
|
 |
| 2016年03月26日(土) ■ |
 |
| そうそう、この感じ、この感じ |
 |
半年ぶりに、外来種駆除のため「柿田川」に入った。 遠足の前日、嬉しくて寝られない子どものように、または 恋人に会うのを待ち焦がれているかのごとく、興奮していた。 午前9時集合なのに、早く目が覚めて落ち着かず、 結局、1時間前には到着して、公園内をゆっくり散策して過ごした。 スマホや時計を外し、胴長を履き、長い手袋をはめる頃には、 柿田川の水圧、水流、水温などが甦ってきて、待ち切れなくなった。 ただ、今日の作業は、川の中にはほとんど入らず、 土手沿いに繁茂している、ノハカタカラクサ(常盤露草)を駆除した。 終始、ウグイスの鳴き声を耳にしながら、サワガニの出現に喜ぶなど、 大満足だった今年最初の「外来種駆除作業」を終えた後、 作業した人にだけ与えられる、自由時間の撮影タイムを満喫した。 この時間のために準備した「防水カメラ」を胸ポケットから取り出し、 流れのある「柿田川」に入った時の感覚は、昨晩からワクワクしていた、 「柿田川」のイメージどおりで、つい口から出た台詞が 「そうそう、この感じ、この感じ」だった。 どうして、二度繰り返したのか、私にもわからないけれど、 「そう、この感じ」ではなく、「そうそう、この感じ、この感じ」。 来月からまた「第2・第4土曜日の午前中」は、楽しみが増えた。 (すみません、感覚的な「気になる一言」になってしまって・・(汗))
|
| 2016年03月25日(金) ■ |
 |
| 外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる |
 |
昨年の大晦日から、なぜか突然のように始めてしまった Facebookページ「柿田川evol.」での「575調」の紹介文も、 昨日であっという間に「100句」(俳句でも川柳でもないが) その日の投稿する写真・動画を決めて「即興」で作るから、 あまり技巧に溺れることはないし、撮影場所や時間帯など、 撮影データを記録していた時よりも、とっても楽しい。 酔っぱライターの私が思いつきで書いた、駄作ばかりだが、 時々「これは秀作」と、自分でも満足のいくものができる。 その中の一つが、水中に目立ってきた「外来種」を撮影し、 「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」と記した作。 その一行で、どんな光景だったか思い出せる時もあるので、 しばらくは、このパターンを続けたいと思う。 日本人は、この「575調」が、なぜか好きだ。 小さい頃から「標語」と呼ばれる文字遊びに慣れ、 指を「5・7・5」と折りながら作るのが自然な動きである。 57歳を重ねた今でも「5・7・5」を数えながら作るのだから、 いかに、このパターンが条件反射になっているのかがわかる。 それも「字足らず」「字余り」にならないよう意識するから、 余計に変な句になるのだが、それもまた、ご愛嬌宜しく楽しい。 と言いつつ、明日半年ぶりに「外来種駆除」で柿田川に入る。 「外来種 待ってろ! 春には 抜いてやる」を実践するぞ。
|
| 2016年03月24日(木) ■ |
 |
| ちょっとそこまで |
 |
夕方、仕事を終えて帰宅したら、玄関先で娘にあった。 自転車で、どこかへ行くところだったようで、 「ただいま」と声をかけたあと「今から、どこへ行くの?」と訊いた。 その答えが「ちょっとそこまで」(笑) 久しぶりに、このフレーズを耳にして新鮮だったので、メモをした。 ついつい仕事柄、相手に対して正確な答えを求めてしまいがちだが、 この「アナログ感覚」の「ちょっとそこまで」もいいな、と苦笑い。 急いでいたのか、説明するのが面倒くさいのか、それさえも分からないが、 その返事を耳にした父親の私は「こんな時間にどこへ行くんだ」ではなく 「そうか、気をつけて行ってこいよ」という台詞を口にしていた。 