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しもさんの「気になる一言」
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2015年08月15日(土)
「義命の存する所」と「時運の趨く所」

戦後70年、私たちはこの日が近づくと、太平洋戦争を話題にし、
当時の悲惨な戦いを風化させないように、努力しているが、
国民が「終戦記念日」と呼ぶ8月15日は、
実は「この戦争を終わりにします」「負けました」と、
天皇が玉音放送を通じて、広く呼びかけた日に過ぎない。
本当の終戦は、9月2日。東京湾上のミズリー号で調印した日。
たぶん世界の教科書では、第二次世界大戦が終了したのは、
9月2日と書かれていると聞いたことがある。
今年は映画「日本のいちばん長い日」(原田眞人監督)によって、
戦争の終結の仕方に、スポットがあてられている。
この機会に、終戦の詔勅(詔書)を、じっくり読んでみて欲しい。
時間がなければ、私たちが映像でよく耳にする
「堪え難きを耐え、忍び難きを忍び・・」を挟む、
「時運ノ趨ク所」堪へ難キヲ堪エ忍ヒ難キヲ忍ヒ
「以テ万世ノ為ニ太平ヲ開カムト欲ス」だけでも調べて欲しい。
「義命の存する所」では分かりにくい、難解であるという
理由により「時運の趨く所」に置き換えられたことが、
本当によかったのか、私には結論が出ていない。
ただ「何が何でも終わりにしなくてはいけない」という想いと、
「こんな状態になってしまったから終わりにする」(成り行き任せ)
では、同じ負け方にも、違いがある気がしているのだが、
私の考え過ぎだろうか・・。

P.S.
私の知識では、太平洋戦争は海軍の戦争であり、
陸軍は中国・ソ連などの戦争に重きをおいていたはず。
そして「陸軍」と「海軍」の足の引っ張り合いこそが、
「終戦」を遅らせたのではないだろうか、と考えている。
(個人的な見解ですので、ご承知おき下さい。(汗))



2015年08月14日(金)
詔書の文字は「八百十五字」におさめらている。

書籍「日本のいちばん長い日(決定版)」
(半藤一利著・文春文庫刊・371頁)から。
映画を観る前に、やはり「原作」を読まなければ・・と
一気に読んだが、以前から気になっていたところで、
私の手は止まり、メモが増えていった。
昭和天皇が玉音放送で朗読する原稿と言うべきか、
「天皇の意思表示の公文書」とされる「詔書」の案作成時、
各々の立場の主張でせめぎ合うシーン、面白かった。
「戦勢日に非にして」を「戦局好転せず」に書き換えるよう訴え、
そこだけは絶対に譲らない阿南陸相の頑固さに、
ちょっと自分にも似たところを見つけ、苦笑いをした。(汗)
本来なら「義命の存する所」という文が、
難解であるという理由により「時運の趨く所」となった個所に
触れたいが、次回に持ち越すことにする。
(意味が全く違う意味になってしまったので・・)
天皇が発するそのワンフレーズの持つ意味を深く推察し、
それを、自分が指揮する「陸軍の兵士」たちが聴いたら、
どんな気持ちになるか、そんなことまで配慮した言葉の選択は、
とても興味深く、改めて「言葉の力」を再認識させられた。
しかし、申し訳ない、私が選んだのは、
「詔書の文字は、八月十五日にちなんだかのように、
八百十五字におさめらている。」という説明。(笑)
こういう発見って、やっぱりインパクトがあるんだよなぁ。
(すみません、こんな時に、不謹慎かもしれませんね)



2015年08月13日(木)
靖国神社で待ってるぞ

この時期だからこその映画シリーズ。
映画「俺は、君のためにこそ死ににいく」(新城卓監督)から。
脚本が「石原慎太郎氏」と知って、ちょっと驚いた。
「神風特攻隊」を題材に、戦争の悲惨さや司令部の愚かさ、
三度出撃して三度とも帰ってきた、田畑という男の存在など、
大ヒットの映画「永遠の0」に似かよった部分が多い気がしたのは、
私の思い過ごしだろうか。
(主題歌のタイトルもB’zの「永遠の翼」なんだよなぁ(汗))
だから、敢えてそんなシーンをはずして考えると、
特攻隊の隊長が自分の部下たちに、力強く伝える場面。
「それから・・確認しておくが、死んだら集合する場所は、
靖国神社の拝殿の門を入って、右から2本目の桜の下だ。
誰が先に行っても必ず待っていろ、靖国神社に入るのも一緒だぞ」
そして、本当に散る時も「靖国神社で待ってるぞ」と言い残して。
軍歌「同期の桜」にも「靖国神社」の言葉が使われている。
それだけ彼らにとって「靖国神社」という場所は、
大切な場所だということを知らされることになった。
そんな場所を、追悼の意味を込めて参拝して何が悪い。
石原慎太郎さんの力強い声が聞こえてきそうな作品だった。



