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しもさんの「気になる一言」
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2015年11月14日(土)
深みってのはね、出そうと思っても出せるものじゃないの。

映画「深夜食堂」(松岡錠司監督)から。
深夜しか営業しない食堂「めしや」に集る人たちは、
マスターの料理と、何ともいえない居心地の良さを求めて、
毎晩たくさんの人々が集まって来るらしい。
そんな中、余貴美子さん演じる料亭の女将は、
ぬか床をもって来店し、若い人たちに向けてこう呟いた。
「深みってのはね、出そうと思っても出せるものじゃないの。
時間がかかるのよ、私たちみたいにね、マスター」
その場面設定を説明するのがなかなか難しいが、
台詞として面白かったので「気になる一言」に選んでみた。
食品の「味の深み」はもとより、人間としての「深み」は、
いくらお金を積んでも、出せるものではない。
また、短い年月では「深み」は出せるものではないと、
「ぬか床」を渡しながら言うところが面白い。
人間としての深みを出すには、それなりの人生経験をし、
知識と知恵がバランスよく整った頃合いに自然と出るもの、
そう言いたげだった。
さらに、その「深み」という言葉は、自分が使うものではなく、
周りの人たちが、その人柄を感じとって、使うものだと思う。
歳を重ねてくると「深みのある人」と言われるのに憧れるのは
私だけではないだろうが、これが難しいんだなぁ。



2015年11月13日(金)
どちらかが、50年近く勘違いしていることになる

先日、高校生の頃からつき合っている親友から、連絡があった。
地元を離れている仲間が○日に帰省するので集合、
そんなメッセージがあると、彼らに会いたい一心で参加する。
メンバーは同級生、それも57年間、歳を重ねてきた仲間たち、
その場の会話の面白さは、ちょっと文字では表現しにくいが、
酔いにまかせて、記憶のぶつかり合いがあった。
いくら体調を崩しても、2020年のオリンピックまでは生きたい、
そんな湿った話かと思えば、前回の「東京オリンピック」の
重量挙げの三宅選手から、男子マラソンのアベベ選手まで、
自分の思い出せる記憶をフル動員して、盛り上がった。
この昭和39年(1964年)の東京オリンピック開催の時、
自分たちは何歳だったか?の問いには、同級生だというのに
不思議なことに、意見がまっぷたつに割れた。
昔の国道1号(新道)で、初めて見る聖火リレーに
日の丸の旗を振ったのは幼稚園、という私の記憶と、
いやいや、東京オリンピックは、間違いなく
小学校のテレビで見た、という記憶があり、楽しかった。
「どちらかが、50年近く勘違いしていることになる」から、
自分の認知症を疑いながらも、必死に記憶を遡ることとなった。
調べれば簡単にわかるけれど、実は結論なんてどちらでもいい。
こんな他愛ない話題で、5時間も飲めるのだから、
同級生の飲み会は楽しいはずだ、と改めて実感した。(笑)



2015年11月12日(木)
10月29日(木)365万歩達成(301日目)していた

実は、先月、書き忘れたことがある。
私が歩いた歩数を記録し始めて、4年が経過しようとしている。
その日の寝る前か、翌日の朝、歩数をチェックして、
愛用の手帳の年間計画一覧に、その数字を書き込む。
さらに、同じ数字をエクセルシートに入力し、集計しながら、
年間365万歩(平均1日10,000歩)を目標に歩いているのだが、
先月の「10月29日(木)365万歩達成(301日目)」していた。
初めて達成した「2012年」は、よほど嬉しかったらしく、
「11月18日(日)366万歩達成(323日目)」と書いてある。
翌年、2013年は達成できず、昨年リベンジに挑戦し、
「12月19日(金)(352日目)」になんとか達成できた。
今年は、ネットで知り合った方々と励ましあって歩いたからか、
予想以上の速さで、目標の365万歩に辿り着いた。
4年間毎日記録をつけていると、以前紹介した「体重」と同様、
大体の感覚であるが、歩いた歩数がわかるようになってきた。
今日はちょっと足りないから、8000歩〜9000歩、
今日は歩き過ぎたから、15000歩を超えたな、という感じ。
今年は4年前のように、自宅に入る前に「歩計」を確認し、
足りなければ、意識的に自宅周辺を10分ほど歩いて歩数を稼ぐ、
そんなことはしなくなった。
10000歩にちょっと足りなければ、翌日少し頑張って歩く。
極端に多かったら、翌日は逆に休憩のつもりで無理しない。
とにかく、1年を通じて健康でいることが目的であり、
そのための目標が「年間365万歩」であることを理解している。
これまた「継続は力なり」を実感出来る、簡単な試み。
意識して続ければ、誰でも達成できることなんだよなぁ、実は。



