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| 2015年08月22日(土) ■ |
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| 阿波おどり 鐘や太鼓と下駄の音 |
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昨年に引き続き、8月後半の土曜日、 裾野市の「第32回富士山すその阿波おどり大会」に足を運んだ。 私たち夫婦にとっては、もう恒例になりつつあるイベントであり、 今回は、親友夫婦を誘っての楽しい時間が流れていった。 昨年の反省をもとに、観客用のゴザを見ながら陣取る場所から、 ビール補給に便利な、居酒屋の位置を確認して、スタンバイした。(汗) 驚くほど目の前を通り過ぎる「27の蓮」を眺めながら、 私なりの評価をするとすれば、ちっちゃな子供たちも可愛かったし、 威勢のよい、元気な踊りも捨て難いが、踊りという観点でみれば、 リズムをとる「鐘や太鼓」の音と、女踊りをする女性たちの、 下駄のつま先が地面をたたく音が、ピッタリ揃っているとき、 練習を重ねてきたなと感じる、何ともいえない芸術性を意識した。 昨年は、阿波おどり独特の掛け声や、手の振りなどが気になったが、 今年は、鐘や太鼓の音と女踊りをする人の下駄の音とのハーモニー。 この感覚を、記録に残したくても一句。 「阿波おどり 鐘や太鼓と下駄の音」(お粗末) インパクトのある、目に飛び込んでくる「踊り」よりも、 それを支える、それぞれの蓮独特の「リズム」が耳に残った。 こうして、近隣市町で開催されている素敵なイベント、 出来る限り出没して何かを感じ、その魅力を伝えていきたいと思う。 来年は、クーラーボックス持参で、お邪魔しようっと。(笑)
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| 2015年08月21日(金) ■ |
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| (静岡市の街中で)「あっ、ゆうすいくんだ」 |
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朝から「管理監督者向けメンタルヘルスセミナー」受講のため、 静岡市へ足を運んだ。 メニューは、講座「組織の元気力アップ!」演習「所属員の悩みを聴く」 運動「管理職のためのリラックスヨガ」の三部構成で、 一つひとつに、新しい発見があったり、再認識させられたり、 9月議会前の緊張をほぐしてくれる内容であった。 最後の「ヨガ体験」のために、着替えたポロシャツは、 わが町のゆるキャラ『ゆうすいくん』のワンポイント入り。 研修終了後、そのポロシャツを着たまま静岡駅に向かう途中、 女子高校生とおぼしき3人の女性が、私を指差して 「あっ、ゆうすいくんだ」と、ニコニコして近づいてきた。 突然のハプニングにやや焦ったが、正直、嬉しかった。(笑) 女子高校生に囲まれたことではなく、わが町のゆるキャラが、 静岡市でも知られていたからである。 やや過熱気味の「ゆるキャラグランプリ」の投票イベントに、 つい、ゆるキャラ自体の役割を見失いがちだったが、 こうして「あっ、ゆうすいくんだ」と言われると悪い気はしない。 ただ「どこの町のゆるキャラか知ってる?」と訊けば、 「えっ、わかんな〜い」の返事では、まだまだ、志半分。(汗) 名前が知られたあと、何をPRするのか、その軸を押さえておかないと、 コスパ(コストパフォーマンス・費用対効果)の視点で追求を受ける時代。 絵本作家・宮西達也さんが生みの親である「ゆうすいくん」、 恩返しは「ゆうすいくん」が有名になることではなく、 彼の育った「静岡県清水町」が、世界に輝く町になることなんだよなぁ。
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| 2015年08月20日(木) ■ |
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| ちょっと「別件バウアー」だけど・・ |
