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しもさんの「気になる一言」
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2016年05月14日(土)
こんな場所は全国でも例はないよ、大切にして

昨年12月、映画「千年の一滴 だし しょうゆ」の柴田昌平監督を
地元映画館上映の初日・初回後の舞台挨拶を終えたあと、
せっかく清水町に来ていただいたのだから、と、
柿田川周辺を約1時間、案内をしたのを思い出した。
もちろん公園内の2つの展望台から見える湧き間にも驚いていたが、
「清水小学校の教材園」には、驚くというよりも羨ましがった。
こんな風景をいつも眺められる子どもたちは、とても幸せだと、
是非、伝えてください、とやや興奮気味に話してくれた。
そして、この景色を護るためにも、大学を卒業したら、
必ずこの清水町に戻ってこい、と自信を持って、
大人の私たちから、子どもたちに伝えるべきだと、と。
今まで「柿田川公園・清水小教材園・眼鏡橋」というスポットに、
数多くの有名人を案内してきたが、一流になればなるほど、
日本三大清流・国天然記念物・日本名水百選である「柿田川」の中でも
目の前に広がる「清水小教材園」の自然環境に驚き、
「こんな場所は全国でも例はないよ、大切にして」と口を揃える。
「教材園」なんだから、この川を教材に、理科だけでなく、
国語、算数、社会、音楽、読書など、あらゆるシーンで、
この場所を使っていくべきだね、と言いたげだった。
私たちの小さい頃は・・なんて昔を懐かしんでいるだけでなく、
この環境の素晴らしさを、どう子どもたちに伝えていくか、
これは、私たち大人に課せられた課題なのかもしれない。
これからも、多くのプロを「柿田川」に案内し、そこで耳にする
プロが観た「柿田川」の感想を大切にしなくちゃなぁ。



2016年05月13日(金)
本を選ぶときに読む、メッセージは心に響く

「柿田川公園ブックフェス2016」で是非、やりたかった
「物々交換」ならぬ「BookBook交換」。
中身が見えないように、外国語の新聞、布、紙袋などで包み、
その書籍名・著者などが直接わからないような内容で、
「メッセージカード」に「この本のお勧め理由」を書き、
そっと「交換テーブル」に置いておく。かわりに、
他の書籍に添えられた「メッセージ」だけを頼りに、
自分の感性にあった本を選び、持ち帰る。
ただそれだけのことであるが、とても大きな意味があった。
「本を選ぶときに読む、メッセージは心に響く」からだ。
当初「本の帯コンクール」にしようと考えたが、
第1回にしては、参加者のハードルが高いことを実感し、
昨年の「六本木ブックフェス」で開催していた
「ブックジャーニー」を真似て、実施してみたら大当たり、
小さい子どもから高齢者まで、多くの方が参加してくれた。
自分の書いたメッセージが、誰かの目に留まるかどうか、
置いた本が、もっていかれたかどうか、気になるらしく、
何度も何度も足を運ぶ人もいて、楽しかった。
暫くして、自分が提供した本がないのを確認して、
「あっなくなっている」と叫んだ子どもが嬉しそうだった。
他人に本を進める楽しさ、インパクトのある言葉の力、
そんなものを感じて欲しかったイベントだから、大成功かな。



2016年05月12日(木)
この国では簡単に死ねません

地元の信用金庫主催「ぬましんビジネス塾特別講演会」、
講師「辛坊次郎」氏、演題「未来を見直す!」
(正しい判断に必要なことへ)から。
TV「そこまで言って委員会」の司会者でお馴染みの彼は、
早口でありながら、私と違って滑舌がいいのか、
1時間半、もの凄い勢いで話したが、ほとんど聞きとれた。
ボキャブラリーが豊富な上に、経済の知識人であり、
さらに、ヨットが太平洋で黒い何かにぶつかって沈没し、
死にそうになった経験もあり、知識と智恵が見事に調和され、
私は頷くことばかりで、メモを取るのも忘れるくらいだった。
そんな時、彼は私たちに訊ねた。
「みなさんにとって人生最大のリスクはなんですか?」
真剣に考えても、なかなか思い浮かばなかったのだが、
さらっと「長生きのリスクです」と正解を披露したあと、
「この国では簡単に死ねません」と笑いながらも、
目は真剣に訴えていて気がする。
ノーベル賞を受賞した、山中伸弥教授が言ったという
「(ips細胞)で、人間を死なないように出来ます」を、
笑いのネタにしながら、それほど医療技術が進歩し、
「この国では簡単に死なせてくれない」ともう一度口にした。
言い換えれば「死を見つめる機会が減っている」ということ。
これは、大切な視点だな、とメモをし直した。
だから、児童虐待とか残虐な殺人事件が増えているのかもなぁ。



