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しもさんの「気になる一言」
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2015年09月05日(土)
まだやめたくない。もっとやりたい。

数ヶ月前、ある団体から世界から集ってきた奨学生(留学生?)に、
柿田川のボランティア体験をさせたい、という相談があり、
何度か打合せをして、今日の日を迎えた。
彼ら、彼女らは、本当に優秀で、日本語を流暢に話し、
私の予想した「カタコト」の日本語は、耳にできなかった。
最初に、私の拙い「柿田川に関するレクチャー」を受けたあと、
2班に分かれて、柿田川の水中と陸上の「外来種駆除」を体験した。
もちろん「体験」なので、私たちが活動している時間の1/4程度だが、
それでも「一所懸命・脇目もふらず」の表現がぴったりなほど、
「無我夢中」に「外来種駆除」のボランティア体験を終えた。
そろそろ終わりです・・と伝えると、一斉にブーイング?の声。
「まだやめたくない。もっとやりたい」
環境問題に興味関心を持っている奨学生とは聴いていたが、
自分たちの活動が「柿田川の保護・保全に役に立てば嬉しい」という
気持ちが伝わってきて、協力してよかったな、と感じた。
町民や県民、国民よりも、世界の国々から集った若者たちが、
「柿田川のボランティア活動」に興味を示し、
また機会があればやりたい、という言葉を残して帰っていった。
せっかくだからと、柿田川公園の展望台から大きな湧き間を案内したが、
それよりも、柿田川に入って作業した、水の感触が強かったようだ。
私にとっては、どんなものよりも、彼ら、彼女らの一人が呟いた
「ここの近くに住みたい・・」は、何よりの御褒美だったなぁ。

P.S.
「お兄さん、(お兄さんじゃないけど・・)良いところに住んでますね」と
続けたあと「こんな所に住んでいたら、ストレスないでしょ?」と訊かれ、
反応に困った私がいました。(汗)



2015年09月04日(金)
目立ちすぎると逆に目立たない

映画「シャーロック・ホームズ シャドウ ゲーム」
(ガイ・リッチー監督)から。
「シャドウ」イコール「陰」であるが、今回は「変装」が
キーワードになっていたかもしれない。
「変装はなし?」「食事の時にはね」という会話から始まり、
「ひどい変装だが、時間がなかったのだ」と女装の言い訳をし、
「(隠しても)人は緊張するとそれが動きに表れる」など、
「隠れる」ということにスポットが当たっていた。
しかし、それは驚きのラストシーンのように「椅子」そのものに
同化するのではなく、日常生活に溶け込む、という形で身を隠す。
だから、端から観ると派手にみえる「ひげ」や「変装」も、
彼の理論では「目立ちすぎると逆に目立たない」となる。(笑)
今回の不満は、もっと推理で事件解決をして欲しかった。
ドキドキするようなアクションシーンは、007やM.I.Pに任せて、
ゆっくり、じっくりとした時間を楽しみながら、
ワトソンと協力しながら、問題を解決していく。
それこそ「シャーロック・ホームズ」ならではの世界ではないか。
続編を匂わせる「THE END ?」のタイプライターの文字、
う〜ん、基本は1作品完結型、にして欲しいなぁ、が私の持論。



2015年09月03日(木)
要領よく過ごすには「透明」になることよ

映画「美しい人」(ロドリゴ・ガルシア監督)から。
原題「Nine Lives」のとおり、9人の女性達の9つの人生。
オムニバス形式に語られる女性の心の内部?なのかな、
そんな思いで観終えた。
正直、あまりよく分からなかった。(汗)
それが私が男だからなのか、感性が繊細じゃないのか、
それさえもわからない。
9人が、どこがでクロスするのかと期待したが、
それもあまり見られず、消化不良のままだった。
一人ひとりの場面でメモをしたから、記録に残したい。
□サンドラ「要領よく過ごすには「透明」になることよ」
□ダイアナ「傷ついても怒ってもいない、悲しいだけ」
□ホリー「あの時のパパの笑顔を今でも覚えてる」
□ソニア「君は愛しているけど、決めたことは守れ」
□サマンサ「人生をみつめることは、いつでも出来る」
□ローナ「近頃の女は、男の世話で手いっぱいね」
□ルース「蜃気楼ほど、真実味のあるものはない」
□カミール「眠りには、過去、現在のすべてが存在する」
□マギー「厄介な荷物を背負い生きてきた」
ワンシーン、ワンショットだから、映画らしくないのかな。
邦題も「美しい人」だから、
余計にわからなくなってしまったのかも・・とほほ



2015年09月02日(水)
体重誤差、±200グラム

「レコーディング・ダイエット」をしているわけではないが、
自分の身体に関心を示すために、データを取得している。
朝起きて「体温・血圧」、お風呂前に「体重・体脂肪率」、
そして寝る前に「体温・血圧」。
(「歩数」と「心拍数」は「Apple Watch」が自動計測。)
やはり私は「データ好き」だなぁ、と自覚しているが、
驚いたことに、測る前に自分で自分の身体と向き合い、
私なりの数値予測をすると、最近、非常に近い数字が出る。
特に、お風呂前に素っ裸で測る「体重」は、正解に近い。
今日はこれくらい運動をし、これを食べて飲んで、
そして一番大切な、お腹のへっこみ具合いから推察すると、
体重計に表示される数字の誤差は、ごく僅か。
だから「体重誤差、±200グラム」を記録として残したい。
逆に、なかなかわからないのが「体脂肪率」。
体温と関係している気もするし、水分量にも関連が?
未だ、体脂肪率だけは、毎回大きく外れているので悔しい。
う〜ん、この感覚は、どうやって見つけるんだろう。