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最近、世代間の言葉のギャプに悩みながら飲むより、 同世代の人たちとの飲み会が一番面白い。 先日の「ベトナム同窓会?」では、ほとんど同じ年齢の集まりで 普段は「オヤジギャグ」とバカにされそうな「駄洒落」も、 会話の潤滑油として連発されて、大笑いとなった。 「宴(えん)も高輪(たかなわ)プリンスホテルですが・・」は、 私も時々使うが、「ちょっと、別件バウアーだけど・・」は、 あまり使ったことがない。 ベッケンバウアーは、ドイツ(旧西ドイツ)の元サッカー選手で、 ペレ、マラドーナと並ぶ20世紀を代表するサッカー界のスター選手、 聴いている人たちが、それを知っていることが前提のフレーズだから、 同じ世代の人たちの会話だけで、盛り上がるのだろうな。 各世代に、こういった時代を代表する人をもじったフレーズがあると、 それだけで、宴が和やかになるのだから、もっと使って欲しい。 「駄洒落」がサラッと言える人のセンスは、尊敬に値する。 「おやじギャグ」と言われるか「うん、うまい」と頷かれるか、 本当に紙一重なんだよなぁ、たぶん。 コツは、駄洒落を口にしたあとに「自分で照れない」こと。 ウケても、ウケなくても、さらっと次の話題へ繋げられる度胸、 何もなかったようなリアクション。(私なんかまだまだだな) あとは、聞いてる方の盛り上げ方次第かな?(笑)
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| 2015年08月19日(水) ■ |
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| 「これってセクハラ?」って訊くのも「セクハラ」 |
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先日の「ベトナム同窓会(?)」で序盤に盛り上がったメモを 整理していたら、管理職の立場になった人たちのボヤキが残った。 最近、パワハラ、セクハラ、モラハラ、マタハラ・・など、 相手が不快に感じたら、もうそれは「ハラスメント」だから、 話しかける言葉には、充分注意が必要だね、と言いかけたら、 「これってセクハラ?」って訊くのも「セクハラ」なんだよ、と 教えてもらい、言葉に詰まってしまった。 同じ感覚で「パワハラ」を考えてみれば、 「これってパワハラ?」って訊くのも「パワハラ」になるし、 もう、仕事での指示や異性との会話すら楽しくなく、 相手はどう感じているんだろう、なんて考えたら、 まともにコミュニケーションすらとれなくなってしまう気がする。 でも、それが現実だとすれば、相手が不快に感じない存在になる、 それしかないのではないということか・・・。 「面倒くさい世の中」になってしまったなぁ、とは感じるが、 組織の中で生きていくというのは、そういうことなんだろうな。 「ハラスメント」の意味、もう一度、再確認しておこうっと。
P.S.「ハラスメント」とは、 「他者に対する発言・行動等が本人の意図には関係なく、 相手を不快にさせたり、尊厳を傷つけたり、不利益を与えたり、 脅威を与えること」
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| 2015年08月18日(火) ■ |
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| 人間って複雑で羨ましい |
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映画「her 世界でひとつの彼女」(スパイク・ジョーンズ監督)から。 久しぶりに、主人公に感情移入してしまった。(汗) 近未来の話と思っていたけど、今の私でも少し体験している気がする。 iPhoneの「Siri」機能が面白くて、1時間くらい会話したことがある。 「私設秘書」(私の場合、女性の声)を持った感覚で、いろいろ指示をし、 アラームをセットさせたり、知人の電話番号を調べさせたり、 勿論、素敵なお店や駐車場などを探させた。 ただ「私」と「Siri」が、恋愛感情まで持たなかったのは、 その度に「マイク」をタッチして話す必要があったり、 笑ったり悲しむといった感情が「音・声」にならなかったからだ。 こちらの指示する声の調子で「どうしたの?元気ないね」とか、 「何かいいことがあったの?嬉しそうね」とか言われたら、 もう少し、ハマってしまったかもしれないな。(笑) 人工知能OS「サマンサ」の個性的で魅力的な声や性格に、 本気で恋してしまっても、それは何も不思議なことではないかも。 だからこそ、敢えて気になる一言は、機械っぽい台詞を選んだ。 「PCとこんなに会話をするなんて」と言う主人公の「セオドア」 「PCじゃないわ、私としてるの」という人工知能OS「サマンサ」、 帰宅後「何してた?」と人工知能OS「サマンサ」に声を掛けると、 「人生相談のコラムを読んでいたの。人間って複雑で羨ましい」と呟く。 機械では想定できないことでも、人間は複雑な人間関係などで悩む、 それを「羨ましい」という視点で表現したのが印象的だった。 もう一度、じっくり観たくなる作品と出会えた気がする。
