初日 最新 目次 MAIL HOME


しもさんの「気になる一言」
しもさん
MAIL
HOME

My追加

2015年04月11日(土)
よっしー!できる〜できる〜きみならできる〜

「SUNTORY C.C.lemon」が提供する「元気応援プロジェクト」
その1つが「松岡修造さんが歌・作詞を担当し、
100人分のニックネームを呼びかける『元気応援ソング』」
もう耳についたら、このフレーズが頭から離れない。(汗)
インパクトのあるフレーズって、やっぱり凄い、を実感した。
特に、自分の名前に関したソングを見つけたら、
もう、誰かに伝えたくなってしまうから不思議だ。
ニックネームと言っても、名前が中心だから「しもさん」はないが、
「よっしー」を見つけて、大喜び。(笑)
知らないうちに何度も再生し、PC画面に向かって頷いていた。
「よっしー!できる〜できる〜きみならできる〜」
是非一度、インターネットで検索して、笑い転げて欲しい。
腰をくねくねした妙な踊りには、違和感を覚えたけれど、
松岡修造さんらしさが溢れていて、元気がもらえること間違いない。
名前に「よし」がつく人は、みんな「よっしー」でいいし、
実は、私の知り合いにも「よっしー」は大勢いる。
普段、そんなニックネームで呼ばれてないから、なんて意地を張らず、
「今日から君は富士山だ」・・なんて意味不明なフレーズもあるが、
ここは、自分の名前に近いニックネームで、楽しんでしまおう。
また、名前だけでなく「おとうさん」「おかあさん」や
「社長」「新人」「先生」「先輩」「部長」なんてのもあるから、
誰か元気がないなと思ったら、そっと近づいて、この応援歌を。



2015年04月10日(金)
富士山を望みながら水に戯れる、最高の贅沢だ。

先日紹介したばかりの、静岡新聞夕刊のコラム「窓辺」、

前・国交省沼津河川国道事務所長、野坂周子さんのコラムが、
今度は「狩野川」と題し、カヌー体験を綴っていた。
「狩野川を知るなら、カヌーが一番」で始まり、
井上靖著の「しろばんば」に話が展開され、
さらに狩野川を愛する多くの人の存在を感じた。
こうした思いを大切にしたい」と結んだ文章は読みやすく、
読者である私にも、狩野川の魅力が伝わってきた。
今回は、一人乗りの凄腕カヤック乗りたちの行動を見て、
「気持ちよさそうなこと」と表現している。
そして、そんな様子を横で眺めながら、
「富士山を望みながら水に戯れる、最高の贅沢だ」と纏めている。
以前、柿田川の外来者駆除作業にも参加していただき、
その水の冷たさ、透明さに驚いていたが、たぶんその時も、
同じようなことを感じてくれたに違いない。
ボランティア活動だろうと、レジャーだろうと、
「富士山を望みながら水に戯れる体験」は、私たちにとっては、
当たり前のことだが、他地域に住む人たちにとっては、
「最高の贅沢」なのだろうなぁ。
これからも、その意識は忘れないでいきたいと思う。



2015年04月09日(木)
「清明」は「すべてのものが清らかで生き生きする頃」

書籍「旧暦で楽しむ日本の四季」(二十四節気と七十二候)
(別冊宝島編集部編・宝島社刊・319頁)から。
先週の日曜日から19日の日曜日まで、二十四節気では「清明」。
「すべてのものが清らかで生き生きする頃」
この頃は、天地が清々(すがすが)しく、明るい空気に満ちる、と言う。
転じて「清く明らかなことの意味に使われる」。
実は、我が家の玄関に、正月からずっと飾られていたのは、
世界的な木版画家・牧野宗則さんの「清明」という作品。
富士山と太陽が描かれ、自然の生命の輝きが感じられるから、
毎朝、この作品に送り出されて仕事に出かけるのが嬉しかった。
しかし「清明」が、今の季節を表わす言葉と知って、思わず苦笑い。
正月の凛とした空気とはちょっと違う、明るい空気の感覚は、
確かに、いまどきのほうが「清明」のタイトルに相応しい気がする。
このままもうしばらく飾って、田植えの時期に合わせて、
木版画家・前田光一さんの作品「水鏡の家」に、衣替えをしたいな。
そう言えば、この季節に話題になる、沖縄の「シーミー」ってお祭りは
「清明祭」のことって、どこかで聞いたことがあったなぁ。(汗)

