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| 2015年07月02日(木) ■ |
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| 傍にいなくても、気持ちは寄り添える |
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映画「神様のカルテ2」(深川栄洋監督)から。 さすが、続編が製作されることだけあり、 ストーリーがしっかりしていて、安心して観れた。 今回は、医者とその奥さんという、3組それぞれの夫婦関係が、 とても爽やかに、私の心に残った。 たぶん作品の根底に、お互い忙しく仕事や生活に追われているが、 「傍にいなくても、気持ちは寄り添える」という考えが流れていて、 作品全体に、それを意識した、温かい夫婦愛が散りばめられていた。 特に、柄本明さんと市毛良枝さん演ずる夫婦の関係は、 ふたりにしかわからない距離感があり、程よく支えあっている。 その夫婦の歴史が支えになって、若い奥さん役の宮崎あおいさんが呟く 「一番苦しい時に限って、私がいることを忘れてしまう」という 一方通行の想いを、熟年夫婦役の市毛良枝さんが、見事に 「傍にいなくても、気持ちは寄り添えるのよ」と双方向の想いに変え、 出産間際の若夫婦に、言葉のプレゼントをしたのではないだろうか。 じっくり考えてみると、それは、多忙の医者の夫婦に限らず、 どんな職業の夫婦でも、いや、遠距離恋愛の恋人たちにも通ずる 大切なフレーズとして、輝きを増してきた気がする。 もちろん、女性側だけでなく男性側も、こんな考え方を持てたら、 より素敵な夫婦生活が送れるに違いない。 私も愛用の手帳に、メモしておこうっと。
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| 2015年07月01日(水) ■ |
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| 毎年意識して「中間点」で軌道修正 |
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7月1日は1年(12カ月)の中間点(6月30日)の翌日。 この日は私にとって、意外と大切な日となっている。 生活・行動目標をデータ化するのが大好きな私は、 正月に立てた目標が、どこまで達成できたかを知る日であり、 そのデータをもとに、残り6ヶ月の生活リズムの修正を図る、 とても楽しい作業ができる日としてワクワクしている。 この「中間点」を意識せず、年の初めに目標を立て、 年の終りにその結果をみるだけでは、なかなか満足のいく 充実した日々を過ごすことができないことを、 私は何度も何度も失敗した経験の中から、気が付いた。 それからは、毎年意識して「中間点」で軌道修正をする。 目標より足りなければ、これからの6ヶ月で頑張ればいいし、 多すぎたら、少しペースを落としてみる。 若い頃は、ここで目標の数字を修正することも必要だが、 歳を重ねてくると、いかに年の初めに立てた目標に近づけるか、 その調整作業が楽しくなっている。 今年(前期)は、読書が多くて、映画鑑賞は少ない。 講演会は予定どおりで、コンサートが少なく、美術館は多い。 万歩計は、今までで最高の数字を示している。 私の目指すところは、バランスのいい生活。 学生でいえば、2学期制の通信簿って感じかな
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| 2015年06月30日(火) ■ |
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| 恐怖とは、心が生む異常な状態だ |
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映画「アフター・アース」(M・ナイト・シャマラン監督)から。 「ウィル・スミス親子が共演のSFサバイバルサスペンス」 そんな情報に、期待し過ぎたのか、やや消化不良であった。 そんな中、特筆するとすれば「恐怖」に関する定義だろうか。 多くの人間にとって「恐怖」を感じた瞬間、どうなるか。 それは物語前半に、こう説明するシーンがある。 「多くは体が固まる。存在しない答えを脳が出すからだ。 脳が『ヤバい』と判断する」と。 さらに、物語が進み、父親が息子に伝えるシーン。 「恐怖は、現実には存在しない。 恐怖が存在するのは、未来を考える心の中だけだ。 恐怖は、想像の産物だ。 想像が恐怖を感じさせるだけで、何も起きないかもしれない。 恐怖とは、心が生む異常な状態だ。 誤解するな『危険』は、現実に存在する。だが、恐怖は自分次第だ」 この「恐怖」を消すことができれば、敵から存在感をなくし、 攻撃されずにすむ、それが唯一の倒せる手段、という設定は、 SFの世界でなくても、この私たちが生きている世界でも、 通用することではなかったのか、と再認識した。 原案を考えたウィル・スミスは、これを伝えたかったんだなぁ。
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| 2015年06月29日(月) ■ |
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| 一皿ずつ、口を漱ぎたくなる料理でした |
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昨日「RESTAURANT Bio-s」(レストラン・ビオス)を話題にしたら、 さっそく「一言で言うと、どんな料理でした?」というメールが届いた。 美食家でもない私が、料理の味を表現するのは難しく、 直感的に思い浮かんだのは「一皿ずつ、口を漱ぎたくなる料理でした」。 そしたら「え〜、あんまり美味しくなかったのですか?」との返信。(汗) あっ、そうか、ちゃんと説明しないとそう勘違いされちゃうよなぁ・・と、 自分のボキャブラリー(語彙)の少なさが、情けなくなった。 実は、料理に合わせた飲み物も含め、一皿ずつが、とても新鮮な味がして、 このまま、一つ前に口に含んだ料理の味を、次の料理へ繋げたくなかった、 だから「一皿ずつ、口を漱(すす)ぎたくなる料理でした」という、 言葉足らずの表現になってしまった。 チェイサー(和らぎ水)を、こんなに頻繁に飲んだ料理は初めてかも・・。 自分の前に運ばれてから、目で楽しみ、匂いで楽しみ、口に含むまでに、 どんな味だろう・・と想像力を膨らませ、イメージどおりだと嬉しく、 予想外の味だと驚く瞬間を楽しんだ、というのが今回の私の感想である。 (ほとんど私の想像を超えて「美味し〜い」しか浮かばなかったが・・) しかし、食後にコース全体を振り返ると「『夏至』って感じがした」。 梅雨の合間の快晴の中、いつもの見慣れた富士山とは違う山形と、 目の前の畑から摘んだばかりの季節感たっぷりの食材、 そして、数匹の山羊を眺めながらの長閑な食事タイムは、まさしく このレストランののコンセプトである「見る・味る・観る」、 「里山の豊かな景色を見る。生まれたての野菜やその土地の食材を味る。 人や会話が生み出すドラマを観る」に相応しい空間だった。 美味しいものを「美味しい」以外に表現できるようにしなくちゃなぁ。