一連の流れの中で「どこへ行くの?」「ちょっとそこまで」「気をつけて」、 そんな短い会話だけど、くどくど説明を受けるより楽しかった。 「デジダル全盛」の時代だからこそ「アナログ」の言葉に惹かれる。 「儲かってる?」「う〜ん、ぼちぼちかな」 「どこいくの?」「ちょっとそこまで」 「出来ぐあいは?」「まあまあかな」 「いつ頃になりそう?」「もうちょっと」 「YES」「NO」を求めることが優先される仕事では使えないような、 曖昧な会話・単語も、家庭に戻ると、このゆるい感覚が妙に心地よい。 仕事と家庭の「ON」「OFF」の切り替えは、 服装だけでなく「会話」も大きな要素なんだな、と気がついた。 この会話のあと、しばらくして、娘が帰宅した。 「あぁ、本当に『ちょっとそこまで』の距離だったんだ」と感じた私は、 まだまだ「切り替え」ができていないな、と反省した。(汗)
|
| 2016年03月23日(水) ■ |
 |
| 死因は「同性愛」、だから「死刑」 |
 |
映画「中国の植物学者の娘たち」(ダイ・シージエ監督)から。 「中国ではタブーとされる“同性愛”というテーマに挑んだ意欲作」 というフレーズが私のアンテナに引っ掛かり観たが、 結局は、心臓発作を起こした中国の植物学者の直接的な死因が、 2人の美しい女性たちの同性愛ということで、判決は死刑。(汗) 主人公2人の裸体と、アジアっぽい音楽と風景には満足したが、 この映画を通して、監督は何を訴えたかったのか、わからなかった。 まだまだ中国は、男女差別が横行している国なのか。 新婚での初夜、新郎が突然怒りだすシーンがある。 「なぜ処女じゃない、誰と寝たんだ」と暴力をふりながら。 父親の足を、毎日、娘たちがていねいに洗うシーンも出てくる。 映画とはいえ、馴染めないシーンの連続に、ちょっと戸惑った。 この映画を思い出すためのワンフレーズは、 「死因は『同性愛』、だから『死刑』」としてみた。 どうして中国では同性愛がタブーなのか、そんなことが気になった。 民主化が進む中国で、この考え方はこれからの課題となるに違いない。 じっくり見守っていきたい。
|
| 2016年03月22日(火) ■ |
 |
| フォースとは、人間誰もが待っている「潜在能力」 |
 |
映画「スター・ウォーズ ジェダイの復讐」 (リチャード・マーカンド監督)から。 スター・ウォーズのキーワードは「フォースの使い方」だと思うが、 そもそも「フォース」って言葉が、上手く説明できないでいる。 ヨーダの台詞にヒントがあるかな、とメモしてるのだが、 「わしは、もう黄昏時(たそがれどき)だ。 すぐに、夜が来る。それが人生だ。フォースの定めだ」 「忘れるな、ジェダイの力の根源は、フォースにある」 「だが、気をつけろ。怒りや恐れが、フォースの暗黒面にお前を誘う」 どれも感覚的な表現で、定義が難しい気がするのは、私だけだろうか。 以前「理力」とも訳された「神秘的な力」とか、 特別な人しか持っていない「超能力」と考えればいいのかもしれないが、 私は、人間、誰もが持っている「潜在能力」と考えてみた。 顕在能力は、水面上に見えている氷山の一角であり、 本来人間には、産まれた時からものすごい力が備わっている。(はず?) その、水面下に隠れている「潜在能力」をちょっと使うことにより、 大きな成果が得られる、という話は、今までに何度も耳にした。 その「潜在能力」を、正義を行うことに利用すれば「ライトサイド、光明面」 悪に用いたものは「ダークサイド、暗黒面」と考えれば分かりやすい。 「人は生まれつきは善だが、成長すると悪行を学ぶ」という「性善説」、 「人は生まれつきは悪だが、成長すると善行を学ぶ」という「性悪説」も、 この「潜在能力」の使い方次第なのかな、と思ってみたり・・・。 「フォースとは、人間誰もが待っている『潜在能力』」であり、 特別な人が持っている「超能力」ではない、と思いたい。