P.S.
「清明」を過ぎれば、次は「穀雨」。
最近の「小雨の長雨」(菜種梅雨)、ちょっと早い気がする。(笑)



2015年04月08日(水)
書籍と映画、犯人が違うのなら観るけれど(笑)

以前、私の住む町に映画館ができた時は、嬉しくて嬉しくて
「映画は映画館で、野球は野球場で」という一言を残した。
当時は、1年に154作品の映画を「映画館のみ」で観たが、
最近、どうしたことか、映画館で鑑賞していない。
既に800作品を超え、今年も既に20作品を鑑賞したが全てDVD。
この気になる一言で、映画の話題が多いからだと思うが、
時々「あの作品観ましたか?」というメールが届くことがある。
それもなぜか、推理小説の映画化に関する問合せが多い。
例えば「映画『謎解きはディナーのあとで』は観ましたか?」
「映画『真夏の方程式』は観ました?」という形で。
ちょっと悩んだけれど、返したメールは、
「推理小説の映画化は、基本的には映画館で観ませんね。
書籍と映画、犯人が違うのなら観るけれど(笑)。」
ただし、公開後しばらくして、DVD化されたら、
原作とどこが違うのだろう?と確認の意味で観ることはある。
小説を読んだ時のメモと、映画を観た時のメモが、
ぴったり重なるのを楽しんだりする場合もあるし、
小説にないフレーズを映画に発見すると、これまた嬉しい。
時には、呆れられることもあるけれど、
これまた「私流の書籍と映画の楽しみ方」となっている。
今は、今まで鑑賞した映画の原作を読むこと、
映画の主題歌に使われた曲を、ダウンロードして聴くこと、
そんなものもセットにして、楽しんでいる感じかな。
ただし私の場合、監督名、俳優名はあまり覚えていない。
映画評論家になりたいわけじゃないので・・。(汗)



2015年04月07日(火)
君は大人になっていない!

映画「ヤング≒アダルト」(ジェイソン・ライトマン監督)から。
生まれ育った田舎を捨て都会へ行き、ある程度、成功した。
しかし、都会の生活に疲れた主人公の彼女は、
既に結婚している学生時代の元カレと寄りを戻そうと帰郷し、
色気を振りまきながら、あの手この手を使うがうまくいかない。
それもそのはず、長い年月が、田舎に残った同級生たちを成長させ、
昔のイメージで「自分が最高に魅力的」と突っ張る彼女を
懐を広く迎えながらも、幸せの定義の違いを見せつけたと言える。
「僕ならそんな話は人にせず、精神分析に行って医者に話す」
「何があったのか、君の想像かは知らないが、過去は過去だ」
「君に人の幸・不幸が、わかるのか?」
「何をする気だ? どうかしている。帰ってくれ」
「君は正常じゃない。孤独で理性を失っている」
こんな台詞が散りばめられているのに、彼女は気付かない。
いや、気付こうとしない、気付きたくないのかもしれない。
そんな彼女に、古い友達たちはこう言いたかったのだろう。
「君は大人になっていない!」



