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| 2015年03月12日(木) ■ |
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| 技術がなければ、体力はついてこない。 |
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書籍「痛くならない、速く走れる、ランニング3軸理論」 (鈴木清和著・池田書店刊・191頁)から。 昨年9月から走り始めて、半年でハーフマラソン完走、 それで満足するはずだったが、やはりもっと速く走りたい、 そんな欲求にかられていたら、我が課のスタッフが、 「課長、これ読んでみますか?」と貸してくれた。 帯に書かれていた「軸で走れば世界は変わる」というフレーズが 妙に心に残り、夢中になって読み終えた。 「ランニング、そしてマラソンは、やったことしかできません。 練習したものが、そのまま本番の結果として表れます」に頷き、 「本当に身につけるべきは、自分の体に合ったランニング技術」 という部分で、メモが増えた。 「人によって体型や骨格は異なりますから」と前置きがあって、 「教科書どおりの走り方では、特定の箇所に負荷がかかり、 それによって故障してしまうランナーも中にはいる」という解説は、 最近、走っているけど伸び悩み、と感じていた私にとって、 これ試してみようかな、と思わせるにはピッタリの表現だった。 (技術)テクニックは、ここでは紹介が出来ないけれど、 「技術がなければ、体力はついてこない。 『技』で身につけた走りを続けていくことで、 その『技』に見合った『体』ができていくのです」 走ることなんて自己流でもなんとかなる、と考えていた私は、 180度違う視点で、その上を目指していこうと思う。 「『心技体』は、言葉の順番のままに成長させていくことが大切」 なるほどなぁ。
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| 2015年03月11日(水) ■ |
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| あの災害を契機に・・・ |
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朝から夜まで「3.11東日本大震災」関連の番組が溢れ、 私たちの記憶を風化させないために、 当時の被害の大きさだけでなく、いろいろな角度からの特集が 組まれているのは、当然のことと思う。 あれから4年という歳月が「もう4年」なのか「まだ4年」なのか、 なかなかコメントができない。 大切なのは、当時の記憶を呼び戻すことではなく、 4年後の現状に対して、自分の過ごしてきた4年間と比較し、 そのギャップに何かを感じて、行動に活かすことが求められている。 その行動の中で、何かを学び、自分の生活を見直すことこそ、 亡くなった方への追悼ではないか、と思う。 ただ単に記録として「3.11から○年」というのであれば、 来年の3.11は「あれから5年」という特集が組まれるだけであろう。 胸を張って自慢できることでなくてもいい、あの災害を契機に、 少しでも、自分の生活が変化すること、それが大事なのだと言える。 人生観が変わったという人たちも多くいる中、自分を顧みたい。 だからこそ「あの災害を契機に・・・」というフレーズを残しておきたい。
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| 2015年03月10日(火) ■ |
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| ある事情があって・・みんな事情がありますよ |
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(久しぶりに情報源不明だけれど・・) 大切な面会を、急遽決まった会議で欠席しようとしたところ、 ピシャっと、こう言い返されて、ぐうの音も出なかった。 「すみません、ある事情があって出られなくなりました」。 「みんな事情がありますよ」・・それはそうだ。 変な理由や言い訳をするよりいいかな、と思い、 「ある事情」という単語を使ったのだが、 かえって、相手を怒らせてしまったかもしれない。 理由になっていない言い訳をしてしまった、と反省した。 もっと相手を気遣える言葉を探さなければいけないな、とも。 「言葉の力」を伝えようとしている私にしては、 ちょっと軽率な発言だったと思うが、 どちらも大切な用事がブッキングしてしまった時って、 欠席(キャンセル)する片方になんと言えばいいのだろう。 何を言っても言い訳にしかならないだろうし、 相手は、せっかくスケジュール調整をしてくれたのに・・と 詫びる言葉は浮かぶけれど、キャンセル理由が浮かばない。 もちろん、誠意を持って謝ることは大切だけど、 相手が、それでは仕方ないですね、と納得してくれる理由は、 どうしてもみつからない。 理由も言わず、謝り続けるしかないのかな、こういう場合。
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| 2015年03月09日(月) ■ |
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| このことは誰も知らない。 |
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一昨日、大阪城のライトアップを見て、思い出してしまった、 映画「プリンセス トヨトミ」(鈴木雅之監督)から。 作家・万城目学さんの同名小説映画化とあって楽しみにしていたけれど、 あまりに省略・簡略し過ぎて、原作の面白さがほとんど残っていない。 また、登場人物の性別や、大阪国民になれる条件の年齢、 さらに、大阪が全停止した日付まで変更して、 何を訴えたかったのか、それすらわからなくなってしまった。 これなら、原作を忠実に再現してくれた方が、よかったなぁ。 気になる一言は、冒頭、文字として最初に目にした、 「このことは誰も知らない」というフレーズ。 本当に誰も知らないのかと思えば、知っている人が大勢いる。(笑) その矛盾が最後まで解決されないまま、終わってしまう。 原作と比較すればするほど、その表現力のなさが目立ってしまうから、 万城目さんは、この出来上がりで本当にOKしたの?と疑いたくなるほどだ。 豊臣の末裔を守る、という自分たちの行動は、父親と息子しか知らない 大切な約束として守り続けている、と大坂の男たちは胸を張るけれど、 原作のラストシーンは、大阪の女はそんな男の行動を全て知っていて、 黙っている・・という一番面白い部分が抜け落ちていたので驚いた。 映画のラストシーン、和久井映見さん扮する、 大阪国総理大臣の妻(お好み焼き「太閤」の女将)が、 呆れたように呟く「まったく、大阪の男は・・」がオチなのだろうが。(汗) 原作を読んでいる人が、映画を観ることを想定してなかったのかな?
