
短編「シャワーキャップ」の一文にハッとさせられた。
「私のために泣き、私を恐ろしいほどに愛している、母がいる。
どれほど頼りなくても、情けなくても、
母は全力で、私の『母』だった。
母のことを子供のようだと思っていた私は、
誰あろう、その母から生まれてきたのだ。
その事実が、どれほど私を慰め、そして勇気づけたか」
親子だからこその愛憎は、どの世代でも存在する。
反抗期の時は、うっとうしかったりしたけれど、
就職して初めての給料で母親にマッサージ器を買った。
年を重ねて、耳が遠くなってきたことを指摘すると、
大きな声で「まだ若いよ」と言い返す母親の姿を見ながら、
子どものようだな、と思った矢先に、この表現にぶつかった。
子供が母親に対して抱く感情は、やはり特別なんだと感じる。
しかし、よく考えると、私はこの人から生まれたんだ、と
思えると、不思議に心が安らぐことを知った。
親子の関係、特に「母子」の関係だけは、切っても切れない、
それを喜ぶ感情を、いつまでも持ち合わせていきたい。



2016年11月07日(月)
10,000歩と15,000歩は、大きな違いがありますよね

先日紹介した「1ヶ月(31日)連続、毎日10,000歩超えの記録」、
ウォーキング大好きの方から、メールが届いた。
私と同じように、毎日、万歩計の記録を書き写しているらしい。
時候の挨拶の後「同じ趣味の人がいて、嬉しくなりました」と綴り、
「さらっと書いていますが、本当に平均15,000歩超えですか?」と
ちょっと信じられない様子が伝わってきた。
歩いている人だからこそわかる「15,000歩」の大変さを
「10,000歩と15,000歩は、大きな違いがありますよね」と
表現してくれていた。
以前「五十歩百歩」は、
「わずかな違いだけで、本質的には変わらないことのたとえ」
「五十歩二百歩」は「ちょっと差があるたとえ・・」なんて
ジョークで書いたことがあるけれど、それに合わせれば
「一万歩一万五千歩」は「とっても大きな差があるたとえ」。
自分でも信じられないこの記録は、
毎日の徒歩通勤と、週末の柿田川散策、さらには「ポケモンGO!」が
大きな要因となっている。
気持ちも「歩くのが好き」から「歩くのが楽しい」と進化している。
たぶん「歩くのが楽しみ」になることが増えたんだろうなぁ。



2016年11月06日(日)
短調だと『懐かしい味』、長調だと『陽気な味』になる。

映画「ムード・インディゴ うたかたの日々」
(ミシェル・ゴンドリー監督)から。
う〜ん、私には、設定がなかなか理解できなかった作品、
まずは、第一印象を記しておこう、と思う。
そのうえで、気になったシーンを思い出すと、
物語の前半に「カクテルピアノ」という楽器?が登場する。
演奏の強弱に合わせて、オリジナルのカクテルが作れる仕組み。
「分量は『音の長さ』で。
短調だと『懐かしい味』、長調だと『陽気な味』になる。
強音ペダルは、泡立てた卵だ。
ホットな演奏だとオムレツになるぞ」・・
まったくくだらない、と思いながらも、しっかりメモをして、
こんな機械(楽器)があれば、一度は飲んでみたいな、と
思ってしまった自分が、可笑しくてたまらなかった。
「猫ふんじゃった」なら、どんなカクテルが出来るのだろうか、
「ビバルディ・四季」は、季節によって味が変わるのかな?
そんな想像が膨らみ、けっこう楽しめた。
ただし申し訳ないけど、やっぱりこの作品を映画化して、
監督は何を伝えたかったのだろうかはわからなかったなぁ。
そんなところも「フランス映画」らしいけど・・。(笑)