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| 2015年03月14日(土) ■ |
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| この学校では、人生の希望を学びます。 |
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映画「グレート デイズ! 夢に挑んだ父と子」 (ニルス・タベルニエ監督)から。 車椅子で過ごす障がい者の気持ちは、私が障がい者にならない限り、 正直なところ理解出来ないものだと思っている。 だから突然「パパとトライアスロンに出たい」と言い出した主人公には、 アイアンマンレースは、そんな簡単なものじゃないんだよ、と ちょっといらっとする心の動きがあったことを告白しておく。(汗) その上でこの作品を眺めると、彼は自分と父親との関係修復だけでなく、 同じ車椅子の障がい者に対し、希望を与えたかったのかな、と気付く。 最初、彼の想いを拒否した父親に、同じような障がいをもった友達たちが 直談判するシーンが印象的だ。 「(私たち障がい者が通う)この学校では、人生の希望を学びます。 走る、泳ぐ、自伝者、どれも私たちの夢です」とはっきり口にして、 車椅子の障がい者が憧れる、トライアスロンの3種目がどれほど憧れなのか、 みんなで伝えることにより、父親の心が揺れたと思う。 それでも「リスクが大きい」と決断ができない父親に 「でもワクワクするの、私たちの夢でもあるんです」と訴えた。 この快挙は、彼の父親をその気にさせた、障がい者みんなの想いがあり、 初めて実現したのではないかな、とあのシーンを振り返る。 サブタイトルは「夢に挑んだ父と子」ではなく、 「夢に挑んだ父と子とその仲間たち」だな、きっと。
P.S. 母親クレール役の「アレクサンドラ・ラミー」は、 「キャメロン・ディアス」かと思った、似ている・・(笑)
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| 2015年03月13日(金) ■ |
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| 「地方再生」ではなく「地方創生」 |
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今日本が抱えている「人口減少」「東京一極集中」の裏には、 「地方の衰退」が見え隠れする。 それを解決するために、国が考えているのが「地方創生」。 その作戦が「まち・ひと・しごと創生」であり、 ここに掲げた3つの要素を一体的に推進することが求められている。 ただ、言葉だけが独り歩きしないように、そのコンセプトを探り、 短いフレーズで覚えておこう、と考えていたら、 石破地方創生担当大臣の挨拶にヒントがあった。 「かつての日本は、公共事業と企業誘致で地方は元気だった。 今回の『地方創生』は、その頃と同じレベルに戻すことではない。 新しい日本を創るということ」という力強い発言が、耳に残った。 だから「『地方再生』ではなく『地方創生』」という一言を残したい。 以前「改善」と「改革」の違いを書いたことを思い出す。 言い換えれば「改善」「再生」では、問題解決が出来ず、 「改革」「創生」といった、仕組みから変えなければならない状態だ、 そう理解して、大きな転換期を乗り切りたいと思う。 今までの知識と経験では、問題解決できないことを念頭に。
P.S.(「石破茂大臣の公式ホームページ」には・・) 「私は建て直す! 地方創生により、地域を、日本を!」
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| 2015年03月12日(木) ■ |
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| 技術がなければ、体力はついてこない。 |
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書籍「痛くならない、速く走れる、ランニング3軸理論」 (鈴木清和著・池田書店刊・191頁)から。 昨年9月から走り始めて、半年でハーフマラソン完走、 それで満足するはずだったが、やはりもっと速く走りたい、 そんな欲求にかられていたら、我が課のスタッフが、 「課長、これ読んでみますか?」と貸してくれた。 帯に書かれていた「軸で走れば世界は変わる」というフレーズが 妙に心に残り、夢中になって読み終えた。 「ランニング、そしてマラソンは、やったことしかできません。 練習したものが、そのまま本番の結果として表れます」に頷き、 「本当に身につけるべきは、自分の体に合ったランニング技術」 という部分で、メモが増えた。 「人によって体型や骨格は異なりますから」と前置きがあって、 「教科書どおりの走り方では、特定の箇所に負荷がかかり、 それによって故障してしまうランナーも中にはいる」という解説は、 最近、走っているけど伸び悩み、と感じていた私にとって、 これ試してみようかな、と思わせるにはピッタリの表現だった。 (技術)テクニックは、ここでは紹介が出来ないけれど、 「技術がなければ、体力はついてこない。 『技』で身につけた走りを続けていくことで、 その『技』に見合った『体』ができていくのです」 走ることなんて自己流でもなんとかなる、と考えていた私は、 180度違う視点で、その上を目指していこうと思う。 「『心技体』は、言葉の順番のままに成長させていくことが大切」 なるほどなぁ。
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| 2015年03月11日(水) ■ |
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| あの災害を契機に・・・ |