2015年04月06日(月)
新宿御苑がある。それだけで、東京で暮らすことは楽しい。

書籍「東京公園散歩」(矢部智子著・P-VineBooks刊・143頁)から。
紹介しているのは、私が知りたい・・と望んでいる
「大人がゆったりとした時間を過ごすことのできる20の公園」。
さすが「東京」と、その規模やコンセプトに唸りながらも、
もしかしたら、自分の住む街の小さな公園にも活かせるかも・・
と思わせてくれた、貴重な資料として大切に読み込んだ。
どの公園にも共通した、公園の持つ「癒しのイメージ」は、
写真や映像にするより、文字にしたほうが伝わる気がする。
例えば「新宿御苑がある。それだけで、東京で暮らすことは楽しい」
「いつ来ても、どこを歩いても『楽しさ』を見つけることができる」
「みんなまるで自分の家にいるみたいに、気ままにくつろいでいる」
「歴史の足跡が、今も園内のあちこちに残されている」
「新緑の頃に裸足で歩けば、さらさらとした芝の感触が気持ちいい」
「濃密な緑の匂いがたちこめる、90年の時が生んだ壮大な森」
「ケヤキの足元につくられたベンチは、ランチや読書に最適」
「季節の移り変わりを感じながら、つかの間の休息を楽しむには最高の場所」
「それは一瞬で、東京にいることを忘れてしまう風景」
「夏場の気温は、街中より6〜7度も低いそうで、
その涼しさと気持ちよさは、一度体験するとやみつきになる」
「ここにいると、子どもは本来の子どもらしさを取り戻し、
大人もまた、自由な空気のなかで幸せな気分に包まれる」
「このあたりは、近所の子どもたちの格好の遊び場」
「きょうも台場公園は、孫の活躍に目を細める『ご老人』のように、
静かな周囲のにぎわいを見守っている」
「住宅地の中の小さな公園が約束する、幸せなひととき」
「その存在を知っているだけで、ちょっと人生を得したような気がする」
「絶えず誰かが訪れて、それぞれの時間を過ごしている」
「あの公園に行けばきっと現実から少し離れて、幸せな時間が過ごせる」
「晴れた日に、仕事を携え図書館に出かけ、ときおり気分転換に外に出て、
森の中のベンチで、近くの屋台カフェで買ったコーヒーをすする。
その幸せなひとときと思うと、自然と顔がほころんでくる」
う〜ん、どれをとっても、役立ちそうなフレーズばっかり。(嬉)
目指すは「柿田川公園がある。それだけで、清水町で暮らすことは楽しい」



2015年04月05日(日)
ピンク三昧・山梨

事前の天気予報では、奈良に続いてまた雨か、と落ち込んでいたが、
夫婦で行くバスツアー「甲斐善光寺御開帳と甲州三大桜」は、
曇天であったが甲斐(山梨)で、傘を広げることはなかった。
恵林寺・慈雲寺・甲斐善光寺・武田神社と予定された桜の名所は、
前日の雨と風で心配されたが散ることなく「見頃」であったが、
桜だけで言えば、規模は違えど、私たちの周りでも鑑賞は出来る。
わざわざ、バスツアーで行かなくても・・と思いがちであるが、
バスが山梨県に入った途端、車窓から見える景色が「ピンク一色」。
この景色は「静岡県」では、あまりお目にかかれない。
薄いピンクは、ソメイヨシノを始めとした「桜」、
それにアクセントを付けたのが、もう少し色が濃いピンクの「桃」、
道中、目の中には必ず「ピンク」があり、その色の豊富さに驚いた。
今回のバスツアーをワンフレーズで表現するなら、
間違いなく「ピンク三昧・山梨」。
7月〜9月のイメージがある「もも狩り」の主役、桃の木は、
桜に負けじと、この時期、精いっぱいのピンク色で輝いていたから、
桜の「ピンク」と桃の「ピンク」の競演、と言ってもいい。
いや、観光客をもてなす宴、と言う意味では「饗宴」かも知れない。
緊張しがちな年度始めの最初の週末、今回もまた自然に癒された。
「自然」って、本当に素晴らしいな、と心から思ったツアーである。

P.S.
「善光寺」に行くにしては、ゆっくりした日程だな、と思っていたら、
「信州善光寺(長野県)」ではなく「甲斐善光寺(山梨県)」だった。
もう少しで、恥をかくところだったなぁ、ほっ。