2015年09月01日(火)
人間の体は体内に余っているものしか外に出しません

書籍「水分の摂りすぎは今すぐやめなさい」
(石原結實著・三笠書房刊・252頁)から。
いろいろな方の健康法や、ダイエット本などを読み漁り、
私が一番、なるほどなぁ・・と思った著者なので、
続けて、他の著作も読み始めた。
男性と女性の太り方も違うし、ダイエットの仕方も違う、
それを、一種類のハウツー本で対応することは難しい、
そんな主張も、なるほどなぁ・・と思ってメモをした。
ただ、男でも女でも、共通している現代人の傾向は、
「水分の摂りすぎ」であるということ。
水分を十分に摂らないと、血が固まりやすく、
脳梗塞などになりやすい、という説明を信じて、
一日に何リットルも水を飲むことに疑問をもたなかった。
でも、この説明にはっとさせられた。
「人間の体は体内に余っているものしか外に出しません」
汗をかきやすいってことは、体質だけでなく、
水分の摂り過ぎってことなんだろうなぁ。
人間の体って本当によくできている。
だから自分で病気を治す、自然治癒力にも期待したい。



2015年08月31日(月)
人間は、螺旋そのものかもしれない。

映画「リトル・フォレスト 冬・春」(森淳一監督)から。
「夏・秋・冬・春」と「小森の季節(四季)」を観続けてきたが、
作品、全体のメモを整理したら、やはり「春」が一番多かった。
ただ「5年前の雪の日に突然姿を消した母・福子から1通の手紙」は、
主人公だけでなく、私の心も揺さぶった。
「何かにつまずいて、それまでの自分を振り返ってみるたびに
私っていつも同じようなことでつまずいているなって。
一生懸命、歩いてきたつもりなのに、同じ場所をぐるぐる円を描いて
戻ってきた気がして落ち込んで。でも、私は経験を摘んだんだから、
それが失敗にしろ、成功にしろ、まったく同じ場所ってことはないよね。
じゃあ、円じゃなくて、螺旋(らせん)だって思った。
一方向からみたら、同じところをぐるぐる、に見えても、
きっと少しずつは、上がっているか、下がってるかしてるはず。
それなら少しはましかな。
う〜ん、それよりも人間は、螺旋そのものかもしれない。
同じところをぐるぐる回りながら、それでも何かあるたびに、
上にも下にも伸びていくし横にだって。私が描く円も次第に大きく膨らんで、
そうやって少しずつ、螺旋はきっと大きくなっている。
そう考えたらね、私、もう少し頑張れると思った」。
長文になってしまったが、この作品の根底に流れている考え方、
そんな気がして、何度も何度も巻き戻して、メモをした。
何かに行き詰ったら、ちょっと離れて違う方向から自分を眺めてみる。
そこに、生き方のヒントが隠されているに違いないのだから。



2015年08月30日(日)
エレベーターには「閉める」のボタンがない

「働く女性の会(ATG)」の8月例会だった。
講師は「小山寿美枝さん」
演題は「住んでみたらこんなトコ! ドイツ」。
2007年10月〜2011年1月の約3年間、
御主人の転勤に伴いドイツのデュッセルドルフで生活。
一専業主婦がどのような生活をしていたのか、
いろいろな角度から撮影された写真で紹介してくれた。
実は、私の予想をはるかに超え、国民性の違いを痛感した。
彼女が住む隣の自治体では、最低限のドイツ語が話せるだけでなく、
生活する上で大切な、ルールやマナーの試験があり、
それに合格しないと住むことができない、という話は、
本当?と疑いたくなるほど、私の目指すまちづくりと近かった。(笑)
全国の多くの市町が目指す、総合計画に掲げる将来都市像は、
いろいろな分野を盛り込み、曖昧になりやすいけれど、
「こういう意識を持った人たちが住む市(町)」という、
住む人たちに意識にスポットが当てた将来都市像だったら面白い。
それはまさしく「市民(町民)文化」であり、街の特色となるからだ。
文字にするのではなく、あらゆる場面で気付かせる仕組み、
単に「思いやりを大切にしましょう」よりも
「エレベーターには『閉める』のボタンがない」ほうが、
国民、住民には「おもいやり」の意識がわかりやすいに違いない。
声高に「バリアフリー」「障碍者対応」と叫ばなくても、
国民が「当然」「当たり前」と感ずる仕組みが羨ましかった。
時には、学者や専門知識の多い人よりも、そこに住む日本人の感覚を
大切にしていくことを学ばせていただいた.気がする。
これからも、いろいろな国の生活様式を聴いてみたいな。

P.S.
ドイツ国民は「冷蔵庫の霜」に手こずっているようであり、
「しも(霜)に悩まされていました」という講師の説明に、
「えっ、私?」と反応してしまった自分が可笑しかった。(汗)