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朝から夜まで「3.11東日本大震災」関連の番組が溢れ、 私たちの記憶を風化させないために、 当時の被害の大きさだけでなく、いろいろな角度からの特集が 組まれているのは、当然のことと思う。 あれから4年という歳月が「もう4年」なのか「まだ4年」なのか、 なかなかコメントができない。 大切なのは、当時の記憶を呼び戻すことではなく、 4年後の現状に対して、自分の過ごしてきた4年間と比較し、 そのギャップに何かを感じて、行動に活かすことが求められている。 その行動の中で、何かを学び、自分の生活を見直すことこそ、 亡くなった方への追悼ではないか、と思う。 ただ単に記録として「3.11から○年」というのであれば、 来年の3.11は「あれから5年」という特集が組まれるだけであろう。 胸を張って自慢できることでなくてもいい、あの災害を契機に、 少しでも、自分の生活が変化すること、それが大事なのだと言える。 人生観が変わったという人たちも多くいる中、自分を顧みたい。 だからこそ「あの災害を契機に・・・」というフレーズを残しておきたい。
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| 2015年03月10日(火) ■ |
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| ある事情があって・・みんな事情がありますよ |
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(久しぶりに情報源不明だけれど・・) 大切な面会を、急遽決まった会議で欠席しようとしたところ、 ピシャっと、こう言い返されて、ぐうの音も出なかった。 「すみません、ある事情があって出られなくなりました」。 「みんな事情がありますよ」・・それはそうだ。 変な理由や言い訳をするよりいいかな、と思い、 「ある事情」という単語を使ったのだが、 かえって、相手を怒らせてしまったかもしれない。 理由になっていない言い訳をしてしまった、と反省した。 もっと相手を気遣える言葉を探さなければいけないな、とも。 「言葉の力」を伝えようとしている私にしては、 ちょっと軽率な発言だったと思うが、 どちらも大切な用事がブッキングしてしまった時って、 欠席(キャンセル)する片方になんと言えばいいのだろう。 何を言っても言い訳にしかならないだろうし、 相手は、せっかくスケジュール調整をしてくれたのに・・と 詫びる言葉は浮かぶけれど、キャンセル理由が浮かばない。 もちろん、誠意を持って謝ることは大切だけど、 相手が、それでは仕方ないですね、と納得してくれる理由は、 どうしてもみつからない。 理由も言わず、謝り続けるしかないのかな、こういう場合。
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| 2015年03月09日(月) ■ |
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| このことは誰も知らない。 |
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一昨日、大阪城のライトアップを見て、思い出してしまった、 映画「プリンセス トヨトミ」(鈴木雅之監督)から。 作家・万城目学さんの同名小説映画化とあって楽しみにしていたけれど、 あまりに省略・簡略し過ぎて、原作の面白さがほとんど残っていない。 また、登場人物の性別や、大阪国民になれる条件の年齢、 さらに、大阪が全停止した日付まで変更して、 何を訴えたかったのか、それすらわからなくなってしまった。 これなら、原作を忠実に再現してくれた方が、よかったなぁ。 気になる一言は、冒頭、文字として最初に目にした、 「このことは誰も知らない」というフレーズ。 本当に誰も知らないのかと思えば、知っている人が大勢いる。(笑) その矛盾が最後まで解決されないまま、終わってしまう。 原作と比較すればするほど、その表現力のなさが目立ってしまうから、 万城目さんは、この出来上がりで本当にOKしたの?と疑いたくなるほどだ。 豊臣の末裔を守る、という自分たちの行動は、父親と息子しか知らない 大切な約束として守り続けている、と大坂の男たちは胸を張るけれど、 原作のラストシーンは、大阪の女はそんな男の行動を全て知っていて、 黙っている・・という一番面白い部分が抜け落ちていたので驚いた。 映画のラストシーン、和久井映見さん扮する、 大阪国総理大臣の妻(お好み焼き「太閤」の女将)が、 呆れたように呟く「まったく、大阪の男は・・」がオチなのだろうが。(汗) 原作を読んでいる人が、映画を観ることを想定してなかったのかな?
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| 2015年03月08日(日) ■ |
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| 自然相手じゃ、誰にも文句を言えないね |
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今回の1泊2日「奈良・京都の旅」は、歳時記を体感するバスツアー。 「奈良東大寺二月堂修二会『お水取り』」は、観客の私たちにとっては、 お祭り・イベントであるが、東大寺にとっては、 天正4年以来、一度も途絶えることなく続けられている修行の1つだから 屋外の天気が雨だろうが雪だろうが、決行する。 本番(午後7時)の1時間以上前から、雨の中、何千人もの人たちが、 夕方から次第に強くなってきた雨足にも耐え、傘をさしながら、 じっと「二月堂」を見上げたまま動かない光景は、違った意味で、 私を感動させた。 さらに、関西地方随一と言われる梅の名所(月ヶ瀬梅林・梅渓)は、 ほとんど開花もしておらず、蕾もやっと・・という状態。 京都・北野天満宮の梅も「見頃」とは言われていたが、 まだ満開にはほど遠い状態で、楽しみにしていた「自然景」は、 参加した人たちの期待を大きく裏切ることとなった。 しかし、帰りのバスの中で聞こえてきた、おばさまたちの会話は、 今回のバスツアーを表現するに相応しいフレーズだった。 「自然相手じゃ、誰にも文句を言えないね」 しっかり代金を払ったにも関わらず、予定どおりいかない結果に対して、 不平・不満・愚痴が出ないのは、自然とともに生きてきた日本人らしい、 考え方ではないだろうか、と思う。 これから多くのツアーが計画される「桜」を始め、菖蒲・藤・紅葉など、 季節の景色を求めて旅をするのは、誰からも文句が出ないからいいなぁ。
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