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| 2015年05月07日(木) ■ |
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| とわに 濁らぬ 真清水の・・ |
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通勤途中、母校の小学校の前を通ったら、 開けっぴろげの窓から、どこか懐かしい歌が聴こえてきた。 たぶん、小学校一年生が、意味もわからず、ただ音として これから「6年間」口にすることになる「校歌」を覚えている、 そんな気がして、しばらくその場に立ち止り、聴きいっていた。 不思議なことに、卒業して45年くらい経っても、 小学校の校歌を覚えているのは、こうして何度も何度も歌い、 意識せず、歌詞とメロディが出てくるほど、口にしたからに違いない。 しかし、面白いことに、歳を重ねた今頃になって、 校歌の歌詞をじっくり噛みしめると、その奥深さがわかってくる。 小学校時代には「音」と「ひらがな」で覚えただけの人も多いはず、 是非、機会を見つけ、自分が卒業した「小学校校歌」を眺めて欲しい。 きっと、あの「音」は、こんな「文字」を書くのか、 そして、こんな「想い」が込められた歌だったのか、と 胸が熱くなるのを感じるはずだ。 私の場合、原風景は「教材園から眺める柿田川」だけど、 音と言えば「朝日に匂う 富士の嶺の・・」で始まる校歌である。 記録として「とわに 濁らぬ 真清水の・・」残しておこうっと。
(1) 朝日に匂う 富士の嶺の 清き姿を うつしつつ とわに 濁らぬ 真清水の その名を 負える 学舎に (2) 学びの道に いそしみて 強く正しく 清らなる 心一つに はげみなば 富士の高きも きわむべし (3) 底いも知らぬ 泉井の ふちにひさめる 白玉も やがてさぐりて 世の人の 鑑と世々に 仰がれん
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| 2015年05月06日(水) ■ |
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| 人間の性癖や欲望に不純も純粋もない |
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書籍「ただ遊べ 帰らぬ道は誰も同じ。(団鬼六語録)」 (団鬼六著・祥伝社新書刊・281頁)から。 私は「○○語録」というフレーズに弱く、つい手にしてしまう。 今回も、違う本を借りに図書館に足を運んだのに、目についた 「団鬼六語録」をパラパラと頁をめくり、借りてしまった。 内容は、けっこう際どい表現もあり、なかなか紹介しにくいが、 人間の性欲、性癖を知り尽くした彼らしいフレーズが溢れていた。 特に、波瀾万丈の人生から掴んだ言葉は、なぜかグッときた。 「人間は不本意に生き、不本意に死んでいくものだ。 だからせめて快楽くらい求めてもいいと思っている」 「勝ち目がなくても逆転があると思うのが人生です」 「絶対勝つと思っても、負けるのが人生です」 これは、彼がSM作家と知らない人が耳にすれば、 とても含蓄のあるフレーズとして、捉えているかもしれない。 読者にお許しを願って、彼らしい台詞を取り上げるとすれば、 「女のSMは後天的なものだから、男のリードによって、 どちらにもなれる」から始まり、 「性欲が人間の本能であるなら、性癖は人間の宿命のように思われる」 「人間の性癖や欲望に不純も純粋もない」 「教師がSM小説を書くという事にうしろめたさを感じるのではなく、 SM小説を書く人間が教師をやるという事にうしろめたさを 感じなければならないわけだ」まで、実は頷くことは多かった。 たまには、こうした破天荒な生き方をした人の語録も読んでみるといい。 「はっ」と気付かされることが多いのも事実だから。(笑)
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| 2015年05月05日(火) ■ |
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| 高齢者に元気をもらった「こどもの日」 |