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| 2015年03月08日(日) ■ |
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| 自然相手じゃ、誰にも文句を言えないね |
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今回の1泊2日「奈良・京都の旅」は、歳時記を体感するバスツアー。 「奈良東大寺二月堂修二会『お水取り』」は、観客の私たちにとっては、 お祭り・イベントであるが、東大寺にとっては、 天正4年以来、一度も途絶えることなく続けられている修行の1つだから 屋外の天気が雨だろうが雪だろうが、決行する。 本番(午後7時)の1時間以上前から、雨の中、何千人もの人たちが、 夕方から次第に強くなってきた雨足にも耐え、傘をさしながら、 じっと「二月堂」を見上げたまま動かない光景は、違った意味で、 私を感動させた。 さらに、関西地方随一と言われる梅の名所(月ヶ瀬梅林・梅渓)は、 ほとんど開花もしておらず、蕾もやっと・・という状態。 京都・北野天満宮の梅も「見頃」とは言われていたが、 まだ満開にはほど遠い状態で、楽しみにしていた「自然景」は、 参加した人たちの期待を大きく裏切ることとなった。 しかし、帰りのバスの中で聞こえてきた、おばさまたちの会話は、 今回のバスツアーを表現するに相応しいフレーズだった。 「自然相手じゃ、誰にも文句を言えないね」 しっかり代金を払ったにも関わらず、予定どおりいかない結果に対して、 不平・不満・愚痴が出ないのは、自然とともに生きてきた日本人らしい、 考え方ではないだろうか、と思う。 これから多くのツアーが計画される「桜」を始め、菖蒲・藤・紅葉など、 季節の景色を求めて旅をするのは、誰からも文句が出ないからいいなぁ。
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| 2015年03月07日(土) ■ |
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| 我が夫婦のマイブームは「バスツアー」 |
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最近、我が夫婦のマイブームは「バスツアー」(笑)。 昨年の「皇居(乾門見学)バスツアー」で面白さを知ったのか、 週末の新聞紙に挟まってくる旅行チラシを眺めながら、 「ねぇ、これどう?」と話題になるのは、バスツアーなのである。 もちろん、自分たちで綿密に計画を立てる旅行もいいけれど、 長年連れ添った夫婦となると、大切なのは「思い出+夫婦の会話」。 自動車や電車よりも、バスの方が、座席の距離が短く狭い分、 夫婦だけで長時間会話するには、ピツタリなのである。 そして今回、私たちが選んだのは、この時期に合わせて 「奈良東大寺二月堂修二会『お水取り』と京都奈良の梅めぐり」。 妻の「一度、行ってみたかったんだよね」の誘いに乗って、 今年は議会も終わることだし・・と「OK」を出した。 片道6時間、時にはウトウトしながらも、夫婦の会話を楽しんだ。 自然の景色に驚きながら、久しぶりに何枚かのツーショットも。(笑) 次は4月「甲斐善光寺御開帳と甲州三大桜」に合わせて長野まで。 バス旅行は、子育てが終わった夫婦にとって、 意外とのんびり会話ができる、願ってもない旅行と言えそうだ。 読者の皆さん、是非、お試しあれ。
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| 2015年03月06日(金) ■ |
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| いけないことを、しているかい? |
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映画「パイレーツ・ロック」(リチャード・カーティス監督)から。 60年代に実在した海賊ラジオ局を描いた作品だが、 このラジオ放送を聴きながら、喜怒哀楽を表現し、 喜んだり心配したり、一喜一憂するシーンが印象的である。 海賊版らしく(わざと)「放送禁止用語」を口にしたり、 「いけないことを、しているかい?」と、視聴者をドキドキさせる。 こんな自由気侭な内容で、国民を引きつける放送局を、 政府が黙ってみているわけがない。 大衆を煽動して、クーデターでも起こしかねないから・・(笑) 作品の中でも「政府は自由な人間を嫌う」という台詞が出て来た。 常日頃、法律やルールなどに縛られて生きているからこそ、 「違法なことしているか?」「いけないことを、しているかい?」 というような表現が、妙に新鮮に感じるのだろう。 そして、こういった枠を外した行為こそ「ロック」だ、となる。 タブーは、確かに「蜜の味」かもしれないが、 私は、わざわざ「いけないこと」をしなくても、いいと思っている。 歳を重ねた証拠だろうか。(汗)
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