2015年08月12日(水)
だって、ないなら自分で作ったり、考えたり、出来るやん。

書籍「火花」(又吉直樹著・文藝春秋刊・148頁)から。
熱海の夏の花火大会で始まり、熱海の冬の花火大会で終わるけど、
「タイトルは『火花』だよなぁ『花火』じゃないよなぁ」と
苦笑いしながらも、主人公と先輩芸人・神谷さんとの
「漫才師」に対する考え方がぶつかり「火花」を散らす、
それが2人の「生き方」に対するぶつかりとなって、
さらに「火花」が飛び交う、そんな意味なのかな?と解釈した。
2人の会話というよりも、先輩・神谷さんの考え方は、
随所に「なるほど・・」と感じさせてくれる視点が光っていた。
例えば、こんなシーン。
「よく中年が、俺たちの頃は、遊び道具なんてなかった、
とか言うやん。あれ聞くたびにな、俺、わくわくすんねん。
こんなん言うたら、あかんねやろうけど、ほんまに羨ましいねん。
だって、ないなら自分で作ったり、考えたり、出来るやん。
そんなん、めっちゃ楽しいやん。
作らなあかん状況が、強制的にあんねんで。」
他人が作ったルールに従いながら楽しむ遊びよりも、
何もないところから、自分でルールを作って遊ぶ方が、
よっぽど楽しい・・という発想が、私には新鮮だった。
まずは与えられた「枠」の中で、楽しむ方法を考える主人公と、
「枠」などを意識せず、楽しいことを優先して動く神谷さん。
さて、読者のあなたは、どちらだろうか?



2015年08月11日(火)
芝生広場の木陰で「ヨガ」、湧水広場で男女が「足水」

以前、私がイメージしていたことが、目の前で起こり、
へぇ〜こんなことがあるんだな、と嬉しくなったので、
手前味噌になるが、気になる一言。(笑)
1年前、柿田川公園の整備を始める頃、私なりに
東京の公園を見学に行ったり、図書館で資料を探したり、
いろいろ試した中、やはり文字にするよりも、
映画の一コマのような「こんなシーン」が観たい、と
素敵なイメージを脳にインプットすることをしてみた。
いくつも思い描いたが、そんなシーンの中に、
夏の暑い日、大きな陰を作る木の下で、若い女性たちが
楽しそうに「ヨガ」をしているシーン。
また、灼熱の暑さを感じながらも、湧水に足をつけながら、
若い男女が、二人の世界に入り会話を楽しんでいるシーン。
(富士山の雪解け水だから「足湯」でなく「足水」)
どれも、若い人たち・・というのが気になるが(汗)、
高齢者は、早朝(朝6時半)に芝生広場で「ラジオ体操」し、
幼児から子どもたちは、せせらぎで「水遊び」や、
雑木林で「昆虫採取」など、季節と世代に合わせて
こんなシーンがみたい、という私なりのイメージがある。
大人はもちろん、ハンモックで昼寝、芝生でピクニック、
木陰で静かに読書。
これが一番、難しいかもなぁ。(汗)



2015年08月10日(月)
どうして、潜水艦乗りを選んだんですか?

戦争映画の話題は、なかなかアップしにくいが、
この時期だけは「戦争」を考えるきっかけにして欲しくて、
敢えて、気になる一言を「戦争映画」から選んでみた。
映画「真夏のオリオン」(篠原哲雄監督)から。
同じ「太平洋戦争」の海軍の話なのに、
艦隊(船)、ゼロ戦(飛行機)とはまた一味違う、
潜水艦が舞台とあって、またまた違った視点で戦争を眺められた。
私が興味をもったのは、潜水艦長に若い医師が訊ねるシーン。
「どうして、潜水艦乗りを選んだんですか?」
「自由なんですよ」「自由?」
「潜水艦は、いったん海に出てしまえば、
自分の判断だけで行動ができるんです」
そうか、潜水艦の居場所が敵にわかってしまっては、
話にならないから、極力、本部とは連絡を取らないし、
そういう意味では、戦争中は上官の司令は絶対という、
軍隊ならではの縦の規律もあまり届かない世界と言えそうだ。
逆に言うと「全て自分の判断」がものをいうこととなる。
「艦長、潜航してから35時間です」という台詞は、
空気があと僅かしかありません、を意味し、
行動は自由だけれど、空気が吸えなくなる危険性もある。
戦争時の配属先って、どうやって決まるのだろうか。
もう少し、調べてみようかなぁ。



2015年08月09日(日)
コロコロ変わる空より、私は土のほうが好きだな

映画「ぶどうのなみだ」(三島有紀子監督)から。
作品中、タイトルについてこう説明している。
「葡萄の木は、冬の間は雪の下で、ひっそり眠っているんだ。
でも、春になると雪解け水をいっぱい吸い上げて、
小さな枝からひと雫、水を落とす。
その雫を『ぶどうのなみだ』って呼ぶんだ。その水を見ると、
ああ、葡萄の木が目覚めたんだって思うんだよ」。
映画の予告編でも「よろこんだ涙。すべて味わいになる。
それは、しあわせになるための、ひとしずく」。
なるほど、そういう意味なのか、とメモを眺めた。
そんな作品の中、私が選んだ一言は
「コロコロ変わる空より、私は土のほうが好きだな」。
そのあとに、こんな会話が続く。
「何億年も前は、海で生きていた生き物が、今はここに眠ってる。
土って、いろいろな生き物が、生きて、死んで、生きて、
その積み重ねなんだよ」「当たり前じゃないか」「そう、当たり前」
そして「土って、いろいろな生き物がここに眠っているんだよ」
土から栄養分を吸収して育つ「ぶどう」を始めとした植物は、
多くの生き物の歴史が土に含まれているから美味しいんだ、
そう自分なりに解釈してみたが、いかがだろうか。
食べ物、飲み物を題材にした作品は、どうしても似たような構成、
同じようなまとめ方になってしまう気がする。