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GWの私の日記になってしまうが、ご勘弁願いたい。(汗) 朝起きたら、心配された雨も降っていなく、曇空。 それでは・・と、GWに覚えたばかりであるが、ランニングをしながら ちょっと遠回りをして、柿田川公園で養生中の芝を確かめたあと、 「土日祝」しか参加出来ない「三嶋大社のラジオ体操」に足を運んだ。 朝早く、三島市内の各所から集ってくる高齢者たちに驚きながら、 「みんなの体操、ラジオ体操第一・ラジオ体操第二」を楽しんだ。 雨後のタケノコのように、四方八方から三島市民が集まり、 元気に挨拶を交わしたり、時には全員で号令をかけて、汗を流す姿は、 さすが、健康をテーマにまちづくりをしている三島市だな、と感心した。 その後、ジョギングで帰宅後、シャワーを浴びて、 今度は妻と「沼津市」の狩野川河川敷で開催されていた 「沼津歌声の会」主催の「狩野川リバーサイドコンサートin沼津」へ。 こちらも、前斉藤市長夫妻をはじめ、多くの高齢者が、 47曲掲載の歌集を手に、大声を上げながら、ニコニコしている。 本格的な合唱ではないのだから、音が外れたりリズムが狂ったり、 時には、どの歌を歌っているのかわからなかったり・・ そんなことも含めて、ご愛嬌・・で片付けてしまう大らかさがあった。 「こどもの日」なのに、両市の高齢者から元気のお裾分けをいただき、 楽しい1日を過ごすことができた。 参加者からしてみれば、私なんて「こども」だから、いいのかもな。 「元気な高齢者」って、見ていて楽しくなるんだよ、不思議と。(笑)
P.S. どちらも「企画も運営も全て高齢者」ってところが素敵だね。
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| 2015年05月04日(月) ■ |
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| 完璧主義から脱出して最善主義になることです |
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書籍「新しい自分に生まれ変わる『やめる』習慣」 (古川武士著・日本実業出版社刊・227頁)から。 「『続ける』習慣」に引き続き読んでみたが、 私が望む内容でなかったためか、ピンとこなかった。 本の帯には「先延ばし、ネット・スマホ、食べ過ぎ、飲み過ぎ、 ムダ遣い、夜更かし、ダラダラ生活、イライラ、クヨクヨ、 完璧主義・・今度こそ、確実にやめられる!」。 私が望んだのは「続いてしまっている『良い習慣』を、 どうしたら、やめられるのか?」というアドバイスが欲しかった。 人間一人がやれることには、限度があるが、 続けたいと思うことは溢れていて、どれかをやめないと、 新しい「良い習慣」が始められない、そんな悩みである。 目的が違うとわかっていても、何かヒントを掴みたいと思い、 読み続けたところ、やっと見つけたフレーズは、 「完璧主義から脱出して最善主義になることです」 続ける習慣が身についているから、少しくらい途切れても、 すぐまた、もとの「良い習慣」に復帰できると信じて、 新しいことにチャレンジしてみることにした。 それは、私にとって「完璧」から「最善」にすることだが、 なんとなく「良い習慣」の入り込める余地を見つけた気がする。 でもなぁ・・何年、何十年と続けてきたことを中断する勇気、 私にはまだ、なかなか決心がつかない。(汗)
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| 2015年05月03日(日) ■ |
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| 面白かったなぁ、大人の運動会 |
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不思議なことに、数年おきに誰かが私のところにやってきて、 「そろそろ中学校の同窓会、やってよ」と言う。 えっ、幹事の大変さも知らないで・・・と思いながらも、 まぁ、地元の役場に就職した私の役目かな、と思い直し、 今までに何度となく、万年幹事をしてきたが、もう限界。(汗) 40歳のとき、前日の成人式会場を貸していただき、 「2回目の成人式」を開催したりしたこともあったし、 北海道大学の教授になっている、当時の生徒会長を呼び寄せ、 専門分野の講義をしてもらったあとに、同窓会を開いた。 ただ、300人以上に往復はがきを送り、半数以上戻ってくる現状と、 会場・予算決めから、当日のドタキャン対応や写真撮影まで、 楽しかったぁ・・という想い出は、数少ない。 