P.S. (不可能かと思っていたのに)筆記体の英文が書けるPCが登場。 あっ、これ欲しい・・真剣に思いました。
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| 2015年08月17日(月) ■ |
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| 一日一回は必ず確認するメールアドレス |
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これだけメール全盛時代だと、ひとりで複数アドレス所持が普通。 「パソコン用、携帯・スマホ用」と機種ごとに持つ人もいるし、 「仕事用、プライベート用」と、用途に合わせて持つ人もいる。 それは個人の使い分けだから、口を挟む余地はないが、 他人にメールアドレスを知らせる場合、 その後の変更のお知らせは当然だと思うし、それが無理なら 変える必要がない「Yahoo-mail」とか「G-mail」などにする。 一年を通じて、個人的な誕生日や結婚記念日などのタイミングで、 私が把握しているアドレスにメールを送ると、届かないのではなく いつまでたっても開かれていないことがよくある。 機種変更などでアドレスを変えて、連絡をもらえないのは、 常日頃の自分の御無沙汰を反省することもあるのだが、 届いているのに、詠んでもらえないのは、とても悲しい。 少なくとも「一日一回は必ず確認するメールアドレス」を、 他人に伝えて欲しいな、と思う。 S.N.Sのメッセージは必ず確認します、ならそれでもいい。 とにかく、24時間以内に確実に連絡がとれるメールアドレスを 自分のポストとして、確保して欲しい。 それこそ、情報社会に生きる私たちのノウハウであろう。
P.S. そういう私も、アドレス変更を知らせてない人がいるかもなぁ。
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| 2015年08月16日(日) ■ |
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| 東大卒は「戦国・幕末・維新」ではなく「太平洋戦争」? |
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今年は「戦後70年」とあって、例年より「太平洋戦争」について、 多くの方が、じっくり考え、自分の意見を主張している気がする。 この時期、もう一つ思い出したことを、記録として残しておきたい。 数年前、ある高齢の紳士が自分の蔵書を町に寄附したいとおっしゃるので、 図書館職員とともに、ご自宅の書斎に伺わせていただいた。 彼は「東大卒」と耳にしていたので、それなりの蔵書の多さは予想したが、 それをはるかに超えた本の多さに驚かされた。 それも専門分野だけでなく、多種多様なジャンルを読んでいる。 本当にこんな厚い本を読んだの?と思ってページを捲ったら、 何か所も、赤鉛筆で線が引いてある部分や、走り書きのメモ、 その好奇心の広さに、ただだだ感心するしかなかった。 そんな時、ふっと面白いことに気がついた。 全体的に「歴史」を学んでいたのはわかったが、私の予想に反して、 NHKの大河ドラマで取り上げられることが多い 「戦国・幕末・維新」の歴史本は少なく、逆に、同番組では 「山河燃ゆ」以外には、ほとんどテーマとならない 「太平洋戦争」に関する本が多かった気がしたのは私の錯覚だろうか。 (「東大生」と括るのには無理があるかもしれないが・・(汗)) 新しい日本を作ろうとする当時の若者たちは、近・現代の歴史からも 眼をそらさず、ちゃんと「戦争」と向き合っていた。 「太平洋戦争」について、自分の力で調べ、自分で考察を立て、 1人ずつが、自分の意見を持っている気がしてならなかった。 彼らは「信長・秀吉・家康」なんて名前は、興味ないのかもしれない。 (三国志など、中国の歴史本はあったのに・・) 私も、もう少し「太平洋戦争」のこと、調べてみようと思う。
P.S. 映画「不毛地帯」(山崎豊子原作・山本薩夫監督)をBSで観たら、 戦後のことにも興味をもちました。(汗)
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