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しもさんの「気になる一言」
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2015年06月04日(木)
おかげさまで「57歳」になりました

誕生日の今朝、起きて一番最初に「母」に発した言葉である。
「おかげさまで『57歳』になりました」
自分でも、なぜか不思議な感覚に包まれた朝を迎えた。
昨年までは周りから「誕生日おめでとう」と言われてから、
「ありがとう」とお礼の言葉を返すパターンであったが、
今回は、自分から「母」に対して「おかげさまで・・」の
フレーズが口から出たので、正直、驚いた。(汗)
悟ったわけではないが、誕生日は「祝ってもらう日」ではなく、
周りの人に「感謝する日」だと実感したシーンとも言える。
今の自分があるのは、家族をはじめ知人・友人がいたから、と、
心から思えたからこそ、このフレーズにつながったのだと思う。
小さい頃から、私と一緒の時を過ごしてきた人から、
最近、SNSなどのネットで知り合った人まで、
朝から今まで多くの方から「お祝いメッセージ」をいただいたが、
今日の気分では、自分から、みなさんに対して、
感謝のメッセージを発することが、誕生日の過ごし方だな、
そんなことを感じた57回目の誕生日であった。
どうしてそんな気分になったのかは、自分でもわからない。
ただ「皆さんと知り合ったおかげで、今の私がある」という
感覚だけは、明日からも大切に持ち続けたいと思う。
そんなわけで改めて、お祝いメールをいただいた方にも。
メールではなく、直接、声を掛けてくれたて方にも、
「おかげさまで『57歳』になりました」を伝えたい。



2015年06月03日(水)
「恩」は施したら忘れるもの

公私ともにお世話になっている方の母親が他界したとの報を受け、
予定していた「市民公開講座」をキャンセルして、お通夜に参列した。
菩提寺の住職(お上人)は、戒名に「恩」という文字を入れたので、
たぶん、故人はこんな女性でした・・と思い出しながら、
今晩は「恩」についての話を・・・と口を開いた。
細かい内容について、ここで「説法」みたいに説明するつもりはないが、
「恩」というものは、施すものであり、恩に報いてもらいたいとか
恩を感じて何かを期待するものではないだろうし、誰に対しても、
慈悲の心を施していくことの大切さを気付かせていただいた気がする。
「親切にしてあげたのに、助けてあげたのに・・」と考えるのは
相田みつをさんの名言(我が家では「日めくりカレンダー」)
「あんなにしてやったのに 『のに』がつくとぐちがでる。」と同様、
恩着せがましい部分がまとわりつく感じがしていたし、
「恩」に対して、何かを求めている感じがするから、
「恩」を与えた側の心構えとしては、ちょっと違う気がしていた。
そんな私の違和感を払拭するように、お上人は、呟くように
「『恩』は施したら忘れるもの」と、諭してくれた。
誰かに親切にしたことも、社会に対してボランティア活動したことも、
高齢者に席を譲ることも、落とし物を届けたことも、すべてその場で忘れる。
「与えた側・受けた側」などという上下関係を持たないためにも、
施す側が、その行為すらまったく忘れる。
それこそが「『恩』は施したら忘れるもの」の意味だと理解した。
今晩は「経済」ではなく「仏教」や「哲学」を学んだと思いたい。
まさしく「我以外皆我師」だなぁ。



2015年06月02日(火)
犬のフン持ってけ!

久しぶりに静岡市へ出張だったため、寄り道をした。(汗)
「川瀬巴水展 生誕130年〜郷愁の日本風景〜」(駿府博物館)
静岡駅南口から静岡新聞社本社まで、どれくらい歩いただろうか。
駅近くにあった都市公園をつっきり、高校を横目に、テクテクと・・。
道すがら「歩行」「自転車」と書かれた歩道と、
一方通行の自動車道の間に設置されている花壇に目がいった。
たぶん、地域の人たちが管理している花壇だろうと想像がついたが、
そこに書かれていた注意看板に驚き、思わずメモをした。
白地の板に黒と赤の文字で「犬のフン持ってけ!」
よほど怒っていることが、このフレーズだけでもわかった。
その横には「静岡市動物指導センター」の設置した看板もある。
「ふんの放置は禁止です!!」
「ふんを持ち帰ることは、最低限のマナーです」
「ふんは必ず持ち帰ってください。
自宅の前や裏に毎日ふんが放置されていたら、あなたはどう思いますか?」
「マナーは守りましょう。犬や猫のフンで迷惑しています」
何種類かの注意看板のメッセージが、とても優しく感じられた。
こんなことを書かれても、ペットの散歩をする人たちは、
何も感じずに、ふんを放置したまま、歩き続けるのだろうか。
そんなルールやマナーも守れない心を待ったご主人に、
飼われているペットたちがかわいそうだな、と悲しくなった。
初めて歩いた歩道であったが、あまりにこの看板が多くて目立ち、
心が痛くなったので、帰りは別の道を選択して駅に向かった。
「道徳」が子どもたちの教科になる時代だけど、
まずは手本を示す「大人たちの道徳」をなんとかしなくちゃな。



2015年06月01日(月)
夢を諦めるのって、こんなに難しいの?

