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| 2015年03月19日(木) ■ |
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| 他人に危険を振り分けて、自分は安全でいられる |
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書籍「十二国記(図南の翼)」 (小野不由美著・新潮文庫刊・419頁)から。 (ファンタジーの世界を説明するのは難しいので、 いつものように場面設定は、曖昧になってしまうが) 獰猛な獣に襲われて殺されるかもしれないという危険、 そんな危険地域を通って、ある場所に向かう多くの人々。 こんな会話がある。「何のために我々は、 こうして集団となって蓬山に向かっているのか」 「臆病だからだろう」・・ さらに、場面が進み、同じような会話。 「そばに人がいたほうが安全だからだ。 なぜなら、横にいる人間が襲われている間に、 自分が逃げられる可能性があるからだ。 人が・・人に限らず、力のない生き物が群れるのは、 そのほうが安全だからだ。他人に危険を振り分けて、 頭数のぶんだけ、自分は安全でいられる」「酷い話ね」 「酷い?だからお前は甘いんだ、 これは酷いことじゃない、自然の摂理だ」 学校でも職場でも社会でも、どんな場面でも、 人が群れる理由をこう考えていれば、怖いものなし。 虐めというのは、自分が安全でいたいから起こるのだから。
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| 2015年03月18日(水) ■ |
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| 強くあれ、誘惑に負けぬよう |
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映画「ナルニア国物語 第3章:アスラン王と魔法の島」 (マイケル・アプテッド監督)から。 欲望を満たす「誘惑」に対して、私たちは弱い。 それをどう克服して、真の幸せを掴んでいくか、 そんなテーマの作品だった気がする。 ある賢者が、主人公たちに諭す。 「お前たちは、みんな試される。剣が7本並ぶまでは、 『悪』が優位にあることを覚えておけ」と前置きして 「強くあれ、誘惑に負けぬよう」と。 「闇の力に勝つためには、心の闇に打ち勝て」 「自分の価値を疑うな、自分から逃げていかん」 「きっと何者かが、僕らの心を操っている」 同じような意味を持つ台詞が、私の心に引っかかった。 しかし、辞書によると、 「誘惑」とは「人を迷わせて、悪い道に誘い込むこと」。 「人を迷わせる」ことはわかるけれど、 「良い道へ誘い込む」ことは「誘惑」って言わないのかなぁ。
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| 2015年03月17日(火) ■ |
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| 自然をたたえ、生物をいつくしむ |
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今週土曜日、今年の「春分の日」を迎える。 こんな時でないと、目的や意味を考えることがないから 「国民の祝日に関する法律」(昭和23年法律第178号) 定められている15の祝日をじっくり眺めてみた。 生活の中では「春分の日」と「秋分の日」の意味は同じで、 お彼岸だから、祖先を敬い、墓参りをしなくちゃ、と 勘違いしがちであるが、実はそれぞれに意味が違うことを知った。 春分の日(春分日)は「自然をたたえ、生物をいつくしむ。」 それと対になっている、秋分の日(秋分日)は、 「祖先をうやまい、なくなった人々をしのぶ。」 法の目的が「美しい風習を育てつつ、よりよき社会、 より豊かな生活を築きあげるため」なのだから、 「春分の日」は、気のあった仲間たちとピクニックにでも出かけ、 日本の四季を肌で感じながら、自然の中に生かされていることに 感謝する日、としたほうがいいようだ。(笑) 何十年も勘違いしていた「国民の祝日」の意味だけど、 どうして学校で教えないんだろうなぁ、と思う。(私が忘れている?) 今後も出来るだけ、当日ではなく、事前に紹介していきたい。
P.S. 「ぼた餅」を食べるのも、そんな意味があるのかなぁ。
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| 2015年03月16日(月) ■ |
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| おまえたち、夫婦(めおと)になれ |
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NHK大河ドラマ「花燃ゆ」より。 「想い合う」・・というキーワードを取り上げようと、 今回のメモ整理したら、意外な漢字変換を発見してしまった。 吉田寅次郎(松陰)が、松下村塾の塾生、久坂玄瑞と、 自分の妹・文に、結婚するように勧めるシーン。 「久坂、文、お前たち、夫婦(めおと)になれ」 何気ない台詞だが、文字として入力して変換すると、 私にとっては、どうも違和感があったので、気になる一言。 「めおと」、もちろん夫婦のことであるが、 「妻夫」(つま・おっと)で「めおと」だと覚えていたので、 「めおと」と入力し「夫婦」と変換されることに納得できなかった。 どちらが先だっていいじゃないか、と思うかもしれないが、 当時は、むしろ「妻」の方が大切にされていた証ではないか、 そんな気持ちでいたので、言葉として「夫婦」では違うと感じている。 考えすぎだよ、と言われるのを覚悟で、取り挙げてみた。 本当に「めおと」=「夫婦」でいいのだろうか。(汗)