そんな幹事の私が企画した、今日の同窓会は、健康志向に目を向けて、 昼間は、玉入れ・輪投げなどの軽スポーツから「体力測定」まで、 自分の体力に合わせて、のんびり体育館でおしゃべりを楽しみ、 夜は、気のおけない仲間たちと、自由に懇親会へ繰り出す。 言わば「万年幹事が提案する、新しい『同窓会』の形」。 連絡方法も、メールやSNSで連絡がつく人に限れば、 幹事の仕事は、会場となる「体育館の手配」だけだし、 会場費を、参加人数でワリカンすればいいのだから、 当日、何人参加するかなども気にならにない。 1年に一度、自分の「体力測定」をすると思えばいいし、 この形なら、毎年だって開催できる気がする。(笑) 嬉しかったのは、参加した人たちの「楽しかったね」と一言。 こんな仕事を「同窓会代行業」に委託するなんて、もったいない。 第1回目の今日、いろいろ気付いた点も多かったけど、 やっばり「面白かったなぁ、大人の運動会」。
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| 2015年05月02日(土) ■ |
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| 16歳の少年の週末が、たった2行だ |
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映画「危険なプロット」(フランソワ・オゾン監督)から。 主人公は、文才溢れる少年と国語教師なのだが、 私は、他の子どもたちの「文章能力」が気になった。 冒頭で、子どもたちに求めた「週末を出来事」を書かせる宿題、 嘆いていたのは、その内容だった。 「土曜、ピザを食べテレビを見た。日曜、疲れて何もしなかった」 この内容に、教師が溜息をつきながら、 「16歳の少年の週末が、たった2行だ」と吐き捨てるように言う。 「土曜、テレビ・ピザ。日曜、何も。詩を書けとは言ってない。 週末の出来事だ。それなのに、2行以上の文章を書けない。 彼らの無知より、将来が心配だよ。子供は『未来』だ。」 メール全盛の現代、単語はなるべく少なく、文も短い。 形容詞と呼ばれる表現は、ほとんど皆無。 皆が時間に追われ、用件のみを伝えることが是とされる昨今、 これが普通なのかもしれないが、なんだか味気ない。 少なくとも「嬉しい」とか「楽しい」、「悲しい」といった 感情表現が無くなってきたことが、心配である。 ストーリーとは全く違った部分に反応してしまったが、 これもまた、この作品を通して感じたことだから、 「16歳の少年の週末が、たった2行だ」を残しておきたい。
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| 2015年05月01日(金) ■ |
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| 塩むすびの差し入れ |
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発想が貧困で申し訳ないけれど、 「塩むすび」で思い出すのは、旅館宿泊の宴会後、 各部屋に届けられる、あのなんとも言えない美味しさ。 私の場合、宴会では大騒ぎをしてあまり食べないからか、 部屋戻ってしばらくして「小腹がすいたなぁ」と感じるが、 そんな時、口が欲しがっているのは、 ラーメンでもスナック菓子でもなく「塩むすび」。 不思議なことに「海苔」なんてついてなくてもいい。 (昨晩は、海苔が巻いてあったけど・・(笑)) 本当は「塩」だけでむすんだものが最高。 どうしてだろう?と考えてみたが、やはり「シンプル」。 お米は、食べ物の中で一番「アレルギー」になる人が少ない、 そんな話を聞いたことがあるが、頷ける気がした。 ご飯さえあれば、手っ取り早く出来るし、 小さい子から高齢者まで、誰でも作れる食べ物として、 私は、これからの日本の「食育」に欠かせないアイテムだと 確信している1人である。 そのためには、もっと「塩むすび」を食べる機会を増やす。 年に2度の防災訓練、炊き出し訓練だけでなく、 あらゆる機会を使って「塩むすびの差し入れ」をする。 それが、美味しいお米を知るきっかけとなるに違いない。
P.S. 最近、他人が作った「おむすび」は食べられない人が多いらしい。 吉田松陰の松下村塾は、妹の文が作った「おむすび」が 最高の御馳走なんだけど・・。時代かなぁ、やっぱり。(汗)
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