
|
 |
| 2016年06月25日(土) ■ |
 |
| 「製作年」の他に「作者の年齢」 |
 |
先日、静岡市美術館で開催されている企画展に足を運んだ。 「伊豆市所蔵近代日本画コレクション展 「大観・靫彦・龍子らと修善寺」と題する企画、 美術館と言えば「題名・製作年・所蔵」の情報が、作品の近くに、 小さなスペースで掲示されているのが通常である。 私の知りたい「この作品を製作した時の画家の年齢」は、 ほとんど記載がなく、美術館を訪れるたびに、 画家の生年月日から計算し、この作品は、何歳の頃に描いのか、 そして、その年齢でどんな想いが込められているのだろうか、 と推察しながら、鑑賞することになる。 自分より若い年齢なら、同じ頃、私は何をしていただろうか、 ほぼ同じ年齢ならば、私ならどんな絵を描くだろうか、 そしてまた、私より歳を重ねていれば、 将来、同じ年齢に達した時、こんな絵が描けるだろうか、など 自分の人生と重ねて、鑑賞することが多い。 今回の企画展は、その「年齢」が「制作年」の後に表示されている。 ちょっとしたことかもしれないが、この表記に、 静岡市美術館のおもてなしを感じた出来事である。
|
| 2016年06月24日(金) ■ |
 |
| 良い知らせを伝えるものの足は美しい |
 |
映画「幸せになるための恋の手紙」 (ミッチ・デイヴィス監督)から。 タイトルと内容があまり一致せず、戸惑いを感じたが、 キリスト教の宣教師としなって、トンガ王国に赴任。 しかし、そこには、すでに牧師がいる。 正直「牧師」と「宣教師」の違いすらわからない。 当初、言葉も通じず苦労したが、いろいろな経験を重ね、 次第に、原住民の信頼を得るようになっていく。 そして、任務を終えて帰国する時、原住民は 「体は離れても、魂はこの島と共にあるのよ」と涙し、 日頃の細々したことのお世話をしていた女性は、 「良い知らせを伝えるものの足は美しい」と呟いた。 意味もなく、私はこのフレーズが好きになり、メモをした。 足が汚れている人は、疲れやすい・・という話は、 いつぞや耳にしたことがあり、妙に納得したものである。 足って、どの部分を指すのか分からないが、 神の言葉を伝える役目の宣教師は、 足を美しく保っておかなければならないらしい。 それとも、太ることがないくらい歩いて回りなさい、 そんな意味なのかな。
|
| 2016年06月23日(木) ■ |
 |
| 人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです |
 |
以前紹介した「地方創生実践塾in静岡県三島市」の開講式、 豊岡三島市長挨拶のワンフレーズ。 話始めは「ガーデンシティ」とか「ウェルネス・・」など、 耳触りの良い、カタカナ言葉が並んだが、一言で言うと 「美しく品格のある街」を目指していることが挨拶で理解できた。 この、誰にもわかりやすい短いフレーズは、 住民と一緒にまちづくりをしていくうえで、大切なことである。 「総合計画の将来都市像」とは違った親しみがある言葉は、 全国の観光客を呼び寄せる大きなキーワードであろう。 (この街に住んでみたい、と思わせる言葉ともいえる) さらに「そうだ京都、行こう」などに代表される 観光のキャッチコピーがあれば、申し分ない。 毎週のように三島市内のどこかで開催されるイベントの根底には 市長が最後に語った一言に尽きる気がした。 「人が集まってくると、いいことがいっぱい起こるんです」 ディズニー・シーのバレードは、集り過ぎたようだけど・・(汗) 官民を問わず、とにかく人が集まってくる仕掛けが大切ってこと。 その雰囲気づくりの大切さを、首長が理解しているって、 なかなか簡単そうで難しいんだよ、本当は。
|
| 2016年06月22日(水) ■ |
 |
| 私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと |
 |
映画「終着駅 トルストイ最後の旅」(マイケル・ホフマン監督)から。 ロシアの文豪・トルストイの晩年を映画化した作品であるが、 ハッピィエンドとは言えない最後に、心は重たくなった。 困ったのは、主人公が誰なのか、わからないところ。 タイトルどおり「トルストイ」なのか、妻・ソフィアなのか、 それとも、トルストイを崇拝する青年ワレンチン。 誰の視点で、物語が語られているのか、微妙なところ。(汗) 気になる一言は、レイ・トルストイ「戦争と平和」の一節。 「私の知る全てのことは、愛によって知りえたこと」 しかし、ラストでは「弱い心や愚かさは、愛を台無しにする」と メッセージが発せられる。 また「農民は貧乏だから純粋とでも?」と問う妻に 「そうとも、富は人間を腐らせる」と言い返し、 突然、爵位や財産を捨て、菜食主義の独り身になると宣言する展開は、 富に対する人間の卑しさに疲れた感じがよく表現されていた。 献身的な妻として50年近くトルストイに寄り添ってきた彼女が、 「世界3大悪妻」として名を残すことには、ちょっと意外な気がする。 夫の考えとは、まったく反対の生き方をした妻が「悪妻」と言うのなら、 50年間連れ添ったことはどう評価されるのだろうか。 私は、彼女の生き方に「悪妻」という評価はしないと思うから。