|
| 2016年03月21日(月) ■ |
 |
| 声優による読みきかせは、現代版の「落語」 |
 |
今月、楽しみにしていたイベントのひとつに、アニメでお馴染みの 「人気声優が集合!絵本のサプリおはなし会」があった。 「いつもの絵本が、いつもの人形劇が、魔法にかかったように大変身!!」の キャッチコピーに誘われて、地域交流センターに足を運んだ。 出演は、愛河里花子さん(「かいけつゾロリ」イシシ役など多数) 大谷育江さん(「ポケットモンスター」ピカチュウ役など多数) かかずゆみさん(「ドラえもん」しずかちゃん役など多数)の3人。 子どもたちにとっては、大好きなアニメの声が、 なぜか近くから聴こえてきたとあって、会場内の盛り上がりは、最高潮。 そんな様子を会場の一番後ろから眺めていたら、あることに気付いた。 彼女らの読みきかせが始まると、子どもたちが静かに聴いている。 それも「アニメ」を観るように真剣に・・(汗)。 読みきかせは、あまり抑揚をつけずに、淡々と読む方がいい、なんて、 以前、読んだ本に書いてあったのを覚えていたので、彼女らが 一人で何役も声を変えて、紙芝居のように流れる「読みきかせ」に驚いたが、 こんなに夢中になって、子どもたちが聴いている姿を見ると、 これが、現代風の「読みきかせ」なんだな、と妙に腑に落ちた。 声だけで、観客を惹き付ける能力は「落語家」に匹敵するし、 母と子ども、可愛い動物などの題材が多い「絵本の読みきかせ」は、 1人で老若男女、何役もの声を使い分ける、女性の声優にはピッタリだった。 彼女らの技術は、新しいジャンルの「話芸」といっても過言ではない。 だからこそ「声優による読みきかせは、現代版の『落語』」という表現で、 今日の驚きと新鮮な発見を「気になる一言」に残したいと思う。 今日のイベントをきっかけに「声優」を目指す子どもがいたら、素敵だな。
|
| 2016年03月20日(日) ■ |
 |
| N.B.F定期演奏会は、大人バンド体験の機会 |
 |
タイトルだけでは分からないので、ちょっと解説。(汗) 「N.B.F」とは「沼津プラス・フロンティア」の略。 学生時代に部活などで吹奏楽(ブラスバンド)の楽しさを知ったのに、 社会に出るとなかなか、吹奏楽を楽しむ機会がなくなる、 そんな人たちに、細く長く「楽器演奏」を続けて欲しいなぁ、 そんな想いが込められている「大人の吹奏楽部(部活)」って感じで、 プロではないけれど、これからも観客の前で演奏したい、 またみんなと一緒に、楽しく音楽を創っていきたい、 そんな感じの人には、貴重な「大人バンド」はないだろうか。 今日はその「N.B.F 第17回定期演奏会」だったので、妻と2人で、 彼ら、彼女らの元気をいただきに、沼津文化センターへ足を運んだ。 「どうしてこんな時期に定期演奏会?」と思うが、それには理由がある。 もちろん、社会人らの都合もあるだろうが、今年の3月に高校を卒業し、 これから大学、社会人となる若者に「大人の吹奏楽部」の中に混じって 演奏をしてもらい、音楽の素晴らしさ、みんなで演奏する楽しさを、 これからも忘れないで欲しい、という気持ちが伝わってきた。 大学受験や就職活動などで「部活」を卒業していた、高校生たちは、 ちょっと上(?)の先輩たちと演奏することが、とても嬉しそうだった。 (一緒に演奏していた先輩たちの方が緊張していた気がする。(笑)) 吹奏楽に限らず、中学、高校で楽しさを知った、いろいろな活動を、 大学、社会人になっても、趣味として続けていける環境づくりって、 私たち、歳を重ねた大人たちの役割なのかもしれない。 そんな活動が楽しみで、静岡県東部を選んで住んでくれたら、 こんなに嬉しいことはないのだから・・・。
|
|