2015年11月11日(水)
わたしたちは、街の見守り隊。

小冊子で見つけた、読売新聞の紹介エッセイ。
「特別なことは、何もしていません。
届けるべき新聞を、届けるべき読者のもとに、届け続ける。
ただ、それだけのことです。
けれど、日々、同じ時刻に、同じ道を通る仕事だから、
ささいな街の変化にも、気づくことができます。
だからこそ、わたしたちにできること。
それは、配達を通じて、街の安心を見守ることだと思うのです。
もしものときに、少しでも力になれるように。
街のために、そこに住む人のために、
今日も、明日も、明後日も。わたしたちは、街の見守り隊。」
私が毎日、柿田川の今を伝える情報を発信している理由が、
この新聞のエッセイに表現されていたので書き写した。
「街」を「柿田川」に読み替えるだけでいい。
この使命感こそが、持続力につながっているのだと思う。
わが町の住民には、声高らかに、そして声を揃えて言って欲しい。
「わたしたちは、柿田川の見守り隊。」



2015年11月10日(火)
演劇と映画の「絶妙なコラボレーション」

映画「シネマ歌舞伎 野田版 鼠小僧」(野田秀樹演出)から。
わが町の映画館(シネコン)で上映されなければ、
たぶん一生観なかったであろう作品の1つ。
演劇は「劇場」、映画は「映画館」という私の固定観念から、
どうしても結びつかなかった関係であったが、
歌舞伎の舞台作品をHD高性能カメラで撮影し、
映画館にてデジタル上映するという映画と演劇のジャンルを超えた
新たな取り組み」という説明に、私の好奇心が動いた。
初めての体験だった「シネマ歌舞伎」であるが、
予想外(?)にも、平日の昼間だというのに多くの観客があり驚いた。
「映画ファン」なのか「歌舞伎ファン」なのかは知らないが、
涙あり笑いありの演劇の面白さが会場内を包み込み、
偶然横に座ったご婦人も、声を出して笑ったりしてたから、
どちらかと言えば「劇場」に近い雰囲気だったようだ。
これからも、いろいろな利用方法を模索しながら、
大スクリーンでしか伝わらない「臨場感」を味わいたいと思う。
これだけは「自宅でDVD」をお薦めしない。(笑)



2015年11月09日(月)
古いほど巨大 古いほど精巧 古いほど類似

映画「ピラミッド 5000年の嘘」(パトリス・プーヤール監督)から。
ピラミッドに隠された数々の疑問に答えを出していく展開に、
テレビの特集番組と変わらないな、と思いながらも、
なぜかメモしながら、夢中になってしまった。
「今日でも困難な作業でしょう」「原始的な記録はありません」
「学者たちの意見はバラバラです」「理由はさっぱりわかりません」
「とても人間業とは思えないですからね」「驚くばかりです」
「用途不明の遺物」「驚嘆に価します」「驚異的な事実です」
「人間の手では生み出せません」・・・これでもか、と続く台詞。
その根拠は「古いほど巨大 古いほど精巧 古いほど類似」という遺跡。
今の人類の技術では不可能な「巨大・精巧・類似」建造物に、
宇宙人の存在でも言い出すのかと思ったら、
「地球上で大いに繁栄した文明が、自らの運命を自覚しつつ、
未来の世代に警告を発していたのです」とまとめた。
へぇ〜、こういう展開もありだな、と感心するとともに、
もしかしたら・・こちらの説の方が正しいかも、と唸った。
こういった謎解き、けっこう好きかも、私の場合。



2015年11月08日(日)
柿田川は私たちにいろいろなことを教えてくれます

第12回柿田川シンポジウム(主催:柿田川生態系研究会)から。
今回のテーマは「柿田川、そのもたらすもの」
(〜実質的な恩恵、やすらぎ、くつろぎ〜)だった。
学術的な観点から、柿田川の生態系を研究している人たちの話は、
私の思いもつかなかった角度からの成果発表で楽しかったし、
柿田川を貴重な自然を、大切に思っている人は、
自然保護をしている人たちだけではなく、いろいろな分野で
研究してる人たちにとっても、魅力的な存在だった。
世界でも少ない、全てが湧水の河川は、一般的な河川と比べて、
「極めて水温と水量が安定している大規模湧水河川」と表現し、
日量100万トンの水量と、1年を通じて「15度」という水温の安定は、
実は、水中生物にとって、いや生態系の研究者にとって、
ものすごい環境だということを、再認識させられた。
「河川生態系の解析に最適な河川」という言葉をメモにした。
また「柿田川は私たちにいろいろなことを教えてくれます」と
大学の名誉教授が成果発表をしたかと思えば、
地元の小学生・中学生が、自分たちがこれからすることとして
「柿田川をもっと知って、もっと体験して、発信していくこと」
「僕たち、一人ひとりの意識を高めること」として、
多くの研究者を前に、堂々と発表したことは、
私にとって、とても嬉しいメッセージ(エール)だったと思う。
そのためにも、基本に戻って「まず多くの人に知ってもらう」、
こんな素晴らしい川のある町に住んでいることを、
より多くの人に伝えたいと感じた、シンポジウムであった。