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| 2015年03月26日(木) ■ |
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| 私は誰だ? ジャン・バルジャンだ |
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映画「レ・ミゼラブル」(トム・フーパー監督)から。 有名作品のミュージカルを、さらに映画化となると、 評価が分かれるのではないだろうか。 戦いで死にそうになっても、リズムある台詞があり、 ラストシーン、死ぬ瞬間まで、メロディで台詞を口にする。 私には、やや違和感を感じてしまったのは残念だ。 しかし、だからこそミュージカルらしいシーンを紹介しておく。 「今、世界の色は、日々塗り替えられている」と呟き、 リズムに合わせて、革命に燃える若者が歌うシーン。 「レッド、怒れる民衆の血。ブラック、弾圧の過去。 レッド、新世界の夜明け。ブラック、長かった夜の終わり」 それに比べ「恋の虜に」なってしまった若者は、こう歌う。 「一瞬の光で、世界は変わると、 正しさが悪にみえて、悪が正しくみえるだろう」 「レッド、僕の燃える魂。ブラック、彼女のいないむなしさ。 レッド、希望の色。ブラック、絶望の色」 同じ色なのに、こんなにもイメージが違うのか、と 鑑賞後、メモを振り返り、思わず苦笑いした。 「私は誰だ? ジャン・バルジャンだ」 「私は誰だ? あなたはジャン・バルジャン」 常に、自問自答している主人公のジャン・バルジャンが、 強く印象に残った作品であった。
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| 2015年03月25日(水) ■ |
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| 「良い景観」とは「見たくないもの」が「見えない状態」 |
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今後のまちづくりでは「景観」という観点は外せない、 そう考えているが、実は「景観」は新しい視点ではない。 私が「清水町第三次総合計画」の策定に携わった頃、 そう20年以上前から「景観」の大切さは認識しているつもりだが、 先日、ある講習会の資料で、なるほど・・と感じる発想があった。 「良い景観」とは「見たいもの」が「見やすい状態」にあること。 言い換えれば「美しい景色」、これは、誰もがイメージできるし、 最近では書店でもコーナーが出来るような「絶景」をはじめ、 「ステキ」と思えるような、統一感を持った景色をどう見せるか、 その見せ方に配慮する、それが景観だと・・。 しかし、それだけでなく「良い景観」とは、 「見たくないもの」が「見にくい、見えない状態」にすること。 うまく隠す技術も、景観には欠かせないことを知った。 そういった何気ない配慮こそ「おもてなし」と感じるし、 「地方創生の賑わい創出に『景観の視点』を どれだけうまく取り込むかが、活性化成功の必須内容となる」という アドバイスには頷くものがあった。 一極集中が進む、生活に便利な東京よりも勝てるものがあるとしたら、 それは「景観」ではないだろうか。 もっともっと「景観」を勉強しなくてはならないな、たぶん。
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| 2015年03月24日(火) ■ |
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| 外で食べると・・見えなくなっていたものが姿を現す |
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書籍「東京ピクニッケ」 (プロジェ・ド・ランディ著・白夜書房刊・111頁)から。 「ピクニッケ」とは「ピクニックする」という動詞らしい。 とにかく楽しく、手元において何度でも読みたくなるほど、 私にとっては、お気に入りの本の仲間入りの1冊となった。 ハイキングというと、どこか遠くの山へでも出かけて、 森林浴ではないが、自然の中を歩いてリフレッシュする、 そんなイメージがあるが、ピクニッケは、趣が違う。 東京都内でも、私たちの周りの近くの公園でも、楽しめる。 これから「気になる一言」に何度も登場しそうな予感さえするが、 まずは、冒頭に書かれていたこのフレーズを紹介したい。 ピクニックの基本である「外で食べると」で始まり、 「日常のなかに埋没して、見えなくなっていたものが姿を現す」。 それは「目にしているもの、肌で感じる風、匂い、光は、 最高の調味料となってゴハンをおいしくしてくれる」と著者は言う。 私も、思わず「これだ!!」と声を挙げてしまうほど、頷いた。 それは「母親の作った手料理のお弁当」でなくてもいいし、 目的地で見つけた、地元のおいしい料理のテイクアウトで充分。 とにかく、お気に入りのものに囲まれて、外で食べる、 それだけで「ピクニッケ」なのだと私は実感した。 アイデアがいっぱい浮かんでくるのは、ワクワクするからだね。
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| 2015年03月23日(月) ■ |
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| お茶漬けにバターを入れるようなことはするな |
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先日紹介した沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の後援会会報から。 師匠・三遊亭圓橘さんからのアドバイスは、的を射ていた。 最近は有名な古典落語にも、さらっと現代ネタが挿入されたりし、 あれ?と思うこともあるが、そういうことか・・と納得した。 師匠は、真打間近の彼に、こう伝えたようだ。 「自分なりの工夫をする、変えていくのは良いが、 落語をぶち壊すようなことはするな、と。 バターを入れたら、もうお茶漬けではない。 入れるんなら、梅干しなんだ、と。」 ワンポイントでも自分らしさを演出する、その試みは良いが、 基本は伝統文化である「落語」であることを忘れるな、 奇をてらうことで、いくら観客に受けたとしても、 「落語」という域を超えたところの笑いではダメだ、ということ。 美味しければ(受ければ)何でもあり、という考え方は危険であり、 それは、いろいろな場面で判断の基準となり得る。 美味しいお茶漬けの追求は、梅干しやワサビなどの吟味であり、 バターなど、まったく異質なものを入れるといった試みではない。 生きている限り、変化を求めることは大切だが、 その変化は、違和感を感じるものであってはならない。 このアドバイス、仕事でもプライベートでも、活かせそうだ。
