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しもさんの「気になる一言」
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2016年06月04日(土)
「58歳」のテーマは「もうひと踏ん張り」

インターネット上では、誕生日を「非表示」にしたため、
ネット以外でつながっている人からのメールが多く届いた日だった。
返信したメールは、覚えていてくれてありがとう、という感謝と、
毎年恒例のように、今年1年のテーマ発表。(笑)
昨年は「おかげさまで『57歳』になりました」として、
どんな場面でも感謝の気持ちを持って過ごすことに決めた。
今1年を振り返ると、まだまだ感謝が足りなかったなぁと思うけれど、
テーマを決めて、1年を過ごすと面白いことが起きることも実感した。
さて、では今年は・・・と考え始め、これだというものに辿り着いた。
定年まであと3年弱となり、ついつい、守りに入りがちだが、
「あと3年だから」というと、我が課のスタッフからは大ブーイング。
「手柄はあげるから、しっかり働いてもらわないと困りますよ」と、
「叱咤・叱咤・叱咤激励」が飛ぶ。(もちろん、家庭でも・・)
そこで思案の末、彼らに返信したメールは、
「58歳のテーマは『もうひと踏ん張り』にしました(^_^)v。
この年齢になって、やっとやりたいことが見つかり、
少しずつですがカタチになってきたので、
あと一転がり頑張ってみようかな、と思っています。
56歳の時に決めた『あとはぼちぼち』は変わりませんが。(^^;;」
一気に成果を求めず「ぼちぼち」のペースを基本にしながら、
「もうひと踏ん張り」してみようかな、と思えた58歳。
やはり自分で動いて他人を喜ばせるのって、楽しいものなぁ。

P.S.
上映中の映画「64」(ロクヨン)は「昭和64年」の話だけど、
「6月4日」と考えるのは、この日に生まれた人だけの勘違いだね。



2016年06月03日(金)
ほらね、世界なんて、たった一晩で変わってしまうのよ。

映画「映画 ビリギャル」(土井裕泰監督)から。
話題になっているのは知っていたけど、私の先入観で、
「学年ビリのギャルが1年で偏差値を40上げて、
慶應大学に現役合格した話」という紹介に、面白可笑しく、
やや誇張して、ドキュメンタリー風に仕上げたんだろうな、と
決めてかかったのがよくなかった。(汗)
もっと早く観ておけば良かったなぁ、というのが感想である。
伊藤淳史さん演じる「坪田先生」のアドバイスも、
有村架純さん演じる、主人公「工藤さやか」のボケもメモをした。
どんな視点でも楽しめる作品なので、正直、1つに絞るのが難しい。
「全問不正解だけど、回答欄は全て埋めたよね」
「七夕の短冊と同じで、まずは願いを文字に書かないと」
「僕はダメな生徒なんていないと思うんです。
ダメな指導者がいるだけですよ」「ニュースが情報のどこを切り取るかで、
世論なんて、全然、変わってくるんだよ。新聞を鵜呑みにしないで、
いろいろな立場から考えないと、真実は見えてこないんだよ」
「可能性があるって知ってることって、すごく大事なの」
「傷つきたくないから、目標下げるの?
目標を下げた、どんどん低い方に流れていくよ」
「プレッシャーがあるってことは、受かる自信があるってことだ」
やはり、塾の先生らしいアドバイスが気に入った。
しかし、今回選んだのは、作品の冒頭、母親が小さい頃の主人公に
(立体絵本をめくりながら・・)囁いた台詞。
「ほらね、世界なんて、たった一晩で変わってしまうのよ」
これが、この作品を貫いている考え方だなな、と感じたから。
別に、受験生だけでなく、私たち年代にだって言えること。
「可能性は試みる人だけのもの」ってことなんだろうな、きっと。



2016年06月02日(木)
あなたが名を売るのはいい。だが、他人を犠牲にするのはよせ

映画「ロスト・ワールド ジュラシック・パーク」
(スティーブン・スピルバーグ監督)から。
鑑賞後のメモから推察すると、あまりに台詞が少なく、
恐竜に追われ逃げ惑う、単なるパニック映画と変わらなかった。
前作が偉大すぎたからか、あまり感じるものがなく観終わった。
強いて上げるとすれば、映画冒頭の会話。
「二度と同じ過ちは起こさんよ」「これは新しい過ちだ」
前作で生命力の強さをこれでもか、と思い知らされたにもかかわらず、
またまた、欲に目がくらんで「同じ過ち」を繰り返すことになる。
本当に懲りない人たちだなぁ・・とつくづく呆れてしまった。
そう言えば、こんな台詞がメモに残っていた。
「あなたが名を売るのはいい。だが、他人を犠牲にするのはよせ」
私が「ジュラシック・パーク」のシリーズで感じたことを一言で言えば、
このワンフレーズで表現されてしまう。
個人が責任を取れる範囲の研究・開発ならいいが、
人間はなぜか、発見したことを試してみたくなる性格をもっている。
そして、その成果を世に認めて欲しくなるに違いない。
その過程で、多くの人たちが犠牲となっている事件を、
現実の生活でも実感するからこそ、このフレーズを残そうと思う。
映像は、CGを駆使してリアルになったにもかかわらず、
恐怖心はあまり感じなかったのは、主人公は殺されない・・という
単純な発想であった気がする。
銃で撃たれて死ぬのと、恐竜に喰われて死ぬのでは、違うのだから。



