初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2015年04月18日(土)
想いは、必ず手から伝わる。

映画「プラチナデータ」(大友啓史監督)から。
「東野圭吾」さんの小説は、映画化しやすいのだろうな、
今までに数多くの作品を本で読み、映画で観てきた気がする。
この作品は究極のデジタルとも言える「DNA」がテーマなので、
メモした単語も「DNAプロファイル」や「DNAモンタージュ」、
さらには「DNA捜査」「DNA法案」まで登場し、
「DNAで全てが決まるわけじゃない」と主張する側と、
「DNAはその人間の全てだ」と主張する側の攻防は面白い。
さらにタイトルになっている「プラチナデータ」の意味さえも、
人、立場によって違い、私たちを楽しませてくれる。
とはいえ、後になって思い出せるインパクトのある台詞を残したいと、
多くのメモを整理したら、DNAに関連しない台詞が浮かび上がった。
それが「想いは、必ず手から伝わる」というフレーズ。
描いていた絵が「手」をモチーフにしていたり、
お父さんが陶芸作家だったことも含めて、なせが「手」に拘っている。
「想いは、必ず手から伝わる」と言った後、
「その手から、土は形作られる」と続くフレーズが引っかかった。
言葉だけの「愛している」より、黙って「手を繋ぐ」ことの方が、
好きだという気持ち、大切にしたいという想いが伝わる気がしている。
「手は、苦労すれば苦労したなりの手」「楽しければ楽しそうな手」など
「その人の全てが手に表れる」という話も耳にしたことがあるが、
「DNAはその人間の全て」と似た表現になっていて興味深い。
言葉で多くの人の前で演説するよりも、一人ひとりと握手するのは、
「想いは、必ず手から伝わる」からなんだろうな。



2015年04月17日(金)
熱のA型、下痢のB型

このフレーズでピンと来た人は、医療関係者?(笑)
毎年、インフルエンザが流行る時期に、
「今年は、ホンコン何型?」なんてフレーズを、
知ったかぶって話すけれど、実は、何も理解していない。
さて、今朝の朝刊を広げたら「インフルエンザで学級閉鎖」
という記事を見つけて、ちょっと驚いた。
えっ、この時期にまだ「インフルエンザ」になるの?、
空気が乾燥する季節だけじゃないの?と疑問は溢れて、
やっぱり「それって、ホンコン何型?」という会話になった。
それなのに、誰もわからない。
ところが、先日ネットの仲間とチャットをしていたら、
サラッとした会話に、そのヒントがあったのを思い出した。
たしか、家族全員でインフルエンザを罹ったなんて、
話題とともに、どんな症状?なんて話になった時だったと思う。
そして「高熱が出て」と書きこんだ人には「じゃあA型だね」、
「下痢がひどくて」と書きこんだ人には「それはたぶんB型」、
「香港A型は風邪症状や関節痛があり、
B型は消化器症状があるのが特徴のようです」
えっ、病院に行って調べなければ判らないんじゃないの?と、
内心思ったが、どうやら「インフルエンザの型」は、
症状によって、パターンがあるようだ。
そんなことを知っていたから罹らないというわけではないが、
「熱のA型、下痢のB型」というフレーズを覚えているだけで、
なんとなく安心できるのは私だけだろうか。(汗)
これからの季節、花粉症にも「何型」という分類はあるのかな。
人によって症状が違うのだから・・



2015年04月16日(木)
おすすめというか、感想聞きたい本があります!

最近、届いたメッセージ・メールである。
「しもさんにおすすめというか、感想聞きたい本があります!」
実は、どちらも私にとっては、嬉しい表現である。
「しもさんにおすすめ」と言えば、
私の最近の関心事を少しでも知っているということだし、
「感想を聞きたい」と言えば、
私が本好きで、その中から「気になる一言」を書いている、
そんな状況を知っていることになるから・・。
「映画、講演会、美術館の企画展」なども同じであるが、
逆に「テレビドラマ」の感想を訊かれたら、返事もしない。(笑)
(NHK「大河ドラマ」だけは別だけど・・)
そんなわけで、さっそく書店で本を購入し、読み始めた。
但し、私の感想は、ちょっと辛口になりやすい。(汗)
「よかったよ」とか「感激した」というのは簡単だけど、
率直な感想を述べないと、意味がないと思っているので。
それでもよければ、こんなリクエストはいつでも大歓迎。
美味しいお酒とか料理のおすすめとか、感想でも対応するつもり。
お金も払って・・と言われたら困るけれど・・(汗)



2015年04月15日(水)
ブレーキが解除されたようだ

書籍「痛くならない、速く走れる、ランニング3軸理論」
(鈴木清和著・池田書店刊・191頁)から。
この本を読み、さらに実践してみて感じたことは、
こんな感覚になる、と説明していた内容にピッタリだった。
それが「ブレーキが解除されたようだ」
「ブレーキをかけながら、ペダルを回している自転車のような
ランニングをしていたのです。そんな走りから、
ブレーキレバーをパッと放したことを想像してみてください。
自分に合ったランニング技術を身につけることで得られるのは、
そんなランニングです」と書かれていたが、読書した当時、
実は、半信半疑だったことも事実。
しかし、せっかく学んだことだから・・と続けることにより、
得られた感覚は、まさに説明どおりだった。
1㎞何分・・という数字で示す記録ではなく、自分の感覚として
「ブレーキをかけていて、ブレーキレバーをパッと放した」という
表現が相応しいと胸を張って言える。
「過負荷の法則とは、今の自分の限界よりも、
少しだけ高い負荷をかけることで、体がその高い負荷をかけることで、
体がその高い負荷に耐えられるように成長していくこと」
その説明がやっと理解できた瞬間がやってきた。心から嬉しい。