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| 2015年06月28日(日) ■ |
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| 今だけの季節、今だけの時間をじっくり味わう |
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1ヶ月ほど遅れてしまったが、今年の結婚記念の宴は、富士宮市の 「RESTAURANT Bio-s」(レストラン・ビオス)に決めていた。 数年前、オーナーの「松木一浩さん」の講演を聴き、 彼の生き方に魅力を感じていたので、いつかは、 活動の原点であるレストランへ、家族を連れて訪れてみたい、 その想いがやっと実現した、というところだろうか。 レストランのコンセプト「見る・味る・観る」を楽しみ、 「大地からのたくさんの贈り物を届けたい・・」という レストラン側の熱い想いを、受け手の私たちがしっかりと受け取り、 「今だけの季節、今だけの時間をじっくり味わう」ことが、 作る側と食べる側双方の、大切なコミュニケーションとなっている。 彼らは自分たちが提供する料理に誇りを感じながらも、謙虚に、 運ばれてくる食材を丁寧に説明してくれ、私たちはそれを味わった。 料理の味わい方は、当然、舌(味覚)だけではない。 視覚・聴覚・嗅覚・触覚も加えた、人間の五感で感じることが、 料理を楽しむコツ・・と、何かの本で読んだが、まさしく ここの料理は、五感で味わうことが出来るよ、とお薦めしたい。 そして、さらに美味しくいただく最後の隠し味は、 サービスをしてくれた、松木さんを始めスタッフさんとの会話や テーブルを囲む家族の何気ない笑顔なんだろうな、きっと。 「訪れるたびに違う表情に出会えるレストラン」 今度は、どんな季節、どんな時間を味わってみようかな。
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| 2015年06月27日(土) ■ |
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| あれから1000日も経ったのか・・ |
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久しぶりに、私の呟きである。 この「気になる一言」は「WEB日記・エンピツ」で書きはじめ、 すでに15年を超えて、私のライフスタイルの基礎となっている。 さらに読者からの要望に応えて「メルマガ」という形で配信を始めたのが 5000日前の「2001年11月06日」。 それから毎日コツコツと、メルマガの配信を続け、今日5000号を迎えた。 1日1話だから、毎日1号しか増えないけれど、逆に考えれば、 確実に、毎日1号増えるから、楽しいとも言える。(笑) こうして、5000号を迎えることが出来たのも、何度も書いているが、 読者あってのことと、あらためて、感謝したい。 今では、これまた「Facebook」の友達からのリクエストで、 同文をコピペしているので、メルマガで読んでくれている人は数少ないが、 それでも140人ほどの方が「読者登録」を残し、私の拙い日記を、 毎日、読んでくれている。(はず) 「メルマガ」というツールは、1世代前の情報発信ツールと感じていたし、 4000号達成(2012年09月30日(日))の時に「メルマガ」というシステムが 残っていれば・・を前提に「5,000号は「2015年6月27日」(予定)」と、 書いている自分がいた。 だから、あえて「あれから1000日も経ったのか・・」を残そうと思う。 以前の私なら「5000号」をケジメにして、メルマガ停止をするところだが、 今の私は、まぁ、のんびり続けてみようかな、という感覚である。 メルマガ読者の皆さん、もうしばらく、おつきあいのほどを・・。
http://www.enpitu.ne.jp/usr4/bin/day?id=40832&pg=20120930
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| 2015年06月26日(金) ■ |
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| 才能は一つあれば十分だ |
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映画「タイピスト!」(レジス・ロワンサル監督)から。 故郷の田舎町を飛び出した主人公、ローズは、 お店で販売していたタイプライターを、指1本で打ち、 驚くような速さで打つことが、特技だった。 その才能を見つけさらに磨きをかけたのが、 「ローズは、臆病な小娘。誰かが手をかければ、 才能が開花する」と言い切った、保険会社の若社長だった。 「私は無能だし・・」と尻込みする彼女に対して、 「タイプの才能がある。才能は一つあれば十分だ」と励ます。 その一言は、私の心に強く残った。 他人よりも少し知ってるくらいの中途半端な知識や、 少し上手くらいの才能がいくつもあるより、 これならだれにも負けない、というものが1つある方が、 魅力的だ・・と言いたげなフレーズだったから。 もちろん、世の中には皆が羨む飛び抜けた才能を、 いくつも持っている人もいるが、よく考えてみれば、 それさえも、初めは何か一つの才能が開花して、 それに呼応するように、どんどん他の才能が増えていった、 そう考える方が妥当だろう。 私たち小市民にとっては、まずは「一つの才能」を、 根気よく見つけることだな、きっと。
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