P.S.(参考に・・「世界3大悪妻) ギリシャの哲学者ソクラテスの妻「クサンティッペ」 偉大なる作曲家モーツァルトの妻「コンスタンツェ」 ロシアの小説家トルストイの妻「ソフィア」
|
| 2016年06月21日(火) ■ |
 |
| 増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです |
 |
映画「グラスホッパー」(瀧本智行監督)から。 大好きな作家「伊坂幸太郎さん作品」の映画化とあって、 とても楽しみに鑑賞し、期待を裏切ることなく観終わった。 もちろん原作を読んでいるが、書籍でメモした台詞と、 映画でメモした台詞の違いもまた、私の楽しみとなっている。 今回は「ジャック・クリスビー」の台詞を取り上げたかったが、 やはり「クラスホッパー」(バッタ)について、の描写。 「殿様バッタは何色か、御存じですか?」「緑じゃないですか」 「普通はそうなんですが、密集したところで育つと 『群集相』と呼ばれる変種になります。色が黒くなり、 羽根が伸び、凶暴になるんです。足りなくなった餌を得るために。 人間も同じです。過剰なまで情報が密集する今の世の中では、 人間も欲望を満たすために変種になる。 群集相のバッタのように、凶暴になるんです」 今の殺伐とした世の中を、この例えでスパッと表現するところが、 やはり唸るポイントだった。 しかし、後半にその解決策が、作品の核になってくる。 「群集相のバッタの話ですが・・」と切り出して 「増えすぎてしまったら、群れごと焼き払うしかないんです」 う〜ん、さすが、としか表現できないなぁ。
|
| 2016年06月20日(月) ■ |
 |
| 「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介 |
 |
ほとんど観ているNHK大河ドラマ「真田丸」も、 もう既に半分を過ぎようしてるが、面白いことに気がついた。 先日、映画「スター・ウォーズ フォースの覚醒」を観ていて、 「遠い昔、はるかなる銀河系で・・」で始まるプロローグに、 なぜか「真田丸」を思い出した。 いや「真田丸」を観て「スター・ウォーズ」が浮かんだ。 どちらも、毎回、簡単な物語の筋書きが説明されるからだ。 今回の映画ならば「エピソード7 『フォースの覚醒』 ルーク・スカイウォークが消えた。その間に帝国軍の残党から、 ファースト・オーダーが生まれた。彼らは最後のジェダイ、 ルークの抹殺を狙っていた。レイア・オーガナ将軍は・・」と続く 物語の設定と、最初のシーンに繋げる仕掛けである。 これで面倒くさい説明もいらないし、今回の「予習」さえ出来る。 実は、この「起承転結」のもう一つ前「序」の部分は、 視聴者にとって、とてもありがたい説明となっている気がする。 だからこそ、敢えて、こうメモして残すことにした。 「「真田丸」「スター・ウォーズ」の共通点は、あらすじ紹介」 逆に勘弁して欲しいのは「これは真実に基づいた物語」という説明。 フィクションであり、ノンフィクションであれ、 映画作品として、どう感じるかが大切なことだからなぁ。 でも、このフレーズ、本当に多い。製作のルールでもあるかのように。
|
| 2016年06月19日(日) ■ |
 |
| わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音 |
 |
わが町唯一の高校(静岡県立沼津商業高等学校)の吹奏楽部、 「第15回フレッシュコンサート」に足を運んだ。 毎年、楽しみにしているコンサートだけに、 2時間半を超える「3部構成」も苦にならなかった。 学年が上がるにつれ、音の角がとれて丸みを帯びてくるなぁ、 なんて感じながらも、いつもながら彼らから元気をいただいた。 3ケ月前まで中学生だった、新人1年生の30人も、 自分たち学年を主役にも脇役にもなれる「オムライス」と名付け、 緊張しながらも、精一杯の姿を観客の私たちに見せてくれたし、 これまた恒例のように、私の涙腺を緩ませる「情熱大陸」から 「あの鐘を鳴らすのはあなた」まで、ラストは一気に感動した。 彼ら吹奏楽部との繋がりは、私が生涯学習課長の頃(5年前)に遡る。 近隣の文化センターと違い、音響も良くないし、舞台も狭い、 それでもよければ、子どもたちのために使ってください、と 地域交流センターの多目的ホールを提供した頃が懐かしい。 そんな意味もあり、私の沼商びいきは、止まらない。(笑) NHK大河ドラマ「真田丸」が舞台、戦国の時代には、 こんな言葉が残されているのを知っているだろうか。 「三成に過ぎたるものが二つある。島の左近に佐和山の城」 「家康に過ぎたるものが二つある。唐の兜に本多平八」 どちらも、他から眺めて「羨ましい」という意味だろう。 だからこそ敢えて、このフレーズを考えてみた。 「わが町に過ぎたるものが二つある。柿田の川に沼商の音」 う〜ん、わかる人にはわかるかな?
|
|