2016年05月11日(水)
「恋の幻想」にとらわれた懲りない大人たち

映画「恋のロンドン狂騒曲」(ウッディ・アレン監督)から。
作品を思い出すには、冒頭に綴られた、
「シェイクスピア曰く『人生は単なる空騒ぎ、意味など何一つない』」を
気になる一言にしようと考えたが、「薬より、幻想が効く場合もあるわ」や
「今は、ヨタ話が聞ける精神状態じゃない」
「僕らは助け合ってきたろ?」「そうかしら」
「人生は一度じゃないの、この世はナゾに満ちているのよ」
「この『無意味な空騒ぎ』の本は、そろそろページを閉じよう」
「人は思い悩むものだ。人生の不安と苦痛に『いかに対処すべきか』と」など、
短いなりに、ウッディ・アレン監督らしい皮肉が込められたフレーズが
私のメモ帳に書き込まれた。
いつものように、鑑賞後に見た予告編に、総まとめのフレーズを見つけた。
「『恋の幻想』にとらわれた懲りない大人たち」
そう、一言で言えば「懲りない大人たち」が主役のドタバタ劇、
もっとやることがあるでしょ?と言いたくなるほど、呆れるが、
本人たちは真剣そのもの、だから「狂騒曲」なのだろう。
逆に「人生に意味などないから、楽しく空騒ぎしよう」という、
監督らしいメッセージかもしれない。
原題「You Will Meet a Tall Dark Stranger」を翻訳(直訳)したら
「あなたは、背が高い暗い知らない人に会います」と表示された。(笑)
ますますわからなくなってきた、人生ってものに。



2016年05月10日(火)
まずは、体制を確保してから・・

地元・卸団地で「柿田川野菜」を営んでいる石川社長が、
熊本地震被災者支援をスピード感を持って実施した話を聴いた。
「3.11東日本大震災」の時にも、被災地支援した経験から、
彼が一番最初にしたことに興味があった。
それは、なるほど、さすが経営者・・と頷くことばかり。
自社工場で生産した「新鮮野菜」を多く作ることでもなく、
多くの人に、自分の想いを伝えることでもない。
また、賛同してくれる人を集めることでもなかった。
その目的が少しでも早く実現するためには、
途中で途切れることのない「体制」の確保が必要と感じ、
「運送トラックの確保」「受け入れ先の状況確認」を優先した。
その体制が固まったところで、はじめて、自分の想いを語り、
支援物資を集めだした、という話は、耳が痛かった。
ついつい、自分の想いが先行し、なんとかなるだろう・・と
動くことが多い私は、社長にとっては何気ない話であるが、
大きな「アドバイス」として、メモをした。
「まずは、体制を確保してから・・」を残しておきたい。



2016年05月09日(月)
「朗読会」っていいですね

本屋さん開催、俳優・篠田三郎さんの朗読会「桜 散る日に」。
三島市在住の脚本家、故・宮内婦貴子さのシナリオ集の中から、
「富士の穴」など選りすぐりのエッセイを、素敵な声とともに
ちょっと白髪まじりの篠田三郎さんは、静かに読み始めた。
篠田三郎さんと言えば、私の記憶の中では、野球を題材にした
テレビドラマ「ガッツジュン」(1971年)の名サード役だった。
(当時13歳の記憶なので、間違っていたらごめんなさい)
その彼が、私たち大人(約40人)に対し、エッセイだけでなく、
絵本「おさびし山のさくらの木」
(作・宮内婦貴子さん/絵・いせひでこさん)を
ゆっくりと、そして丁寧にページをめくりながら読んでくれた。
大人が大人に、文字の力だけで読み聞かせる「朗読会」は、
また新しい読書の形として、私を喜ばせてくれた。
その気持ちを、どう表現しようかと迷っていたら、
「長倉書店サントムーン店」の代表が、最後の挨拶で、
参加者の私たちに向かって、笑顔を見せながら、こう纏めた。
「『朗読会』っていいですね」
主に子どもたちを対象とした「読み聞かせ」とはちょっと違う、
大人を対象とした「朗読会」の楽しさが伝わった台詞だった。
先日開催された「柿田川公園ブックフェス」でも、
「葉祥明さん作品」の「朗読会」が木陰の下で行なわれ、
しばらくして涙する人たちを見た時と同じ感覚であった。
「朗読会」っていいですね・・「本当だね」と答えたい。



2016年05月08日(日)
差異は不要だと思うか?

映画「ギヴァー 記憶を注ぐ者」(フィリップ・ノイス監督)から。
たぶん・・この長さの映画では、メモの数は最多だろうし、
台詞のほとんどをメモした気がする。(汗)
世界の荒廃を経て、人類は(差別もなく)平等で、
争いのない理想郷のような社会を作り出した、までは理解できる。
みんな平和を願っているのにもなぜ戦争が終わらないのだろう・・とか、
いじめや人種差別など、まだまだ課題が残っている現代、
どうしたら、無くせるだろうか・・と真剣に考えてた時があったが、
その考えを根底から覆された気がして、とても印象に残る映画となった。
人類は、肌の色も人種の差異もない社会を作るために「色彩」を、
心の奥深くから湧き出てくる感情を抑制するために「音楽」も手放した。
確かに、差別(差異)も無く、同じ意識を持った人間が集まり、
怒りや憎悪の感情が生まれてしまう危険性は、格段と減った。
しかし・・味気ない生活、面白みのない人生が繰り返される。
争いごとや、貧富の差がある社会を肯定しているわけではないけれど、
この世に生まれたからには、与えられた環境がいかに差異があろうとも、
喜怒哀楽とともに、生きていくことが人生ではないか、と感じる。
先輩の「ギヴァー(記憶を注ぐ者)」が、次世代の「ギヴァー」に問うた
「差異は不要だと思うか?」の質問が、心に残った。
差異(差別)を無くそうとするのではなく、少なくしようとすることが大切。
本当に差異が無くなったら、窮屈な生活が待っているんだよなぁ。