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| 2015年03月22日(日) ■ |
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| 原子力 郷土の発展 豊かな未来 |
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映画「がんばっぺ フラガール! フクシマに生きる。 彼女たちのいま」(小林正樹監督)から。 映画「フラガール」の舞台となった、 福島県いわき市のレジャー施設「スパリゾートハワイアンズ」。 (私たちの世代は「常磐ハワイアンセンター」の方が懐かしい) 震災後、復興に向けて頑張る「フラガール」を追った ドキュメントであるが、その一場面に映し出された 「双葉町入口の看板」まちづくりの標語が目に付いた。 大きな横看板の裏表に書かれたそのフレーズは、 「原子力 豊かな社会と まちづくり」 「原子力 郷土の発展 豊かな未来」 私は、まず最初にこの看板を壊してしまいたくなった。 原発事故が起きる前は、豊かな社会が与えられていたかもしれないが、 事故後は、郷土の発展も豊かな未来も、奪われてしまった。 「看板に偽りあり」そんなメッセージさえ、聞こえてきそうだ。 せっかく復興を目指したストーリーにも関わらず、 メモ魔の私にインパクトを与えたのは、原子力の標語。 被災された家のカレンダーは3月のままだったが、 双葉町の目指した町も、被災当時のままだった。
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| 2015年03月21日(土) ■ |
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| カワセミは、本当に「翡翠」(ヒスイ)だった |
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久しぶりに「カワセミ」を視た。 (見る、観る、とは違う、じっと「視る」を使いたい) 土曜恒例の早朝ランニング、沼津の門池公園でのこと。 柿田川公園でも何度かみかけだが、 遠くから望遠鏡か、カメラのズームを最大にして。(汗) それが、なんと今朝は、私のランニングコースのすぐ脇で、 青や緑色の鳥を見つけたので、もしかしたら、と走るのをやめ立ち止り、 注視したら、門池にいる小魚に狙いを付けている「カワセミ」だった。 その美しさに目を釘付けにされ、しばらく身動きができず、 じっと眺めていたら、突然、ホバーリングをしたかと思ったら、 ものすごい勢いで川面に顔を突っ込み、餌をゲット。 さらに、独特の青い羽を広げたかと思ったら、 次の瞬間、低空飛行で、私の目の前を横切り、飛び去った。 夢でも視ているのかと思うほどの、時間の流れがそこにあった。 きれいな水辺に住むということで、市町の「鳥」としている自治体は多いが、 果たして、どれだけの人が、本物の「カワセミ」を視たことがあるか、 考えさせられてしまった。 写真や映像では、カワセミの様子を目にすることがあっても、 本物を望遠鏡なしで目にする体験はなかなかできないからだ。 カワセミを「翡翠(ヒスイ)」と書き「渓流の宝石」と呼ばれる意味が、 実物の「カワセミ」を視て、納得させられたから、 「カワセミは、本当に『翡翠』(ヒスイ)だった」を残したい。 この被写体としての「カワセミ」を追いかけて、 水辺を渡り歩くウォッチャーがいるのも、わからなくない。 私が「ミニ皇居」と称して走っている「沼津・門池(かどいけ)公園」、 本当に、いい場所だよなぁ。
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| 2015年03月20日(金) ■ |
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| (柿田川は)今来ても、ワクワクしますね |
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私の2歳上の先輩であり、公私にわたりお世話になっている、 地元清水町出身の絵本作家、宮西達也さんの作品展が、 今、横浜高島屋で開催しているというので、足を運んだ。 (実は、明日行くつもりだったけれど、急遽、予定変更して(笑)) その「宮西達也ワンダーランド展」(横浜高島屋ギャラリー8F)から。 私はけっこう先輩の作品は読んでるつもりでいたが、 あれ?この作品知らない・・初めてみた、という作品もあり、 まずは、その作品の多さには驚かされた。 私のお目当ては、取材協力という形で、一緒に柿田川を案内した時、 先輩がはしゃいでいた様子がビデオになっているというので、 撮影当時を思い出しながら、繰り返して観賞することだった。 アトリエインタビューの一部であったが、 「宮西達也の原点 想い出の柿田川」というクリップとともに、 (頭の毛はボサボサだけど)子どもに戻った先輩の笑顔があった。 柿田川は「感動を味わい、感性を磨いた場所」と言い切り、 私が案内した「眼鏡橋」では、ここでカブトムシを捕まえたり、 これ以上近づくの危ないという、ギリギリの場所で楽しんだんだ、など、 話を始めたら、止まらないくらいの勢いで、原風景を語ってくれた。 そして最後に「(柿田川は)今来ても、ワクワクしますね」と、 大喜びの声で、取材陣に紹介している姿が、何ともいえなく可愛いい。 平日にも関わらず、多くの来場者が詰めかけていた会場で、 先輩が私を見つけ「しもちゃん」と声を掛けてくれたのは、嬉しかったし、 展示されている絵の横の壁に、自宅の襖とか壁にイタズラ書きするように、 絵本作家本人がマジックで書いている姿は、来場者が驚き、楽しかった。 もう一度、作品を読み直さなくちゃなぁ、宮西達也ファンとしては・・。 そして、作品の原風景となった「柿田川」を大切にしなくちゃなぁ。
P.S.(展覧会の「サブタイトル」と「キャッチコピー」) 「ヘンテコリンな絵本の仲間たち」「ドキドキ ワクワク 涙もポロリ」
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