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しもさんの「気になる一言」
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2015年09月19日(土)
自分で光をあてることができるなんて、うらやましいです!

今朝から、多くの方から激励の言葉をいただき、
「観光」という初めての分野での不安が、少し解消された。
正直、プレッシャーがないわけではないが、
「いつもやってることを仕事でやればいいのでは?」という助言や、
「これから3年で清水町の観光の土台を作りましょう」という励まし、
「わぁ〜♡、キタキタキタ〜〜」というコメントまで、
私を喜ばせてくれるメッセージが相次いだ。
その中で「羨ましい」というメッセージが届いたことに驚いた。
私にとって「そうだよな、私は幸せだよなぁ」と感じたので一言。
「おめでとうございます!これまで、コツコツ積み上げてきたものを、
自分で光をあてることができるなんて、うらやましいです!」
課長になってからを振り返ると、生涯学習課長の時に、
富士山世界文化遺産の構成資産を目指して、
町の宝である「柿田川」を「国天然記念物」にする作業をし、
現在の都市計画課長として「柿田川の保護・保全」活動に参加し、
多くの一般質問に答弁させてもらいながらも、(汗)
何度となく「柿田川」に直接入ることで、その魅力に触れてきた。
また開園以来の「柿田川公園の大改修」に携わり、
多くの方の協力をいただき、町民憩いの場としての整備が進んでいる。
そして、10月から産業観光課長として「柿田川」を通して
「清水町」を全国に情報発信する仕事に就くこととなったわけだが、
この経過を振り返るだけでも「ホップ、ステップ、ジャンプ」と、
一歩ずつ「柿田川」の知識と楽しむ知恵が増えてきたことは、
ほぼ毎日、柿田川を眺めている私が一番知っている。
「ソフト事業」と「ハード事業」のあとは「ハート事業」。
多くの方のハートに届くような仕事として、総仕上げをしたいな。

P.S.
「産業観光課」は「観光振興」ばかりではなく、
「産業振興」「自治振興(まちづくり)」も担うことになる。
やはり「まち・ひと・しごと」の地方創生かな。



2015年09月18日(金)
俺はピアノを弾く猫だ。

映画「シェフ 三ツ星フードトラック始めました」
(ジョン・ファブロー監督)から。
「移動屋台」も「フードトラック」と言うと、
アメリカンっぽくなるな、と感心しながら、
日本では「キッチンカー」だな、と苦笑いした。
ストーリーとは、直接関係ないが作品の序盤に、
自分の料理を酷評する評論家のツイートを読み、
個人に返信したつもりの書き込みが、リツィートとして
全世界に広がり、大騒ぎになるシーンがある。
そのドタバタ劇を自分なりに振り返って、
「俺はピアノを弾く猫だ」と呟く。
「何それ?」と聞き返す相手に「おもしろネタだ」と
真面目に答える会話が、引っかかった。(笑)
こういう時、なぜ例えが「猫」なんだろうか、という疑問と、
インターネット上に「ピアノを弾く猫」の映像が、
多く投稿されて、大勢の人に見られていることの表現、
うまいな、と思った。
人間以外で、ピアノを弾くのは「犬」ではなく「猫」。
この違い、もう少し、調べてみようかなぁ。



2015年09月17日(木)
お通夜は、人生の卒業式

人生の大先輩とも言える方の奥様が亡くなったという訃報に接して、
業務終了後、予定していた会議を(止む無く)キャンセルして、
お通夜に参列した。
「村八分」の残りの「ニ分」は「火事とお葬式」だと知ってからは、
どんなに犬猿の仲になろうが、無視することが出来ない事柄と理解し、
出来る限り顔を出すことにしている。
今回は、故人の人柄をあらわすかのように落ち着いた雰囲気の中、
彼女の人生を振り返る機会があり、田植えが機械化する前の大変さなど、
農家に嫁いできた時の苦労も、しみじみ伝わってきた。
しかし、ナレーションを語る女性から「今日は、人生の卒業式」という
フレーズが飛び出し、なるほどなぁ・・と記憶に留めた。
「お通夜」というと、なんとなく「未練」や「湿っぽさ」が残るが、
「人生の卒業式」というと「本当にお疲れ様でした」という言葉が
素直に私の心から発せられた。
そんな中、夫が亡き妻に伝えたかったメッセージが紹介され、
「61年間一緒に生きてきてきてくれて、ありがとう」だった。
61年という、私の年齢よりも長い期間を一緒過ごしたお二人は、
ふたりだけの「夫婦の卒業式」に参列して、お互いを慈しみ、
夫が「蛍の光」を歌い、亡くなった妻が「仰げば尊し」を歌うのだろう。
卒業式の定番ソングは、今まで学校の卒業式しか思い浮かばなかったが、
片方が他界した夫婦でも、別れを惜しむ気持ちが伝わってきた。
「お通夜は、人生の卒業式」ってフレーズ、記録として残しておきたい。
「今こそ、別れめ、いざ、さらば・・」(合掌)



2015年09月16日(水)
少数意見をとりあげるべきか?