2016年06月01日(水)
「戀」とは、いとし、いとしと言う心

先月、地元の本屋さんで開催された「朗読会」。
俳優の篠田三郎さんが、三島市在住の脚本家、
故・宮内婦貴子さんの作品を朗読してくれた話を取り上げた。
その冒頭、彼女を紹介するプロモーションビデオの中で、
彼女が書き続けた作品のテーマが4つだと知った。
「命」「戦争」「戀(恋)」「絆」
特に「戀」の説明では、見慣れない難しい漢字が登場し、
それが「恋」という漢字だと理解するのに、時間がかかった。
敢えて「戀」という古い漢字を使った理由が洒落ていた。
「戀」を分解すると「糸」という字で「言」を挟み下に「心」。
だから「いとし、いとしと言う心」が「戀」です、と。
これには、なるほど・・と頷くしかなかった。
現代の恋愛観と比較するわけではないが、
メールや携帯電話がなかった時代、手紙がその役割を果たした。
だから返事を待つ間、相手のことを考え、愛しいと感じる。
そんな想いが、この「戀」という字には込められているようだ。
今では「(好きな相手を愛しいと感じる、そんな想いを)、
心の中に溜め込むことがなくなった」と呟いたコメントが
とても印象に残った。
現代人は、毎日の生活が忙しいのか、すぐに結果を求めたがり、
告白もメールでする、という話も耳にした。
出来ることなら、今からでも
「愛しい(いとしい)」「慕う」そんな感情を取り戻したいな。



2016年05月31日(火)
「renovation」と「Re-innovation」

TAKE FREEの冊子「ヌマヅのリノベ」にこう書かれている。
「今、巷で良く耳にする『リノベーション』。
『Re-innovation』とは、今あるものを活かし、
別の発想で新しい使い方をすること。」
私の場合、気になって調べてみたのは、英単語。
ネットでは、ほとんどが「renovation」でヒットするが、
あえて「Re-innovation」とした意味が伝わらなければ、
私の疑問は、ますます深まるばかり、ということになる。
「innovation」とは新たな価値やアイデアを創造・発明すること。
「renovation」とは新たな価値やアイデアを創造鷆し直す鷆ということ。
ここらに、解決のヒントが隠されているのかもしれないが、
どうも腑に落ちない。
「re-」を付けると「再度・ふただび」の意、しか覚えていないから。
流行言葉のように「リノベーション」という単語が広まり、
「建築物の改造(用途変更)」というくらいの知識しかなかったのに、
まちづくりの分野まで「リノベーション」が使われだしたから、
共通認識が欲しくなったのかもしれない。
ただし英単語だけは、外国人が読んだ時に不自然と感じないものを綴る、
そうしないと、単なる「誤記」ということになるから。
英語に詳しい方々、誰か説明してくれませんか?



2016年05月30日(月)
変わらない世界を嘆くかわりに、彼女は走った。

映画「図書館戦争 THE LAST MISSION」(佐藤信介監督)から。
場面設定を説明せずに、この作品の面白さを伝えるのは難しい。
だから映画の場合、監督や脚本家の伝えたかったことを、
台詞や掛け軸、写真などに見つけようとしてしまう癖がついた。
今回は、自分の所属する団体、自分の勤める会社、
いや、自分の住む街に置き換えてもいい。
不平不満を言う人は、何に対しても批判的だけれど、
ではあなたは何か行動しているのか?と言えば、皆無。
批判することが楽しいのであって、自分では何も動かない。
そんな風潮を意識してか、節々に気になるシーンがある。
「どうにもお先真っ暗だな」「だから、私たちがいるんじゃん」
「ワインはね、提供する温度やグラスの形状によって、
味がまったく変わってしまう。どんな上等なワインも、
環境が悪ければ実力を発揮することができない」
「堂上さんですよね、とても強いと聞いています。
見てみたいなぁ、あなたが倒れるところ」
「見てるだけか・・直接こい」
「私たちの存在は無意味なんでしょうか?
戦っても、意味がないんでしょうか?」
「俺たちが必要かどうか決めるのは、俺たちじゃない」
そして物語のラストに出てくる写真のキャプション。
「変わらない世界を嘆くかわりに、彼女は走った。
 その想いが届くことを信じて」
これかな、今回の「気になる一言」は。



2016年05月29日(日)
技術の進歩は、人間社会が同様に進歩しなければ・・

「オバマ米大統領、広島での所感(全文)」から。
この所感に対して、なにか記録に残しておこうかな、と
何度か読み直して、印象に残ったフレーズを書き出した。
その中で選んだのは、
「技術の進歩は、人間社会が同様に進歩しなければ、
われわれを破滅に追い込む可能性がある。
原子の分裂につながる科学の革命は、
道徳的な革命も求めている」という一段だった。
もちろん、広島だから原爆に対することなのだろうが、
私は「原子力発電」にも同じことが言えるなぁ、と感じた。
ここ数年で、スマホ、自動運転の車、ロボットなど、
技術の進歩により、私たちの生活はどんどん便利になるけれど、
それを使いこなす、私たち人間も進歩しなければ、
使っているつもりが使われている、ということになりかねない。
少なくとも、人間が確実にコントロールできなければ、
技術の進歩の暴走を止めることが出来なくなるということだ。
長く熱いメッセージの中に、1つでもいいから心に残ったことを
メモしておきたい。
何年後かに、その言葉の意味が分かるときがくるだろうから。