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しもさんの「気になる一言」
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2015年03月28日(土)
ゴリラは、食べてるのは肉ではなく、ほぼ植物。

映画「セイフ ヘイヴン」(ラッセ・ハルストレム監督)から。
その作品を思い出す「気になる一言」には選ばなかったが、
発想、視点でなるほど・・と感じた事を紹介したい。
その1つが「ゴリラは、地球上の動物の中で最強だよ。
食べてるのは肉ではなく、ほぼ植物」「体にいいわよね」。
私たちは「筋力」をつけるには「肉」を食べる、と覚えてきたし、
現実の会話でも、最近、肉を食べないから力が出ない、などと
言いながら、焼肉屋に繰り出すことがあるけれど、
この会話をメモしてから、ゴリラのあのもの凄いパワーは
どこから生まれるのだろう・・そんな疑問を抱いた。
調べてみると、確かに「食性は植物食傾向の強い雑食で、
果実、植物の葉、昆虫などを食べる。
亜種マウンテンゴリラは季節によって果実なども食べ、
乾季に食物が少なくなると植物の葉、芽、樹皮、根などの
繊維質植物を食べる」とあった。
食性は確かめられたものの、ほぼ草食性のゴリラのパワーの源は、
正直、判らなかった。
ただ、肉好きだから力強く、野菜好きだから力がない、
そういう例えは当てはまらないということだけは理解できた。
よく考えれば、オリンピックの金メダルは、肉好きの国民だけが
獲得しているわけではないものなぁ。納得。



2015年03月27日(金)
好物ですか?、朝飯です。

年度末を控え、歓送迎会のシーズンとなった。
わが課は異動対象者に配慮して、送別会と歓迎会は別。
もちろん、私の意向も同じ。
1年間、いろいろな難題・課題に対処してきたメンバーと、
これからの新しい1年を乗り切っていくメンバーでは、
話す内容も違うだろうし、両方一緒ではどっち付かずの宴席になり、
送られる人、歓迎される人とも楽しめないのでは?と考えている。
そんな訳で、今回は、宿泊付きの「送別会」。
みんなで過ごした1年間の想い出が蘇る、楽しい時間だった。
普段は若いスタッフたちと話す機会が少ないが、
こういう席では「無礼講」、プライベートな話も出来て大満足だった。
男だけの職場で盛り上がった話は、ここで紹介できないネタばかり。(笑)
だから、今回の「送別会」を思い出すキーワードを残しておきたい。
「食べ物は何が好き?」とありきたりの質問をしたのに、
戻ってきた台詞は「好物ですか?、朝飯です」。
詳しく訊くと、おかずは、海苔でも卵でも納豆でもいいらしい。
お米大好きで、みんなで囲む「朝飯」の雰囲気が好きなんだろうな。
予想外の答えに笑いながらも、ちょっぴり頷いてしまった私がいる。
翌朝、スタッフ全員で食べた朝食の光景。
若い人たちの茶碗は、どれも、特大盛りで、ムシャムシャ食べている。
お鉢に用意した御飯では足りず、なんとお鉢をお替わりする始末。
本当に好きなんだなぁ、朝飯。好物と言い切る意味が理解できた。
歳を重ねると、若い人たちの食欲、見ているだけで楽しいな。



2015年03月26日(木)
私は誰だ? ジャン・バルジャンだ

映画「レ・ミゼラブル」(トム・フーパー監督)から。
有名作品のミュージカルを、さらに映画化となると、
評価が分かれるのではないだろうか。
戦いで死にそうになっても、リズムある台詞があり、
ラストシーン、死ぬ瞬間まで、メロディで台詞を口にする。
私には、やや違和感を感じてしまったのは残念だ。
しかし、だからこそミュージカルらしいシーンを紹介しておく。
「今、世界の色は、日々塗り替えられている」と呟き、
リズムに合わせて、革命に燃える若者が歌うシーン。
「レッド、怒れる民衆の血。ブラック、弾圧の過去。
レッド、新世界の夜明け。ブラック、長かった夜の終わり」
それに比べ「恋の虜に」なってしまった若者は、こう歌う。
「一瞬の光で、世界は変わると、
正しさが悪にみえて、悪が正しくみえるだろう」
「レッド、僕の燃える魂。ブラック、彼女のいないむなしさ。
レッド、希望の色。ブラック、絶望の色」
同じ色なのに、こんなにもイメージが違うのか、と
鑑賞後、メモを振り返り、思わず苦笑いした。
「私は誰だ? ジャン・バルジャンだ」
「私は誰だ? あなたはジャン・バルジャン」
常に、自問自答している主人公のジャン・バルジャンが、
強く印象に残った作品であった。