以前紹介した書籍「大放言」(百田尚樹著・新潮新書刊・239頁)から。
賛同したのは「少数意見をとりあげるべきか?」という内容。
「国会で『政党』として認められるのは、
所属議員の数が五人以上か、直近の国政選挙で
得票率が2パーセント以上ある政治団体という決まりがある。
つまり議員が四人以下で得票率が2パーセントに満たない場合は
政党として認められないのだ。
私はこれはまっとうな規則であると思う。」という部分。
「世の中には『少数意見を大切にしろ』という意見がある。
一見、非常にもっともな意見のように聞こえるが、
はたしてそうだろうか。
98パーセントが『納得できない』という意見は、
切り捨てていい意見だと思う」という彼の主張に頷いた。
「何度も言うが、これは少数意見の切り捨てではない。
五〇人に一人しか理解できない意見というものは、
本来は耳を傾ける意見ではない。
これはほとんどノイズと言えるものである」と書いている。
なんとまぁ、大胆に言い放ってくれるな、と拍手を送った。
一種のクレーマーに近い、声の大きな一市民の主張を、
「少数意見」と勘違いし、取り上げないためにも、
各種団体の会長や、選挙で選ばれた議員さんたちがいる。
私はそう考えているのだが、これも少数意見だろうか。(汗)



2015年09月15日(火)
女中はまともな職業だったし、嫁入り前の花嫁修業でもあった。

映画「小さいおうち」(山田洋次監督)から。
ストーリーとは、あまり関係ないかもしれないが、
昭和初めの頃の「女中」という職業に興味を持ってしまった。
年老いた主人公・布宮タキ(倍賞千恵子さん)が孫に語る、
「女中」という職業に対する定義に頷いてしまった。
「昭和の初めの頃はね、東京のサラリーマンの家庭では、
女中さんがいるのは当たり前だったのよ。
近頃は、お手伝いさんなんて言い方をするけど、私の若い頃は、
女中はまともな職業だったし、嫁入り前の花嫁修業でもあった。
奴隷みたいに思われたら、かなわないよ」
最近では「花嫁修業」という言葉も死語となりつつあるが、
男性の「徴兵制度」がなくなったように、
女性の「花嫁修業」も時代の流れとともに、なくなった。
どちらも、若い年代の大切な一時期でないかと感じている。
特に「花嫁修業」となっていたという「女中」という役割は、
ある意味、有料の社会奉仕(ボランティア)をしながら、
家事全般に必要な知識・基礎技術を、住込みで覚えるシステム、
そう考えることが出来なくもない。
長い期間でなくても、家族以外の人たちと一緒に住むことで、
いろいろなことを覚えさせてもらえる体験は悪くない。
しかし、これも中年男性の古い視点かもしれないなぁ。



2015年09月14日(月)
誰かと響きあえたら、一瞬が永遠になんねん

映画「マエストロ!」(小林聖太郎監督)から。
私は楽器が弾けないから、五線譜に書かれた音符を読み、
その記号を「音」にしていく人たちには、
嫉妬というより、賞賛の言葉しか見つからない。
音楽は、人生にとって「あってもなくてもいい」ものではなく、
「必ずなくてはいけないもの」だと私は思っている。
作品の中でも「音楽ってせつないね。
今、確かにあったって思っても、次の瞬間には消えてしまう。
それでも、この世で一番美しいのは音楽だ、そうだろ?」という
フレーズに代表されるように、音楽の素晴らしさは伝わった。
しかし、もっと素敵な言葉に出会った。
「わしら人間は誰でも死ぬ。必ず死ぬ。音と一緒で一瞬や。
せやけどな、誰かと響きあえたら、一瞬が永遠になんねん」。
1つひとつの音がいいのは勿論、大切だけれども、
その音が、違う楽器の音色と響きあったとき、もっと深みのある、
それでいて、なぜか心地よい音を耳にすることが出来る。
人生も同じ。1人で生きるのを否定はしない。
しかし、誰かと出会い、結ばれ、夫婦、家族となっていくことで、
みんなが鳴らしている音が調和した瞬間に味わう達成感は、
何事にも変え難いに違いない。
「マエストロ」と呼ばれる「指揮者」は、それを一番知っている。
だからこそ、多くの音が響きあうオーケストラを纏めあげ、
「自分の音づくり」に夢中になれるのだろうなぁ。



2015年09月13日(日)
「アルハンブラの想い出/F.タレガ」の緊張感

昨日の午後から、音楽三昧の週末を過ごした。
土曜日午前中の「柿田川の外来種駆除」を終えたあと、
午後からは「伊賀あやさん(ヴァイオリン)&青木祐介さん(チェロ)」
(三島文化センター小ホール)で開かれた「第15回演奏会」。
もう15回になるのか、と思いながらも、たぶん最初の頃から
聴かせていただいているので、その成長ぶりが妙に嬉しい。
(なんとなくだけど、若い頃と違った音になった気がする・・)。
夜には、私たち中学校の同級生のみ(56歳〜57歳)で編成している
混声合唱団『風の会』の練習。(プロの方には失礼だけど(笑))
今年は「若者たち」と「宇宙戦艦ヤマト」で町芸術祭に参加する。
下手ながらも、人の声がハモル楽しさ、快感を味わっている。
そして日曜日の今日は「オーボエ・ギター デュオコンサート」。
「古部賢一さん(オーボエ)&鈴木大介さん(ギター)」
(沼津文化センター小ホール)で開かれた演奏会に足を運んだ。
総括するつもりではないが、やはり「楽器の生音はいいなぁ」。
(先日の「ジャズ・コンサート」でも同じことを感じたっけ)
CD・DVDでは感じられない、一体感(空気感)みたいなものが心地よい。
特に「鈴木大介さん(ギター)」の演奏した、ギターでは名曲中の名曲、
「アルハンブラの想い出/F.タレガ」の時は、会場内の空気が変わった。
誰もが知っている曲であるからこその「緊張感」みたいなもの。
聴衆者の私たちも、どんな小さな音も聞き逃すまい、とする静けさは、
演奏者にとっては、どう感じたのか、ちょっと知りたい気がする。
逆に弾き終えた後の彼のホッとした表情と会場が割れんばかり拍手が、
私の目に焼き付いて離れなかった。音楽三昧の週末記録として
「『アルハンブラの想い出/F.タレガ』の緊張感」を残しておきたい。
いつの日か、この曲をBGMに「柿田川」の映像を流したいな。