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| 2015年03月15日(日) ■ |
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| その1割に、プロかアマチュアかの違いが出る |
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親友が後援会長をしているので、一緒に応援している 沼津市出身の落語家「三遊亭橘也」の会報「みかん」から。 (噺家って呼び捨てでいいのかな?) この会報の一部、橘也本人が執筆しているのだろう、 師匠(三遊亭圓橘)との会話を楽しく、判りやすく紹介している。 その中で「落語は、聴くものか、観るものか?」と訊かれた話が 印象に残っている。 テレビっ子で育った私たちは、落語家の顔・容姿をはじめ、 寄席などにも「落語を見に行く」と言ってしまうが、 2人の会話から知ったことは、(圓橘師匠曰く) 「落語は9割は聴く、あとの1割が観る。 1割は、扇子や手拭の使い方、仕草や表情などであるが、 その1割を、ちゃんとやるかどうかで、 プロかアマチュアかの違いが出る」ということ。 基本的には落語は聴くもの、と言いつつ、耳にする声以外の部分を 大切にすることが出来るかできないか、にプロ意識を求めるところは 思わず、頷くしかなかった。 ラジオやテープなど、声しか聞こえない媒体でも、 高座に上がる時と同じように、扇子や手拭の使い方、仕草や表情まで、 しっかりやっていることが理解できた。 名人と呼ばれる人たちの落語は、雰囲気が違うんだな、きっと。
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| 2015年03月14日(土) ■ |
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| この学校では、人生の希望を学びます。 |
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映画「グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子」 (ニルス・タベルニエ監督)から。 車椅子で過ごす障がい者の気持ちは、私が障がい者にならない限り、 正直なところ理解出来ないものだと思っている。 だから突然「パパとトライアスロンに出たい」と言い出した主人公には、 アイアンマンレースは、そんな簡単なものじゃないんだよ、と ちょっといらっとする心の動きがあったことを告白しておく。(汗) その上でこの作品を眺めると、彼は自分と父親との関係修復だけでなく、 同じ車椅子の障がい者に対し、希望を与えたかったのかな、と気付く。 最初、彼の想いを拒否した父親に、同じような障がいをもった友達たちが 直談判するシーンが印象的だ。 「(私たち障がい者が通う)この学校では、人生の希望を学びます。 走る、泳ぐ、自伝者、どれも私たちの夢です」とはっきり口にして、 車椅子の障がい者が憧れる、トライアスロンの3種目がどれほど憧れなのか、 みんなで伝えることにより、父親の心が揺れたと思う。 それでも「リスクが大きい」と決断ができない父親に 「でもワクワクするの、私たちの夢でもあるんです」と訴えた。 この快挙は、彼の父親をその気にさせた、障がい者みんなの想いがあり、 初めて実現したのではないかな、とあのシーンを振り返る。 サブタイトルは「夢に挑んだ父と子」ではなく、 「夢に挑んだ父と子とその仲間たち」だな、きっと。
P.S. 母親クレール役の「アレクサンドラ・ラミー」は、 「キャメロン・ディアス」かと思った、似ている・・(笑)
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| 2015年03月13日(金) ■ |
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| 「地方再生」ではなく「地方創生」 |
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今日本が抱えている「人口減少」「東京一極集中」の裏には、 「地方の衰退」が見え隠れする。 それを解決するために、国が考えているのが「地方創生」。 その作戦が「まち・ひと・しごと創生」であり、 ここに掲げた3つの要素を一体的に推進することが求められている。 ただ、言葉だけが独り歩きしないように、そのコンセプトを探り、 短いフレーズで覚えておこう、と考えていたら、 石破地方創生担当大臣の挨拶にヒントがあった。 「かつての日本は、公共事業と企業誘致で地方は元気だった。 今回の『地方創生』は、その頃と同じレベルに戻すことではない。 新しい日本を創るということ」という力強い発言が、耳に残った。 だから「『地方再生』ではなく『地方創生』」という一言を残したい。 以前「改善」と「改革」の違いを書いたことを思い出す。 言い換えれば「改善」「再生」では、問題解決が出来ず、 「改革」「創生」といった、仕組みから変えなければならない状態だ、 そう理解して、大きな転換期を乗り切りたいと思う。 今までの知識と経験では、問題解決できないことを念頭に。
P.S.(「石破茂大臣の公式ホームページ」には・・) 「私は建て直す! 地方創生により、地域を、日本を!」
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