映画「ばしゃ馬さんとビッグマウス」(吉田恵輔監督)から。
学生時代の夢を追い続けるのが悪いわけではない。
けれど、現実と向き合い、諦めた人は数多いはず。
だから、コンクールに応募して落選し続けても書き続け、
「ばしゃ馬」と言われながらも脚本家を目指している、
主人公、馬淵みち代さん(34歳)がなぜか眩しかった。
彼女が、元彼に泣きながら訴える台詞が気になった。
「抱いちゃった夢って、どうやって終わりにしていいのか、
わかんないんだもの・・(涙)」
さらにこう言う。「夢をさ、叶えるのってすごい難しいのは、
最初から判ってたけどさ、夢を諦めるのってこんなに難しいの?」
「でも、まだ諦められないから、頑張るの・・」と続く台詞は、
言葉では「夢はきっと叶う」と言いながら、意外と簡単に
夢を諦めてしまった私たちの心に響いた。
頭では「叶わない夢はあきらめた方がいい」と判っていても、
「やっぱり、諦められない」という彼女の生き方に、
ちょっぴり羨ましくもあり、応援したくなった。
どんな生き方が正しいなんて、誰にもわからない。
自分が納得するまで、追い続けるのもいいんじゃないかな。



2015年05月31日(日)
大切な人と、この映画を観てください

6月6日公開の映画「あなたをずっとあいしてる」の完成披露試写会へ、
東京都新橋「スペースFC汐留」へ足を運んだ。
内容は、来週公開されてから、ゆっくりと「気になる一言」として
取り上げたい、と思っている。
今回は、映画鑑賞後、舞台に上がった、原作・脚本の宮西達也さん、
主人公・トロンの母セラの声を演じた、渡辺満里奈さん、
そして総監督のアニメーター・野中和実さんのコメントの中から。
もちろん選んだのは、渡辺満里奈さんの最後のメッセージ。
(宮西先輩、ごめんなさい、また外してしまいました。(笑))
3人の楽しいトークの後、試写会に参加していた子どもたちによる
「恐竜鳴き声コンテスト」を終え、和やかになった雰囲気で、
最後に皆さんに一言、とマイクを渡された満里奈さんは
「大切な人と、この映画を観てください」で挨拶を締めくくった。
それはまさしく、この物語のテーマの一つである(と思われる)
「本当に大切なものはなにか?」を、あなたの大切な人と感じて欲しい、
そんなメッセージであると受け取った。
そして鑑賞後、自分たちにとって「本当に大切なものは?」を、
ゆっくり話す機会にしてください、ってことなんだろうな、きっと。



2015年05月30日(土)
今の自分に必要かどうかかな

読まなくなった本は「Book Off」にもっていくか、
古紙回収・廃品回収の時に、纏めて捨てる。
他の人からみれば、何をそんなに迷っているの?と
思うようなことなのだが、本好きの私にとって悩みの種。
どれも愛着があり、なかなか手放したくないのが現実で、
部屋の中は、読み終えた本が溢れて、置き場所に困るけど、
それでも、なかなか踏ん切りがつかない。
おかげで、狭い部屋がよけいに狭く感じる。
そんな時、私より本好きで、なおかつ大切に扱っている女性が、
本を買い取ってもらうと言うので、その心境を訊いた。
「どういう判断基準で、手放す本を選んでいるの?」と。
その答えが「今の自分に必要かどうかかな」。
思わず、目から鱗からのアドバイスであった。
片づけ指南書「人生がときめく片づけの魔法」(近藤麻理恵著)
読んだ時、自分がワクワクするものだけを残す、そんな発想に頷き、
洋服や小物類は、だいぶ「断捨離」「整理整頓」ができたのだが、
本や写真だけは、懐かしい思い出が邪魔をしてか、
なかなか思うように進まなかった、と。自分に言い訳をした。
しかし、今回の何気ないアドバイスで、
自分なりの「手放す判断基準」がなかったからだと気付いた。
今度の週末、今の自分に必要かどうか、考えてみようっと。
そして、自分の「手放す判断基準」を見つけたいな。



2015年05月29日(金)
ライフスタイルが変わる予感「Apple Watch」

57歳の誕生日を間近に控え、自分への褒美として何が欲しいか、と
考えたとき、頭に浮かんだのが「Apple Watch」だった。
55歳の1年を人生のピークに・・と考え生きてきた私にとって、
56歳からの人生は「下山を楽しむ」ライフスタイルに変わってきた。
実際に、55歳が本当に人生のピークだったか?と自問自答すれば、
悔いが残ることも多少あるが、それでも精一杯生きてきた自負はある。
だからこそ、生き方のギアチェンジをして「スローライフ」を選択した。
以前にも書いたが「スローライフ」とは「ゆっくり生きること」ではなく、
「丁寧に生きること」と定義し、あまり多くを望まず、
「平成」というこの時代に、この年齢で生きているということを意識し、
「楽しめるライフスタイル」を模索した1年だった。
「今の携帯電話が壊れたら、もう新しいものは持たない」とばかり、
頑なに拒み続けた「スマホ」を、あっさり受け入れたことで、
私のライフスタイルは大きく変わった、と言ってもよい。
「必要性」「費用対経費」など、そんな大上段に構えることではなく、
長い人類の歴史の中で進化し、改良を続けてきた「道具」を使ってみる、
それは、まさしく「楽しい人生を過ごすコツ」だと実感した。
その後「蒲団からベッドへ」「普通のカメラから防水カメラへ」
「ウォーキングからランニングへ」と、私のライフスタイルは、
この1年で、驚くほど変わった。(変えた)
そして、今年選んだのが「Apple Watch」である。
まだまだ充分に使いこなせていないのは事実であるが、
これまた「私流」で、自分の生活を「丁寧に生きる」道具として、
この最新機器を楽しんで使いたい、と思う。
「ライフスタイルが変わる予感『Apple Watch』」だな。

P.S.
57歳のおじさんは「Apple Watch」をこう使っている、というレポート、
これから増えるかもしれません、お楽しみに。(笑)