2015年04月14日(火)
だが、やがて時はめぐり、もう無視したくなかった。

映画「42 世界を変えた男」(ブライアン・ヘルゲランド監督)から。
まだ、黒人の人種差別が堂々とまかり通っていた時代、
差別反対に対する動きは、リンカーンだけでなく、
いろいろな分野で起こっていたことに、再確認した。
この物語の主人公は、メジャーリーグ最初の黒人選手、
背番号42・ジャッキー・ロビンソンであることは間違いないが、
私は、ハリソン・フォードが演じた「ブランチ・リッキー」こそ、
真の主人公ではないか、とメモを整理した。
ブルックリン・ドジャース(現ロサンゼルス・ドジャース)の
ジェネラル・マネージャーであった彼が、野球界を変えたも言える。
当時の慣習だった「人種差別」に背き、なぜ黒人にチャンスを与えのか、
その理由を、淡々と語るシーンが、私のお気に入りとなった。
野球を愛していた彼の学生時代の野球界を振り返り、こう呟く。
「愛する野球界の内側は、不公平で腐っていたが、私は無視した。
だが、やがて時はめぐり、もう無視したくなかった。
君が・・また、野球を愛させてくれた、ありがとう。」
学生時代は、自分のことしか考えられず、差別を受け入れるしかなかったが、
今、GMという立場になってみて、やはり当時の「人種差別」に後悔が残る。
それが「無視したくなかった」という台詞に置き換わったのだろう。
自分の生き様として、どうしても貫きたかったことを行動に移した。
そして、その期待に応え、結果を残した背番号「42」。
「毎年、4月15日、メジャーリーグでは、ロビンソンの偉業を称え、
多くの選手が『背番号42』をつける。」という。
彼がメジャーデビューした日に、彼の勇気と誇りを忘れないために。
「背番号42は、唯一全球団の永久欠番である」という事実は、
アメリカらしい素敵なルールだな、と関心した。
果たして、日本野球界に出来るだろうか・・期待したいところである。

P.S.
明日(4月15日)にアップしようと考えていたけど、予告にしました。
時差があるから、明後日かもしれないけど・・(汗)



2015年04月13日(月)
おめかしピクニック

最近、私の関心事は、緑溢れる公園で「ピクニック」。(笑)
そんな感覚でいろいろなイベントを探しているからか、
世の中全体が「ピクニック・ブーム」となっている気がする。
以前は「街なかの森林公園」というテーマで、
好奇心のアンテナを伸ばし、ネット検索で調べていた。
しかし、この企画を知って「あっ、これだ!」と腑に落ちた。
沼津市のCD・古本・雑貨店(weekend books)の企画、
「おめかしピクニック」。
手にした葉書に書かれていた、キャッチコピーは
「いつもより 少しだけおめかしして
かわいくて たのしい ピクニック
さぁ! お気に入りのカゴに
読みかけの本と おいしいおやつを入れて
森の中に お出かけしましょ♪」
そうそう、この感覚なんだよなぁ、とメモをした。
森の中ではないけれど、ちょっぴり気取って出かけたい。
お弁当も「手作り」に拘る必要なんてない気がするし、
近くのお気に入りのお店で「テイクアウト」すれば足りる。
さらに、素敵なプランケットを広げて、
気が置けない仲間や大切な家族たちと、楽しい時間を過ごす。
これも、今風の「おめかしピクニック」かもしれないな。



2015年04月12日(日)
私たちこのままじゃ悔しいの、何とかしてよ

映画「バックダンサーズ!」(永山耕三監督)から。
平山あやさん、hiroさん、ソニンさん、サエコさん主演で贈る
青春ダンス・ムービーには違いないが、
私がメモしたのは、彼女たちが夢と現実の狭間でもがいている姿。
「あたし、悔しい」「あたしも悔しい。本当に悔しい」
「茶野、悔しいの。私たちこのままじゃ悔しいの、何とかしてよ」
それまでが一所懸命じゃなかったとは言わないが、
この台詞を叫んでいる時「このままで終わりたくない」という
強いエネルギーみたいなものが、画面を通して伝わってきた。
今の若者は、すぐ諦めてしまったり、逆ギレしたり、
最後には投げ出してしまう、そんなイメージがあったが、
この台詞を口にした後から、彼女たちの顔つきが変わった気がする。
最近「悔しい」という台詞(音)を耳にしたことがなかったから、
とても新鮮に聴こえたのは事実である。
やはり人間の欲望を、とことん突き進めるのは、
自分の思うようにならない「悔しい」という感情なのかもしれないな。

P.S.
今年の4月は「統一地方選挙」で、街中が「選挙一色」だが、
立候補者だけでなく、支援する人たちの、
「当選しなかったら悔しい」という想いが強いかどうか、
そんな気がしてならない。