2015年03月25日(水)
「良い景観」とは「見たくないもの」が「見えない状態」

今後のまちづくりでは「景観」という観点は外せない、
そう考えているが、実は「景観」は新しい視点ではない。
私が「清水町第三次総合計画」の策定に携わった頃、
そう20年以上前から「景観」の大切さは認識しているつもりだが、
先日、ある講習会の資料で、なるほど・・と感じる発想があった。
「良い景観」とは「見たいもの」が「見やすい状態」にあること。
言い換えれば「美しい景色」、これは、誰もがイメージできるし、
最近では書店でもコーナーが出来るような「絶景」をはじめ、
「ステキ」と思えるような、統一感を持った景色をどう見せるか、
その見せ方に配慮する、それが景観だと・・。
しかし、それだけでなく「良い景観」とは、
「見たくないもの」が「見にくい、見えない状態」にすること。
うまく隠す技術も、景観には欠かせないことを知った。
そういった何気ない配慮こそ「おもてなし」と感じるし、
「地方創生の賑わい創出に『景観の視点』を
どれだけうまく取り込むかが、活性化成功の必須内容となる」という
アドバイスには頷くものがあった。
一極集中が進む、生活に便利な東京よりも勝てるものがあるとしたら、
それは「景観」ではないだろうか。
もっともっと「景観」を勉強しなくてはならないな、たぶん。



2015年03月24日(火)
外で食べると・・見えなくなっていたものが姿を現す

書籍「東京ピクニッケ」
(プロジェ・ド・ランディ著・白夜書房刊・111頁)から。
「ピクニッケ」とは「ピクニックする」という動詞らしい。
とにかく楽しく、手元において何度でも読みたくなるほど、
私にとっては、お気に入りの本の仲間入りの1冊となった。
ハイキングというと、どこか遠くの山へでも出かけて、
森林浴ではないが、自然の中を歩いてリフレッシュする、
そんなイメージがあるが、ピクニッケは、趣が違う。
東京都内でも、私たちの周りの近くの公園でも、楽しめる。
これから「気になる一言」に何度も登場しそうな予感さえするが、
まずは、冒頭に書かれていたこのフレーズを紹介したい。
ピクニックの基本である「外で食べると」で始まり、
「日常のなかに埋没して、見えなくなっていたものが姿を現す」。
それは「目にしているもの、肌で感じる風、匂い、光は、
最高の調味料となってゴハンをおいしくしてくれる」と著者は言う。
私も、思わず「これだ!!」と声を挙げてしまうほど、頷いた。
それは「母親の作った手料理のお弁当」でなくてもいいし、
目的地で見つけた、地元のおいしい料理のテイクアウトで充分。
とにかく、お気に入りのものに囲まれて、外で食べる、
それだけで「ピクニッケ」なのだと私は実感した。
アイデアがいっぱい浮かんでくるのは、ワクワクするからだね。



2015年03月23日(月)
お茶漬けにバターを入れるようなことはするな

先日紹介した沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の後援会会報から。
師匠・三遊亭圓橘さんからのアドバイスは、的を射ていた。
最近は有名な古典落語にも、さらっと現代ネタが挿入されたりし、
あれ?と思うこともあるが、そういうことか・・と納得した。
師匠は、真打間近の彼に、こう伝えたようだ。
「自分なりの工夫をする、変えていくのは良いが、
落語をぶち壊すようなことはするな、と。
バターを入れたら、もうお茶漬けではない。
入れるんなら、梅干しなんだ、と。」
ワンポイントでも自分らしさを演出する、その試みは良いが、
基本は伝統文化である「落語」であることを忘れるな、
奇をてらうことで、いくら観客に受けたとしても、
「落語」という域を超えたところの笑いではダメだ、ということ。
美味しければ(受ければ)何でもあり、という考え方は危険であり、
それは、いろいろな場面で判断の基準となり得る。
美味しいお茶漬けの追求は、梅干しやワサビなどの吟味であり、
バターなど、まったく異質なものを入れるといった試みではない。
生きている限り、変化を求めることは大切だが、
その変化は、違和感を感じるものであってはならない。
このアドバイス、仕事でもプライベートでも、活かせそうだ。



2015年03月22日(日)
原子力 郷土の発展 豊かな未来

映画「がんばっぺ フラガール! フクシマに生きる。
彼女たちのいま」(小林正樹監督)から。
映画「フラガール」の舞台となった、
福島県いわき市のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」。
(私たちの世代は「常磐ハワイアンセンター」の方が懐かしい)
震災後、復興に向けて頑張る「フラガール」を追った
ドキュメントであるが、その一場面に映し出された
「双葉町入口の看板」まちづくりの標語が目に付いた。
大きな横看板の裏表に書かれたそのフレーズは、
「原子力 豊かな社会と まちづくり」
「原子力 郷土の発展 豊かな未来」
私は、まず最初にこの看板を壊してしまいたくなった。
原発事故が起きる前は、豊かな社会が与えられていたかもしれないが、
事故後は、郷土の発展も豊かな未来も、奪われてしまった。
「看板に偽りあり」そんなメッセージさえ、聞こえてきそうだ。
せっかく復興を目指したストーリーにも関わらず、
メモ魔の私にインパクトを与えたのは、原子力の標語。
被災された家のカレンダーは3月のままだったが、
双葉町の目指した町も、被災当時のままだった。